第39話 最後の選択
「マイヤ。キスしよう」
その言葉に、寝ぼけて目を擦っていたマイヤは飛び起きた。
「ふfぁおえんはええ……!?」
「だから、キスしよう。マイヤ」
もしそれで、舌先で彼女の犬歯を押し込んで、眷属液が出れば。
僕はマイヤと同じ吸血鬼になれる。
「僕をキミの眷属にしてくれ、マイヤ」
「え……?」
それまで顔を真っ赤にしていたマイヤも、僕が本気であることに気づくとベッドの上に正座した。
「ルデレ君、それって……」
「東の果ての故郷から大陸を渡って中央まで。ずっと旅をしてきた。でも、『吸血鬼の涙』は見つからなかった……」
「それは、呪いを解くのは諦めるってこと……?」
歯痒そうに視線を逸らすルデレに、マイヤは内心複雑な想いだ。
なぜなら、これは望んで得た呪い。
解かれてはルデレと一緒にいる理由がなくなってしまう。
ルデレが諦めてくれるというのは、マイヤにとっては願ってもない話である。
でも、今ではルデレは立派な冠位一級薬師。胸を張ってマイヤに並び立てる存在となったのだ。もう呪いは必要ない。
解いた方が人間のふりをしながら暮らすリスクも減らせるし、もし解けるなら解いたっていい。今やマイヤにとって、吸血姫の呪いは煩わしいものと化していたのだ。
だが、ルデレは「その手が無いなら、僕が魔族になる」と言ったのだ。
もはやこれはプロポーズだ。
まさにルデレの人生をかけた、一生に一度の選択。
『マイヤと共にある為に、人の身を捨てる――』
その道を選ばせたのは、ほかでもないマイヤ自身だった。
無論、ルデレと一緒ならばどんな困難も乗り越えられるし、命にかえてもルデレは守る。だが、人の身を捨てるということは、もうギルドには出入りできなくなるということになるし、これまで積み上げてきた数々の功績や繋がりを断つことになってしまうのだ。そう、両親との繋がりさえも――
この大陸において、魔族は、人の敵なのだから。
「どうしよう。私……」
マイヤは顔を両手で覆った。
内心では歓喜と自己嫌悪が渦を巻いて感情が上手く表せない。
「私のせいだ……私のせいで、ルデレくんは……」
人との繋がりを、捨てることになってしまうの?
こんなつもりじゃなかった。
私はただ、ルデレくんとずーっと一緒にいたいと思って。
吸血姫の呪いに手を出して……
自分のために、こんな形で最愛の人の未来を閉ざすことになるなんて……
最悪の結末だ。
自害しても死にきれない。
「マイヤ? マイヤは、僕を眷属にするのがイヤ?」
「そうじゃない……そうじゃないの! 私、ルデレくんになんて謝ったらいいか……!」
そうしてマイヤは観念し、この呪いは自ら手にしたものなのだと打ち明けた。
ルデレと一緒にいるために得た呪い。
そのためにルデレが魔族になる業を背負うことなど、あってはならないと……
大粒の涙を零して懺悔をしても、その涙は花にならない。
『吸血鬼の涙』は、ただ吸血鬼が泣くだけではダメなのだ。
扉の外でその様子を伺っていたネトレールは、「ここらが潮時ですわね」と呟いて、扉を開け放った。
そうして、にんまりと舌なめずりをして、手にした短剣でルデレを刺したのだ。
「「え……?」」
「ネト、レール……?」
「まったく、吸血鬼がそう易々と涙を零して情けない。恥を知りなさいな、マイヤ。ルデレお兄様も、そこまでの選択をしたのであれば、もうマイヤから心変わりすることはないのでしょう。私を助けてくれた恩義、抱きかけた淡い恋心とはもうおさらばですわ」
「いやぁっ……! ルデレくん! ルデレくん!!」
「マイヤ、落ち着いて……傷はそこまで深くないよ……ネトレール、どうしてこんなことを……」
息も絶え絶えに問いかけると、ネトレールは短剣を再び振りかぶる。
「私を封印した憎き剣聖の一番弟子――マイヤに、こうして復讐するためですわ!!」
ルデレが負傷したことにより、マイヤは隙だらけとなった。
おまけに、マイヤにネトレールは殺せない。
ルデレを刺されたことへの動揺、沸き立つ殺意、しかし殺せないという理性がマイヤの動きに急ブレーキをかける。
感情と思考が錯綜し、金縛りにあったように、マイヤは動けなくなってしまった。
「あはははは! いいザマね! 死になさいな、マイヤ!!」
その目は――本気だった。
「ダメだ! マイヤ! 避けて!!!!」
咄嗟に、庇うようにしてマイヤに覆いかぶさる。
ネトレールの振り下ろした短剣は、ルデレに深く突き刺さった。
マイヤの目の前で、愛しい人の血飛沫が散る。
「あ……ああ、うそよ……ルデレくん。せっかく両想いになれたと思ったのに……!」
一方でルデレは、自らの終わりを予感して、どこか安らかな笑みを浮かべる。
「うぐ……はぁ。ねぇ、マイヤ。覚えてる? 僕らが初めて一緒に旅をしたときのこと……」
「へ――?」
「隣山に竜王退治に行ったよね。僕は荷物持ちだった。あのときマイヤは僕をカッコよく助けてくれたけど、本当は、僕だってマイヤのことを守れるようなカッコいい男になりたかったんだ……」
「ルデレくん……」
「僕ね、夢だったんだよ。いつかこの手で君を守りたいって、ずっと思ってた。
冠位の薬師になって、勇者や英雄と呼ばれる人たちにパーティに誘ってもらったりもした。けど、僕はついていく気なんてない。世界のことなんかより、マイヤの方がよっぽど大切だから。世界なんて救わなくていい。僕には、キミが救えればそれでいいんだ……」
『あはは。最期に――願いが叶ってよかったな……』
ふわりと、ルデレの身体から覇気と力が抜けていく。
「――――っっ!!!!」
マイヤの声にならない慟哭が、紅い月の夜にこだました。
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※あとがき
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