第7話
翌朝、窓から降り注ぐ朝日に照らされて、ハルは驚いたように飛び起きた。あたりは見慣れない一面漆喰造りの綺麗な部屋。ふかふかのベッドは寝心地抜群で、「もう少し眠りなよ」と二度寝に誘われているようだ。
そうだ。昨日突然神官とやらになったのだった。
徐々に覚醒する頭をフルフルと振って、備え付けの洗面台で顔をすすぐ。
特徴的な赤毛は、今日もぴょこんと一束頭のてっぺんで踊っている。どんなに水で濡らそうと、乾くとこの謎の癖っ毛が暴れてしまうのでもう諦めた。タオルで水気を拭き取ってから、ハルは自分の両手をじっと見つめた。初めて魔法を使って攻撃した感覚が、まだ手に残っているようでブルブルと震える。
今日は一体何をするのだろうか。ハルに出来る仕事などかなり限られているし、そもそもまだ魔法も武器もろくに扱えないのでは魔物や犯罪集団と戦うなんてまだまだ先の話だろう。
となれば昨日のように魔法の特訓だろうか。いや、武器の扱いを練習するのかもしれない。はたまた基礎呪文教書を使った座学という可能性もある。いずれにしても、また頭も体もヘトヘトに疲れることだろう。とりあえず、腹ごしらえだ。ハルは寝巻きに借りた薄手の丸襟ロングシャツのまま部屋を出て、あくびを噛み殺しながら、神官執務室につながる扉を開けた。
執務室のソファには、羽根飾りのついた美しい羽織を無造作に身に纏ったリアトリスが、扇を開いて座っていた。中に着ているのは両方の襟を重ねるように合わせて、帯状の布を巻き付けたり、結んだりして止めるという見慣れない形の衣服だ。足元も、紐もなければ留め具もない、足を入れるだけのフラットな布の靴だ。どうやら東の方にある国の影響を受けているのだとか。衣装のグリーンの色合いもアレスティナでよく見かけるような葉っぱの色ではなく、もっと青みがかって吸い込まれるようだ。
その向かいには、これまた高価そうな衣服を身につけた大人の男が座っている。リアトリスと違って濃紺のスリーピースだ。その二人の視線はまるで時が止まったように扉を開けたハルに向けられていた。
次の瞬間、勢いよく扉が閉まってハルは鼻をしこたま打ち付けた。
「あいっだ!」
「あ、あはは、今のはその、どうぞ気になさらずに。」
焦ったような乾いたリアトリスの声が扉の向こうから聞こえる。
すぐに扉が開いて、今度はカンタベリーさんが慌てて様子を見にきてくれた。
「大丈夫ですか、ハル様。」
「・・・あい、大丈夫れす・・・。」
「すみません。今日は朝からリアトリス様にご来客がありまして。どうも大事なご商談だとか。」
「・・・商談?」
メイド服姿のエミリアがカートに朝食のプレートと暖かいココアを乗せてハルの部屋まで運んでくれる。自室へと戻ったハルは遠慮なくふかふかのパンを頬張った。その様子を眺めながら、カンタベリーが説明してくれた。
「リアトリス様は、この国の経済の中枢なのです。」
「・・・経済の、中枢??」
そもそも、アレスティナ帝国では帝の元に大臣が集い、国の方針を定めている。
神官達はその大臣達が取り決めた法令や規則に従って、実際に国の運営を担うのだ。
「リアトリス様は貿易やマーケットを手掛ける商会を束ねていらっしゃいます。経営方針や新規事業の相談、各商会同士の諍いの折衝・・・。連日リアトリス様の元にはご来客が絶えません。」
「ちょ、ちょっと待ってください!リアトリスって、俺と同じくらいの歳じゃ・・・。」
「ええ。今年で16になられるはずです。」
「それで・・・けいえいほうしんにシンキジギョウ・・・。」
「どうも、その道に秀でていらっしゃるようで・・・。」
神官はそれぞれリアトリスと同じように才能に見合った職務につきながら、魔法の修練や戦いの経験値を積み重ねているのだという。魔物や犯罪者が現れない平和なひとときでも、タダ働きは許さないということか・・・。これが、社会。
カンタベリーの話によると、魔法に長けたイブニングは今日も学校に通っているようだ。優秀な成績を維持しているイブには、卒業後に教職や研究職の道が既に用意されているという。学問を司る大臣の方針のもと、この国の魔法教育の中心となるようだ。現に、熱心に師事する教師がおり、手ほどきを受けているのだとか。
ホタルは言わずもがな。帝国軍騎士団副団長としてこの国の防衛のため幼い頃から力を尽くしていると聞く。魔法は苦手だと言っていたが、国内の災害や犯罪に対しては、すでに立派に指揮を取る立場である。
そこまで聞いて、ハルは昨日の夜に出会った美しい少年の姿を思い出した。
あれは本当に現実のことだったのだろうか。ポワンと浮かんだプリムラの姿は、月の明かりに照らされて、薄い色の髪が風に揺れて・・・。いや、待て、待って。確かに綺麗だったがプリムラは男だ。
「・・・プリムラ、さん、は?」
「彼には会いましたか?」
「昨日、帰ってきたところだったみたいで。」
「そうですか。」
カンタベリーの表情はなぜか暗い。
「プリムラは、とても忙しい人ですから。私もどれほどの仕事をされているのか把握できません。」
「へえぇ・・・やっぱり、すごい人なんですね。」
「ええ。」
