証言を待っている
増田朋美
証言を待っている
あれほど暑かった夏も終わりに近づいていて、少しずつであるが涼しい日がやってきたようだ。陽が出るとまだ暑いが、曇るとまた涼しくなる。全く今年の夏は、本当に暑かった。そんなわけだから、疲れてしまっておかしくなってしまう人も出てしまうことだろう。もしかしたら、それは理由があってのことかもしれないし、そうでないかもしれない。理由があってもなくても、今の世の中、疲れてしまっている人が多いような気がする。
ある日、富士市内の、小さなアパートに、大勢の警察や医療関係者がやってきた。その中には、報道関係者と思われる女性も多数いる。家の中から、白い担架が運び出されてきた。その担架はまだ4尺程度の長さの小さなもので、被害者は小さな子どもだとすぐわかる大きさだった。
「私が、殴りました。」
小さな声でそういう若い女性に、警察官は腕を出せといった。彼女はハイと言った。彼女の手に、手錠がかけられ、彼女は、警察官に連れられて、パトカーに乗っていく。その様子を、報道関係者たちは、一斉にカメラを回して、撮影した。
その映像が、どこの局でも一斉に報道されたため、製鉄所のテレビでもそれが報道された。なんだかそんな場面を一斉に報道してもいいのだろうかと思うのだが、放送局は、そのような頭は無いらしかった。
「今、女性が出てきました。女性、つまり、容疑者の女性が、逮捕されていきます。容疑は、娘の小田巻正雄くんに、暴力を加え殺害したとのことです、、、。」
テレビでは、その女性が、パトカーに乗せられるところを、生生しく報道していた。
「逮捕されたのは、容疑者小田巻光枝。小田巻正雄くんの頭を殴って殺害、自ら警察に通報しました。警察は、彼女が私が殴りましたとすぐに容疑を認めたため、彼女を緊急逮捕しました。」
「嫌ですねえ。最近多いですね。こういう事件を見ていると、子供が何のために生まれてきたのかわからなくなりますよ。」
ジョチさんは、そう言って、テレビを止めた。隣で縫い物をしていた杉ちゃんが、
「全くだ。おかしな事件が多いが、その殺し方がだんだん派手になっているような気がする。」
と、言った。
「そうですね。確かに、先程の事件の男の子も、顔や体にかなりの痣があったようですし。」
ジョチさんがそう言うと、いきなりガチャンと音を立てて食器がわれた音がした。ジョチさんが振り向いて、
「一体どうしたんです?」
と聞くと、一人の女性の利用者が、わーっと泣き出してしまった。
「何だ、テレビを見ただけで、泣くのか。」
杉ちゃんがそういう通り確かにテレビを見て泣くのである。それだけのことなのであるが、彼女は涙をこぼして泣き続けるのだった。ジョチさんは、彼女が割ったお皿を丁寧に片付け始めた。
「おい、どうしたんだよ。泣いたって分かんないよ。ちゃんと口に出して言いな。口に出して。」
と、杉ちゃんがそう言うと、
「まあ確かに、桜木さんは、感受性の強いことで有名ですからね。」
と、ジョチさんが彼女を援護するように言った。確かに彼女、つまり桜木華代さんは、ちょっとしたことでもすぐ泣いてしまうくせがあった。世間ではそれを、HSPとか呼ぶのだろう。だけど、それのせいで、なにかが得られるわけでは無いのだから、あまり称号を付けても意味はないとジョチさんも杉ちゃんも言っていた。
「で、華代さんどうしたの?なにかあった?テレビをみてそんなに怖かったんか?」
杉ちゃんがそう言うと、桜木華代さんは、涙を拭くのも忘れて
「違うんです。違うんです。あの事件で亡くなった男の子、私の保育園に通っていた子です。」
と言った。
「お前さんの保育園に通ってた?それはどういうことだ?お前さんの職業はえっと。」
杉ちゃんが首をかしげると、
「保育士さんですね。」
ジョチさんが、われたお皿を片付けながら言った。
「保育士さん?それでお前さんの保育園にその子が来てたのか?だってお前さんはたしか、パート扱いだったような?」
確かに、そうだった。まだ精神疾患が回復していないところから、フルタイムで働けないので、彼女はパート扱いになっている。でも、保育園で働いているんだから、彼女は、保育士と名乗ってもいいだろう。
「それで、お前さんの受け持っていた子が、今回、事件の被害者になったわけか。」
杉ちゃんが言うと、桜木華代さんはまた泣き出してしまった。
「受け持っていたんですか?パート扱いでも、クラスを持つことがあるかもしれませんが。」
