第16話 VS 死霊使い
ユーリィとよく似た薄紅の長髪。
ふんふん、と上機嫌にそれを肩付近で揺らし、イキリィは端正な顔に訝しげな皺を寄せた。
閑散としてやけに静かなエントランスに向かって、特徴的なツリ目をあげると、鋭い声音で呟く。
「……ユーリィ。いないのか?」
「い、いるよっ! おかえり、お兄ちゃん!」
二階の自室にいたユーリィは、ぱたぱたと愛想のよい足音で兄を出迎える。
ユーリィは、イキリィほど魔術の才に恵まれてはいない。怒らせたらどうなるかは、目に見えているからだ。
おそらく、いや、確実に。屋敷中の使用人すべてが、ユーリィに牙を剥くことになるだろう。
「……待て。来るな、ユーリィ」
「?」
『呼びつけておいて、なんだそれは』と。隠しきれない困惑と苛立ちを浮かべ、ユーリィが足を止める。
するとイキリィは、おもむろに、
それを片手でビッと投げると、札はナイフのような鋭さで、僕とマイヤの潜んでいた柱に突き刺さった。
((……! 気づかれた……!))
イキリィがユーリィと話している隙に捕縛しようと画策していた僕たちは、即座に違う対応を求められる。
マイヤが、僕を遠くへ突き飛ばして、刀を抜いた。
イキリィが、にやりと口角をあげる。
「少しは骨のある侵入者がいるみたいじゃないか」
「……少し、だといいわね? くすっ」
「バカにしやがって。ムカつく奴だ。だが顔と乳はイイ。今すぐ、てめぇの頭に札貼って、ベッドであんあん言わせてやるよ」
「あんあん言うのは、あんたの方よっ……!」
マイヤが床を蹴ると同時に、イキリィも札を自在に飛ばす。
イキリィの手を離れた白い紙切れは、まるで意思を持つかのように宙を舞い、風を切り、僕のところに飛んできた。息を飲んだように、マイヤの手が止まる。
「二人組なら、弱い方から潰す。たりめーだろ」
にやにやと、下卑た笑みを浮かべながら、イキリィは鋭利な札のナイフを突き付けて、僕を後ろから羽交い締めにした。
「おおっと、動くなよ。こいつがどーなってもいいのかぁ? てめぇと違って、こいつからは人を殺せる魔力と覇気を感じない。そんな腑抜けと一緒にいるんだ、てめぇの弱点はこいつだろ」
(……!!)
僕は、精一杯の声を張り上げた。
「マイヤ、僕に構わずやるんだ! マイヤならこんな奴、一瞬でしょう!?」
「でもっ……!」
「いいから、早く!」
脚が竦んだように動けなくなってしまったマイヤの元に、僕を人質にとりながら、イキリィが近づいていく。
「ははっ。まだ刺してねぇし。そんな人生終わりみたいな顔すんなよ。そそるだろ」
「やめてお兄ちゃん! もうやめてよぉ!」
ユーリィが叫ぶと同時に、二階からネトレールが襲撃する。
空を舞う銀糸の奥に、紅い怨恨を光らせて、爪がその首を――
「
イキリィが着物の袖の奥で紙を握りつぶすと、心臓を絞られたネトレールが、悲鳴をあげて床に転がった。
「きゃぅあんっ……!!」
「ネトレール!!」
「奴隷紋がありゃあ、吸血鬼だってこんなもんか。便利な世の中になったな」
鼻で嗤って、イキリィは鋭利な札をマイヤの胸元に突きつけた。
「お~。こりゃあ中々お目にかかれない上物だ。痛めつけたら、どんな風に泣くのかなぁ? 快楽に浸したら、どんな風に鳴くのかなぁ~?」
上機嫌に下卑た笑みを浮かべながら、マイヤの着物を切り裂くと、胸元のさらしがハラリと散って、そのうちの数本が首の皮一枚でつながる。
咄嗟に赤面するマイヤ。僕は、イキリィの腕に捕られられたまま、血が滲むほど拳を握りしめた。
「あっはは! 惜しい! い〜い感じに焦らしてくれるじゃないか! ほら、もう一発――!」
「おやめください、お坊ちゃま! それ以上は、父君への冒涜に――!」
屋敷の隅に控えていた十人近くの使用人達も、総出で止めにかかる。
「イキリィ様、おやめください! 殴るも切るも、我々で済ませればよいではありませんか!」
「はっ。おめぇらの固ったい肉で、いったい何をどう満足しろっていうんだよ?」
「あんたって……ほんとサイテー」
殺意を押し殺し、蔑むような目でそう零すマイヤに、使用人のひとりが頭をさげる。
「申し訳ございません! お坊ちゃまは、なまじっか術師としての腕が立つばっかりに、コーレィ様も扱いに困っておりまして、私共も、こうして……」
「「操られてしまうのですっ!」」
「「!?」」
すぐ近くにいた使用人たちが、胸元に仕込んだナイフを手に襲い掛かってきた。
にたにたと、からくりを操るように。イキリィの指先で札が踊る。
そのうちのひとりの指が、イキリィの合図で吹き飛び、僕の腕へ突き刺さろうと飛んでくる。
(……これが、死霊使い!? 使用人さん達は、皆、
僕に刺さろうとするその指を、マイヤは寸前で斬り伏せた。
「……言ったでしょ。ルデレくんには、指一本触れさせないって……!」
「マイヤ……何言って……」
そんな君の脚には、指が三本も刺さっているじゃないか……!
