水面の向こう側

春嵐

水面の向こう側

 水辺。子供の頃、この水面をのぞきこむと、ひとがいた。

 おとこのこだったような、気がする。覚えていない。自分が、女だったから、だろうか。彼とは、仲良くなった。いろんな話をしたような気がするけど、やっぱり、覚えてない。


 でも、たしかに、あの水面の向こうには、彼がいた。それだけは、こどもだったけど、忘れないでいようと思った。よくある幻想でもなく、子供のよまいごとでもない。事実。彼がいたという、ほんものの認識。


 昔のはなし。


 たいして覚えてなかったのに、今更。思い出す。水辺にいるから、だろうか。


 今も昔も、水辺は、変わらない。景色も同じ。

 水面。


 彼は。


 来るだろうか。


 ちょっとだけ、疑念がある。やっぱり、彼は。子供の幻想だったかも。なんて。思わなくも、ない、けど。事実であってほしい。彼がいてほしいという、願望。

 願望である時点で、うそ、なのかも。


「どしたの?」


 水辺。


 水面の向こうに、彼がいる。


「ひさしぶり」


「そっか。ひさしぶりか」


「元気してた?」


 無言。


 彼は、元気じゃなかったのかもしれない。


「ごめんね。来れなくて」


「なんでそんな、義務みたいに」


「安心してる。今」


 彼は、ここにいる。

 それだけで、ここに来た、価値はあった。


「引っ越したんだ。子供の頃の話だけど」


「だから、来なかった、と」


「言い訳だよね。ごめん」


 水面。眺める。男の顔。


「成長した?」


「そりゃあ、まあ」


 はっきりと分かるほどに、男の顔。それでいて、綺麗。


「なんか」


 むかつく。私よりかわいいのは普通に許せない。


「はあ。なんかおもしろい」


 私に、まだ。そんな感情があったなんて。


「たのしそうだね?」


「楽しいよ。あなたに会えたし」


 人間らしいこと。ひさしぶりかも。


「私さ。狐を殺してるの。狐。わかる?」


「猟師さんになったの?」


 猟師。猟師か。そうくるか。


「まぁ、そんな感じ」


 街を守るために、正義の味方になった。狐と呼ばれる、よく分からない、ひとではない何かを殺し続けてきた。


 そして、なんか。


 しにたくなった。


 いや。違うか。順序が違う。


「しにたくなったんだよね」


「うわ」


 水面の顔が。分かりやすいぐらいに、にやにや。


「きたよこれ。きたきた」


「何よ」


「しにたいって顔してるもん。だって」


「あんたに何がわかるのよ」


 水面の向こうのくせして。どうせ実在しないんでしょ。おかしくなってしまった私の作り出した、幻想なんでしょ。


「おりゃ」


 石を投げる。水面の彼の顔に、クリーンヒット。波がほんの少し。さざめいただけ。


「いつもそんな顔だったよ」


「なにが」


「ここに来るとき。いつも、そんな顔してた。いなくなってしまいたい、みたいな。そんな顔」


「そりゃあ、そうだもの」


 事実。わたしが水辺に来ることなんて。それが理由でしかない。


「この綺麗な水面に、沈んでしまおうって」


「へぇ」


 たいして意味のない、人生だった。だから、たいして、終わりに感慨もわかない。落ちの微妙なドラマみたいな。そんな感じ。


 そんな人生のなかで。彼だけが。それっぽい何かだった。ほんの少しだけ、意味があった。


「今から、そっちに行くよ。わたし」


「俺のところに?」


「生きていくのがね。ちょっと、もう、いいかなって」


 知っている。

 私がしんだところで。彼に会えるわけではない。

 わかっている。

 でも、なんとなく。そういう感じの雰囲気でいたかっただけ。それだけ。


「あっ待って待って」


 水辺に脚を突っ込んだところで、彼が。


「本気?」


「なんのはなし?」


 この、水辺で。そう思ったから、ここに来た。どうでもよくなったとき、この水辺が頭のなかに浮かんだ。だから、この水辺に、私を置いていく。


「ストップ」


 言われた通り、止まる。腰辺りまで。彼の顔は、もう、通りすぎた。水面は、ただの水。


「じゃあ、こうしよう」


 振り返る。水面。彼の顔を探したけど、ここからは見えない。


「俺がそっちに行くよ」


「何言ってんの」


 幻想は幻想に帰りなさいよ。

 私も私を終えるんだから。


「おぉい」


「え?」


 向こう岸。


「うそ」


「おわっ。なんか深くね?」


 彼が。

 水をかきわけて、こっちに来る。


 ぜんぜん、危なげない。めちゃくちゃ河渡り上手い。


「なんでそんなに上手いの」


「あなたより元気だからですよ。よいしょ」


 私の腰をなんとなく抑えつつ、普通に岸に向かう。入るときとは段違いの速さで、水辺から離脱。


「なんなの」


「なんなのって」


「動きが速すぎる」


「まぁ、元気ですから。さっきいたでしょ。元気だったかって。元気です。あなたよりは」


 元気。私よりは。


「いや、いつか飛び込んでいくんだろうなって。あなたが」


 わたしが。


「だから、いつでも助けられるように」


「でも」


 そもそも。なんであなたが。


「あっ俺。ほら。あの水面」


 水辺。


「ここは、水の反射が特殊なんです。向こう岸が反射してて。近くの橋と湖のせいなんですけど。あ、ここ、河だけど湖でもあるんですよ。知ってました?」


「しらない」


 彼の。かお。からだ。目の前にある。


「しらないよ」


 実際に、ここに。いる。


「あ。いや。ごめんなさい。いつ気付くかな、って」


「わたし。しばらくここにいなかったけど」


「俺が水辺で黄昏たそがれてちゃ、だめですか?」


「いや、だめじゃないけど」


「日課なんですよ。水辺に来て、なんとなくあなたのことを思い出す。しにそうな顔して、じっと水面を見つめてる、あなたを」


「わたし」


 わたしか。


「自己紹介、しますか?」


「そっか」


 長い付き合いだけど。リアルで会ったのは初めて。リアルか。なんか、笑える。


「わたし。正義の味方」


「まだ言ってるんですかそれ」


「いや、ほんとだから」


 どうでもいいか。狐を殺して、街を守る正義の味方。そんな本当のこと言ったって、どうにもならない。


「俺は、スイマーです。まぁ、プールの守衛程度ですけど」


「なんで?」


「だから、いつか飛び込む、あなたのために」


「わたしのため」


「なんか、飛び込んでしまいそうなひとを。助けたいんですよ。なんとなく」


「なんとなくか」


「そうです。なんとなく」


 彼の顔に、ふれる。

 あたたかい。


「いる」


「ん?」


 ここに、いる。

 彼が。


 今。


 ここに。


「わたしが、ここにいて。うれしい?」


「うれしいですよ」


「そっか」


 それ以上は、あんまり会話が必要なかった。


 どうやら私も、彼が、ここにいて。うれしいらしい。


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水面の向こう側 春嵐 @aiot3110

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