ジョチさんがそう言うと、
「はい。直接担任だったわけじゃないんですけど、でも、正雄くんを抱っこしたりおんぶしたりすることはありました。あの子は、笑顔が素敵で、本当にかわいい子でした。それなのになんで。」
華代さんは、その場にばったりと倒れこんで、泣き出してしまった。これではいかんということで、ジョチさんは小薗さんをスマートフォンで呼出し、華代さんを、影浦医院に連れて行って上げた。影浦医院でも彼女は正雄くんが死んだとばかり叫んでいるので、杉ちゃんとジョチさんは、影浦先生にお願いして、彼女を落ち着かせるために注射を打ってもらった。
「大丈夫です。彼女は、ただショックでパニック状態になっているんです。仕事は、しばらく休ませて上げて、また元気になったら、戻して上げてください。」
眠っている彼女を見て、影浦先生は言った。
「自他を傷つけたりするおそれもありませんから、目が覚めたら、お帰りになって結構ですよ。いやあ、それにしてもですね、最近は、子供の虐待事件が多いですね。もう少し、親御さんが、感情を丸出しにしないといいんですけど。こんなに事件が多いのでは、子供も安心できないでしょう。」
「はあ、そうですか。しかし驚きました。彼女の言うことがもし本当なら、警察関係者が彼女のところにも来るかもしれませんね。彼女、一人で応対出来るでしょうか?テレビの報道を見ただけでああですから、、、。」
ジョチさんが、ため息をついてそうきくと、
「そうですね。確かに、彼女はもともと精神疾患を抱えていますからね。そのあたりは、警察の方にも、お話しなければ行けないかもしれません。いずれにしても、警察が、あまりにもしつこく彼女を責めるようであれば、僕もなんとかしますので、連絡をいただければと思います。」
影浦先生は、医者らしく言った。
「それにしても、彼女、そんなことでパニックになっちゃうなんて、ちょっと度を越してるよ。保育士という職業には、不向きなんじゃないの?」
杉ちゃんの言うとおりかもしれなかった。いちいちそうなってしまうのでは、生きていくのが辛くなってしまうかもしれない。
「まあ、そうかも知れないですが、彼女はもともと子供の世話をするのが好きな女性ですから、そこを摘み取ってはいけないことにしましょう。製鉄所に来たときも、花壇の花に声をかけるなど、優しい一面が見られましたからね。」
ジョチさんは、少し考えながら言った。
「それに保育園での彼女の評価は、決して悪くありません。子供さんと愛情深く接することが出来る、貴重な人材だと園長先生から言われたことがありました。」
「わかりました。僕達医療関係者も、彼女の良いところまで潰してしまってはいけませんしね。良いところまで失わないよう、気をつけてあげなければなりませんね。」
影浦は、ジョチさんの話を聞いてそういったのであるが、実際問題精神科医療では、なかなか良いところを見つけ出すことが出来る、医療関係者はなかなかいないのだった。それはどこへ行っても同じだった。
とりあえずその日は彼女が目を覚ますのを待って、また小薗さんの車で製鉄所に帰ったのだが、彼女はとても悲しそうな顔をして、誰とも喋ろうとしなかった。他の利用者も、桜木華代さんに考慮して、あまり話しかけることはしなかった。
翌日、保育園から、製鉄所に電話があった。小田巻正雄くんのお葬式に出てもらええないかという内容である。電話を受けたジョチさんは、彼女のために、葬儀に出てもらいたい気持ちはあるが、彼女が、何も喋らないので、ちょっと今は無理だと思って、それを断った。中庭で呆然としている彼女を、小さな二匹のフェレットも、心配そうな顔をして、見つめていた。
「桜木さん、今日、小田巻正雄くんの葬儀が行われたそうです。お祖母様が丁寧な葬儀をやってくれたそうで。良かったじゃないですか。せめて最期のときだけでも、皆さんに悲しんで送ってもらえたんですから。」
水穂さんは、中庭をぼんやり眺めている、桜木華代さんに声をかけた。
「そうですか。そういえば、正雄くんには、お祖母様がいましたね。」
と、華代さんは涙を拭きながら言った。
「いたんですか?お祖母様が。」
水穂さんがまた聞くと、
「ええ。確か、お母さんのお母さんです。」
と、華代さんは答えた。
「どんな人物だったですか?」
水穂さんがまた聞くと、
「はい。時々、お迎えに来ていましたけど、おかあさんが、とても気が強かったんですが、お祖母様はとても優しい方だったと思います。本当になんで、彼女、つまり小田巻光枝さんですけど、正雄くんを殺さなきゃいけなかったんでしょうね。そんなに、正雄くんのことが悪かったのでしょうか?」