「マイヤ! お願いだから、僕を気にせず早く斬ってよ!」
涙ぐむ僕の声に、ユーリィも声を張り上げる。
「お願いです、マイヤさん! お兄ちゃんは……死ななきゃなんでもいいですから!!」
「!!」
その一言に、マイヤは目を見開く。
『あんな兄でも……昔は、私とよくお人形ごっこをしてくれたんです……』
仕事で忙しかった両親や長兄に代わって、末の妹の相手をするのは、いつも次男のイキリィだった。
だから、『捕まえよう』って話だったんだ……
マイヤは「ごめんね」と小さく呟き。刀を構えた。
「――黒刃刀、秘奥。五月雨」
雨のような無数の刺突のひとつが、行く手に立ちふさがる使用人――肉の壁を鮮やかに避け、僕を抱えていない方のイキリィの腕を貫いた。
「ぐっ。あああ、てめぇえええ……!」
派手な悲鳴をあげて、イキリィが血だまりを転げまわる。
マイヤは僕を抱きかかえ、妹のユーリィに、すぐに止血するよう指示を出した。
「あんた、屍使いなんでしょ? 今度は、落ちた自分の腕をくっつける研究でもしてみたら?」
そうして。隻腕となったイキリィは、健気な妹に肩を借りて、警察に連行されていった。
◇
兄の目論見を阻止し、解毒薬を提供した功績をもってして、ユーリィは罪に問われることなく、むしろ町の人々に感謝された。
ネトレールも、イキリィによって施された(正確には、施したのは父のコーレィだが、鍵となる術式はイキリィに託されていた)奴隷紋を解除された。
ユーリィとネトレールは抱き合って、事態の解決を喜びあう。
「ネトレール、これでもう自由よ! よかったねぇ……!」
「ごめんなさい、ユーリィ。いままで沢山助けてくれて、本当にありがとうですわぁ……!」
十二歳ほどの少女たちが、頬ずりしあい、百合ん百合んに喜ぶ姿に、僕のナニカが目覚めそうだ……!
「ルデレくん、見ちゃダメ」
マイヤがすかさず、僕の目を塞ぐ。
「えっ。なんで? ネトレールも無事に解放。円満解決じゃないか。一緒に喜ぼうよ」
「なんかダメったら、ダメよ」
「え〜……」
僕たちは、平和になった屋敷で、ユーリィによって盛大にもてなされ、旅の数日をそこでゆるりと過ごした。
そろそろ次の街を目指して立とうか、という頃。中央ギルドからの使者が、屋敷の門を叩く。
「解毒薬の開発者であるユーリィ様宛に、お手紙です」
事件の解決のため、解毒薬を開発したのはあくまでユーリィということになっている。ユーリィは、僕への申し訳なさに表情を曇らせながらも、書状に目を通した。
そして、にやりと微笑んで、同封されていた手紙を僕に寄越す。
「……お父様から、あなた宛に」
お父様といえば、冠位四級魔術師である、
冠位も四級ともなれば、世界に二十人もいない腕利きの魔術師。他人に興味のないマイヤは知らなかったみたいだけど、コーレィさんは、知る人ぞ知る死霊使いのエキスパート……つまり、とっても偉い魔術師らしい。
そんな人からの速達の手紙。
そこに書いてあったのは、下衆息子の非礼を詫びる数々の文面と、中央ギルドでの任務(魔王の配下対応)が忙しく、直接礼に来れないことへの謝罪。近々、妻がユーリィを迎えに行くということ、など。
それと、「あの薬は絶対に娘に作れるものじゃない」という旨の話だった。
そして……
「僕を、冠位十級薬師に、飛び級で推薦……?」
とんでもない一文が、そこには書いてあったのだ。
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