第31話 僕にできる『誠意』

 攫われたマイヤを助け出せるのは僕しかいない。

 夜九時。僕はゲスツィアーノ邸に向かう道中、手にした籠の中身を確認する。

 そこにはいくつかの薬瓶と、高いお酒が大好きというゲスツィアーノの為に大枚をはたいて買った年代物の美酒が入っていた。


 僕にはとにかく時間がない。

 刻一刻とマイヤの身に危険が迫っているかもしれないこともそうだし、マイヤの中の僕の血が枯渇することもそうだし、お金については四の五の言っていられない。

 手にした籠の中には、僕にできる限界ぎりぎりまでの『誠意』が込められているつもりだ。


 贈り物と引き換えにマイヤを解放してもらう。

 ……なんて都合よくいくとは思っていないけれど、できることはしなくては。


 僕は豪奢な門に付けられた呼び鈴を鳴らした。


 しばらくすると、屋敷の中からのっそりと人影が一人分現れる。

 手にした魔術ランタンに照らされたのは、ベージュの髪をもさりと伸ばした、端正な顔立ちの青年だった。


「ふあぁ……こんな時間に何の用だ?」


 食事時よりも少し遅れて来た甲斐があった。

 ちょうど晩酌の時間だったのであろう、その青年は髪を掻き上げ、僕を見下ろす。


「ウチのメイドは皆幼いからな、寝るのが早いんだ。ギリダは所用があって出られないし、館の主が直接出迎えてやったのだ、下手な用ならコウモリの餌にしてやるからな。 ……ん? お前はまさか……ルデレ=デレニアか?」


(まさか……ゲスツィアーノ本人!?)


 僕はてっきり、ベルを鳴らして出て来るのは使用人かギリダなのかと思っていた。

 本人の言うように、館の主が直接来客を迎えるなんて珍しい。

 だが、誰の手に渡ってもいいように、きちんと準備はしてきてあるし、相手が本人なら尚の事、話が早くて助かる。


 僕は、手にした籠を差し出した。


「あの……僕の幼馴染がそちらのギリダさんと手合わせしてから行方不明なんです。何か知っていれば、なんでもいいので教えていただきたいと思いまして。二級魔術師であるゲスツィアーノ様は、コウモリによる索敵魔法が得意だとお聞きしました。ですので、人探しにご協力いただけないかと……」


「ふむ。人探し……」


 少し面食らったように、ゲスツィアーノは髪の毛先を弄る。


 てっきり正面向かって殴り込みに来たのかと思ったらしく、先程から使い魔のコウモリが臨戦態勢を取っていた。ざっと見渡して数十匹。一気に飛び掛かられたら、一介の薬師である僕はひとたまりもないだろう。


 だが、僕はあくまで『お願い』に来ているのだ。

 必要以上に怖がって警戒されるのはよくない。


 僕はひたすら下手に懇願する。


「あの、これ……! 僕が独自に開発している対・吸血鬼用の解毒薬のサンプルと、できるかぎりのレシピの書き起こしです!」


「なに……!?」


「あと、これは心ばかりですが、ロマネコンティの年代物……僕から差し上げられるものは何でも差し上げますので、どうか、マイヤの捜索に手を貸してはくださいませんか!?」


 がば! と頭を下げると、ゲスツィアーノはこれ見よがしに警戒を解いた。


「ふむ、ふむふむ……! おお! ロマネコンティだ! 紛うことなき本物で、相当なヴィンテージではないか! しかも、貴様しか作れんはずの解毒薬のレシピだと? そんな、薬師としては生命線ともおけるような研究成果の提出まで。貴様はその、マイヤという奴がよほど大事なんだろうと伺える。うむ、うむ。捜索に手を貸すくらいは喜んでしてやろうじゃないか」


「あ、ありがとうございます!!」


「うむ。では、何か捜索の手掛かりになりそうな、失踪者の所持品などを少し貰えれば――」


 などと話し込んで数分後。僕らは円満に別れることに成功した。

 贈り物もきちんとゲスツィアーノの手に渡っている。

 作戦はひとまず成功だ。


 あとは結果を待つのみ……


 僕は遠方の上空、コウモリの索敵範囲外で待機していたネトレールと合流し、宿に戻って吉報を待つこととなった。


 ◇


 一方、その頃、地下牢では――

 囚われたマイヤが見張りのギリダと言葉を交わしていた。


「月に叢雲花に風――だな。ここは、お前のいるべきところじゃない」


「なによ、あんたやっぱり、本当は少女の拉致監禁なんて良くないって思っているんじゃない。だったら早く解放してよ。腕輪の鎖、重いんだけど」


「するわけないだろう。阿呆か? こんな夜更けに主自ら来客の対応へ赴かせてしまうなど、騎士の名折れだと私はいいたいのだ。それもこれも、貴様のせいだぞ。はぁ……ユリウス様はいつまでこんなリスクを冒すおつもりなのか。貴様くらいの有名人となると、本格的に捜索願を出されてしまえば数日で居場所がバレてしまうというのに。ユリウス様は、よほどお前にいやらしい実験をしたいのだと思われる」