華代さんは、疑問を水穂さんにぶつけるように言った。普通の人であれば、僕に言われても困るとか、そういうことを言うはずだったが、水穂さんは、そうですねと言った。これが出来るのはある意味天才的なことである。
「ちょっと失礼します。」
ドカドカと音がして、華岡が二人の前にやってきた。影浦先生が予想した通り、警察の関係者が、やってきてしまった。
「なんですか。華岡さん。また事件を調べて居るんですか?」
水穂さんがそう言うと、
「当たり前じゃないか。俺が来たからには、事件の捜査に決まってるだろう。何を調べているかって、もちろんあの事件だ。あの、小田巻正雄くんという、幼児が暴行されて死亡した事件だよ。」
と、華岡は言った。
「確か、あなた、えーと、桜木華代さん。あなたは、小田巻正雄くんが通っていた保育園で、正雄くんの面倒を見ていたようですね。それで、あなたに聞きたいんですが、正雄くんの体に傷や殴られた跡があったなど、そのような事があったか教えてくれませんか?」
「ちょっとまってください。華岡さん、いきなりそんな事を聞かれても、彼女は、心が病んでいるんです。単刀直入に聞くのは辞めてください。」
水穂さんが、華岡を止めたが、
「俺達だって、保育園の関係者に聞き込みを続けているんですが、何も有力な証言が得られないので、ここに来たんだ!他の保育士にも聞いたが、皆、小田巻正雄くんのことは、桜木さんが面倒を見ていたとしか言わないんだよ!」
と、華岡はいかにも困っている顔で水穂さんに聞いた。
「どういうことですか?保育園は、集団で保育をする場所ですよね?正雄くんに一人の保育士がつきっきりだったと言いたいんですか?」
水穂さんが一般的なことを言うと、
「そうだけど、小田巻正雄くんは、保育士から嫌われていたらしくて、桜木さんが面倒を見ていたと言っていたんだよ!」
と、華岡は言った。
「だから、小田巻正雄くんが、なにか体に痣や傷などなかったかどうか、教えていただきたいんです。虐待が、恒常的だったかを知るためにね。まずはじめに、発見されたとき、正雄くんは額に大きなコブを作っていたし、右足の膝に脱臼もあった。その2つの傷は、いずれも最近に着いたものであることがわかっているが、それ以前にも、彼女が、正雄くんに暴行を加えていたかどうか、調べたいんだよ!」
「わかりません。私、何も覚えてないんです。」
華代さんは言った。
「なんで何も覚えてないの!一番彼に接していたのはあなたでしょ!」
華岡が言うと、
「わかりません。本当に何も覚えてないんです。」
華代さんはまた涙をこぼした。
「もう少し待ってやってください。彼女自身も精神疾患で、療養中なんです。だから正常な判断ができない可能性もあります。あなた方が、彼女を責め立てたら、余計に恐怖心が増してしまいます。」
「しかし!」
と、華岡が言うと、
「しかしじゃありません。もう少し、待って下さい。」
水穂さんが、疲れた顔で言った。これ以上立っているともう倒れてしまいそうだ。
「しかし!」
華岡は、悔しそうに言った。
「華岡さんお願いします。」
水穂さんに言われて、華岡はああわかったよとぼそっといって、
「また来ますからね。とにかくあなたは、保育園で、小田巻正雄くんにずっと接していたのは明らかになっていますし、有力な証言が得られる可能性が一番あるわけですから、またこさせてもらいますよ!」
と、嫌そうな顔をしていった。本当は、早く事件を解決させたいという顔が見え見えだった。全く、市民のための警察ではないか。自分たちが楽になりたいからという理由で、事件捜査の手を抜くのは、困ったものである。
首を振って帰っていく華岡を眺めながら、水穂さんは、フラフラと縁側に座った。それに気がついた二匹のフェレットが、ちいちい、と声を上げて心配そうに見ている。桜木華代さんは、水穂さんに大丈夫ですか?と聞いて見るが、水穂さんは咳き込んでしまって、返答する力もなかった。華代さんは、水穂さん少し休みましょうといって、水穂さんの体を支えて、水穂さんを布団に寝かせて上げた。
「それだけの事ができるんです。きっと、事件のことだって、思い出せます。」
水穂さんは、そう華代さんに言った。華代さんは、はいと小さい声で言った。でも、自信がなさそうだった。