「うわ。サイッテー」


「口を慎め小娘」


「あんただって私と三つしか歳変わらないじゃない」


 などと、暇を持て余していたふたりの元に、ゲスツィアーノはにこにこの笑顔で帰ってきた。


「ルデレ=デレニアが屋敷に来てな、研究成果とロマネコンティを渡していったわ! ははは! お前の捜索を平にお願いしたいのだと! あはは! 思わず笑いコケそうになったわ! 本物はココにいるのになぁ!」


「ルデレくんが、屋敷に……!?」


「私のコウモリ使役術を見込んでとの依頼らしいが。まぁ、この酒も怪しいよなぁ。というわけだ。研究成果は奴の誠意としてありがたく頂戴するとして、せっかくのロマネコンティに毒が含まれているといけない。毒見しろ」


「はっ」


 素早くギリダが手を伸ばすが、ゲスツィアーノはそれをひらりと躱してマイヤに酒瓶を押し付けた。


「毒見するのは貴様だ、銀閃のマイヤ」


(……!!)


「ルデレ=デレニアは優れた薬師。ギリダと私が怪しいと踏んで、贈り物に毒を仕込むなど造作もないだろう。もしくは昏睡薬か。いずれにしても私は、これをただで飲むつもりはない。毒入りにせよそうでないにせよ、まずは貴様が飲むんだ」


 そう言って、ゲスツィアーノは持ってきたグラスにロマネコンティを並々と注いだ。


「ほれ」


 牢を開けて、ゲスツィアーノがワイングラスを押し付ける。


(毒入り、ですって……!?)


 ルデレくん……


 ルデレくんのことだから、何か考えがあるのだと信じたい。

 研究成果の解毒剤とレシピを入れたのは、『絶対に籠を受け取らせるため』だ。

 このワインを飲むか飲まないかは賭け。

 でも、ここで私が飲まなければ、ゲスツィアーノがコレを飲むことは絶対にないだろう。


 ルデレくんが、何をどこまで想定しているのかはわからない。

 けれど、私がここにいると踏んで渡してきたということも間違いがないはずだ。


 仮にこれが毒入りで、毒見薬がギリダでも作戦は半分成功。

 俊閃のギリダさえ無力化できれば、私にも逃げる隙がわずかに生まれるのだから。

 けど、もし毒見役に私が選ばれることも想定内だとしたら……?


 たとえ毒入りでも、私は、ルデレくんを信じる……!!


 マイヤは、慣れない酒の香りに目を瞑り、一気にそれを飲み干した。


「ほう! どうだどうだ? 舌が痺れてきたか? 眩暈がしてきたか?」


(あれ? なんともない……それどころか、なんだか力が湧いてくる……?)


 私のピンピンした様子に、ゲスツィアーノは楽しげに手を叩いてワイングラスをくゆらせた。


「なんと、シロか! 拍子抜けだな。思わせぶりなことをしよってからに。よし、ただの酒だとわかれば話は早い。今夜はこの高級酒で乾杯するぞ。ギリダ! お前も付き合え!」


「仰せのままに。まったく、ユリウス様は本当にお酒が好きでいらっしゃる……」


 呆れたようにギリダがワイングラスを受け取り、ゲスツィアーノが勢いよく仰ぐ。

 するとその数秒後、ゲスツィアーノが泡を吹いて倒れた。


「「なっ――!?」」


 その場にいたマイヤとギリダはわけがわからないといったように顔を見合わせる。


「ユリウス様! ユリウス様!!」


「な、なにが起こったの? このお酒、いったい何が入って……?」


「お気を確かに! ああ、ユリウス様!! おい貴様! 貴様の相方が盛った毒だろう!? なんとかする方法に心当たりはないのか!?」


「そんなこと言われても! 一緒に入っていた解毒剤はどうなの!?」


 ハッとして、ギリダはすかさず瓶の中身をゲスツィアーノに呑ませた。

 わずかではあるが、呼吸と顔色が落ち着いたように見える。

 しかし、一向に目を覚まさない。


 同梱されていた調合レシピを眺めるも、魔術師でないギリダにはとんとわからないようで。


「どうしよう、どうしよう……! このまま、ユリウス様が目を覚まさなかったら……!」


 ここまで取り乱すギリダの姿は初めてだ。

 思わず、尋ねてしまう。


「あんた、ひょっとしてゲスツィアーノのこと……」


「うるさい黙れ! 今はそれどころではない!! いいから早く、ルデレ=デレニアの下宿先を教えろ!!」


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