「水穂さん大丈夫ですか?まあ、確かに、華代さんも、正雄くんのことを、悲しんでいるのはわかるけどさあ。もうちょっと、保育士として、責任持とうぜ。だって、正雄くんの事、ちゃんと見ていられることができたんだからな。もちろん、なくなったショックは、大きいと思うけどさ。でも、正雄くんを見てあげていたということは、紛れもない事実だぜ。だから、事件解決のために協力することも必要なの!」
と、杉ちゃんに言われて、華代さんは、そうですねといった。
「だから、正雄くんのためにも、あの母親をなんとかして刑を課さないと行けないんだ。それが正雄くんのためでもあるんだ。もう一回聞くぜ。正雄くんは、日常的に虐待があったの?」
水穂さんが、杉ちゃん、あまり彼女を責め立てるのも良くないというが、杉ちゃんは、時には荒療治が必要だといった。
「ええ。そうですね。」
彼女、桜木華代さんは、一生懸命思い出しながら言った。もしかしたら、彼女も正雄くんのことを否定しながら、保育士の仕事をしていたのかもしれない。彼女は、正雄くんのことで、警察に聞かれるのを恐れていて、それで、正雄くんの虐待をなかったことにしよう的な考えをしていたのかもしれなかった。人間は、自分のちからではどうにもならない困難に直面した場合、困難がなかったことにして、無理やり辻褄を合わせようとしてしまう。それではいけないんだけど、人間は、そう思ってしまうから、色んな出来事が起きてしまうのだ。
「確かに、正雄くんの体には、殴られた跡があったと思います。正雄くんは、保育園の他の園児からも保育士からも嫌われていました。なぜかと言いますと、保育園で、他の園児の欲しいものを取り上げて、自分のものにしてしまうなど、乱暴な行為が多かったからです。」
華代さんは、涙を拭くのを忘れて、目を閉じ、口をわなわなと震えていった。
「それを、あなたが放置したのはなぜです?なぜ、他の保育士や、園長先生のような方に、適切な処置をしてくれと、求めなかったんですか?」
水穂さんがそうきくと、
「だって、だって私は、パート扱いです。一番端くれなのに、正規に威張るなとか、そういうことを言われてしまって、私は、嫌だったんです!」
と、華代さんは早口に言った。
「そうなんだねえ。まあ、たしかに組織に居るとそうなっちまうんだろうが、正雄くんのためには誰かが行動を起こさないと、だめなんじゃなかったのかな?」
杉ちゃんがそう言うと、
「ええ、そうかもしれません。だから私は、私だけでも正雄くんに優しくしてあげようと思っていたんです。正雄くんは、加配がつくわけでも無いけれど、私は、正雄くんのことを、信じてあげようって。」
華代さんは答えた。
「そうなんだね。それで、正雄くん担当になったわけか。それで、正雄くんのお母さんが、なんで正雄くんに暴力を振るっていたのか、理由は知っている?」
「そうですね。」
華代さんは、少し考えた。一向に回転してくれない頭で、なんとか必死に思い出そうとした。正雄くんのお母さんがなぜ、正雄くんに暴力を振るったのか、思い当たる記憶を絞り出して、一生懸命思い出した。
「確か、正雄くんのお母さんがそうなったのは、お祖母様の存在だったと思います。正雄くんは待望の跡取りでしたから、お祖母様がすごく可愛がっていたそうです。」
「はああ、なるほどねえ。もしかしたらだけど、正雄くんのお母さんは、愛された事がなかったのかもしれないな。それで、正雄くんを可愛がるお祖母様のことを憎らしく思った。でも、先程の、お前さんの例にもある通り、人間は事実に対して、どうするか考えるかしかできないくせに、何故か間違ったことに走ってしまうこともあるんだよね。だから、正雄くんのお母さんは、それで正確に判断できず、正雄くんに暴力を振るってしまうようになったのかもしれない。これはあくまで、僕の推測だけど。」
「杉ちゃんすごいですね。よくそうポンポンポンポン口に出して言えますね。そういうことは、言えないで黙っているのが普通ですよ。私の職場では。」
桜木華代さんは、杉ちゃんの推理に感動したように言った。
「そうだけど、誰かが口に出して言わなかったら、何も解決しないですよ。」
水穂さんが、そういった。
「さ、これらを早く警察へ話そうじゃないか。警察は、僕らの証言を待っている。」
杉ちゃんが、カラカラと笑った。
証言を待っている 増田朋美 @masubuchi4996
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