呑気にパンに目玉焼きを乗せ、黄身がとろりと流れるのをこぼさないように口に突っ込む。そこで気づいてしまった。
「・・・あれ、もしかして、俺も何かそういうのをやらなきゃいけないんじゃ・・・。」
「よくお気づきですね。」
「え!?無理無理無理!だって、俺何にも特技なんてなければ頭も悪いし・・・!」
「大丈夫ですよ。ハル様の職務は既に決まっていますから。」
「え?」
「ご案内いたします。お食事を済ませられたら早速向かいましょう。」
ハルはその言葉に、パンと卵を喉に詰まらせてひどくむせた。
「お待たせしました・・・。」
寝巻き姿からいつもの服装を身につけると、ハルは自室を出て神官執務室の扉を開けた。リアトリスは相変わらずソファで大人を相手に小難しそうな話をしている。先ほどとは違って、二人ともほんの一瞬ハルに目をやっただけで、そのまま話を続けている。
「それでは、参りましょう。ハル様。」
カンタベリーは、見事な正装に身を包んでいた。魔道士が纏うローブは汚れひとつなく真っ白で、裏地には落ち着いたロータスの柄。帝国の象徴たる真紅を煮詰めたような、濃いワインレッドの三つ揃いには細かな金刺繍が施されている。どこぞの貴族や帝室関係者かと見間違うほどだ。
一方のハルはといえば、簡単な麻のシャツにショート丈のパンツ。足元は森を動きやすいよう編み上げのグラディエーターシューズだ。魔力を持っているものの、魔道士ローブなど持ち合わせておらず風避けのマントを羽織っているだけ。ハルは自分のいかにも田舎っぽい服装が急に恥ずかしくなって、なんとなくカンタベリーから距離をとってついていった。
二人は執務室を出ると、演習場に向かう裏通りに出た。どうやら、今日はテレポートを使って目的地へ向かうらしい。カンタベリーは水色と桃色がゆったりと溶け合ったような水晶が輝く杖を取り出した。ハルやイブが持つ杖よりも大きく、背丈ほどもある。その杖を使って、地面にサラサラと迷いなく魔法陣を描いていった。
「さて、この魔法陣の上へどうぞ。空中に放り出されるようなことはありませんからご安心を。」
ハルは言われた通りに魔法陣の上にそっと両足を乗せた。すると、二人の周囲に銀色の光が集まり、やがてふわりと宙に浮かぶような感覚がした。驚いて思わず目を瞑るが、浮遊感はほんの一瞬のことで、すぐに光も止んでしまった。
「ここは・・・」
目を開けると、周囲の景色はすっかり変わっていた。あたり一面大きな木々。道は舗装されておらず、何度も踏み締めたことで自然に出来上がった獣道だ。耳をすませば、聞こえてくるのは風で葉が揺れる音と小鳥や動物の鳴く声のみ。
「ここは・・・アルカディア?」
どこからどう見ても、見慣れた故郷、ハルが育ったアルカディア保護特区の森である。
カンタベリーは慣れた様子で管理小屋の扉を優しくノックする。
扉を開けたのは、ハルの祖父だ。祖父は、カンタベリーの姿には驚くそぶりも見せなかったが、その後ろにいるハルの姿を目に留めると、弾かれたように小屋から飛び出した。
「ハル!」
「うわ!なんだよ、じいちゃん!」
「何だよじゃない!」
しっかりと抱きしめる祖父の姿に、ハルは動揺した。祖父がここまで感情をあらわにすることは(ハルを叱るとき以外で)見たことがなかった。
「ご無沙汰しております。エバーグリーン様。」
「カンタベリーか・・・。」
「ご連絡もせずに申し訳ございません。」
「いや、いい。二人とも中に入りなさい。」
たった1日ぶりだというのに、ハルにはこの管理小屋がなぜだかひどく懐かしく感じた。カンタベリーに並んで腰掛けたソファは相変わらず硬くて決して座り心地がいいとは言えない。それでもハルにとっては安心感があった。
「単刀直入に申しあげます。ハル様は、最後の神官に選ばれました。」
「何だって?」
カンタベリーの言葉に、祖父はあからさまに渋い顔をした。
「ハルが?神官に?」
「左様でございます。」
「冗談はよしてくれ。」
祖父は、カンタベリーの言葉を遮る勢いで言い放った。
「この子は、随分甘やかして育ててしまった。両親を戦争の中で失い、その死に際のせいで帝都の者からは犯罪者扱い。ついには追い出されてしまったこの子を、厳しく叱って躾けてやることがどうにもできなかった。私のせいで、勉強もできなければ、魔力を持っているくせに大した魔法も使えないときた。こんな“ひとけ”のないところで育ったものだから、人との関わり方だってうまくはないだろう。」
「ちょっと!そこまで言わなくてもいいだろ!」
「ハル、お前は少し静かにしていなさい。」
ハルは思わず声を荒げたが、祖父の目は思った以上に真剣で、途端に口を挟むことなどできなくなってしまった。
「神官のように立派な大人に育ってくれればと何度も何度も願わずにはいられなかった。だがそれは、あくまでも神官のように、という話だ。危険で責任感を問われる神官に、この子がなれるわけがないんだ。」
「水晶は彼を選んだ。」
カンタベリーの言葉に、祖父はハルの首元に目をやった。翠色の水晶を抱いた孔雀が祖父を睨みつけている。
「これがどういう意味か、あなた様はよくご存知でしょう。」
祖父は大きくため息をついた。
「こんな子でも、可愛い孫なんだ。劇的ではなくとも、危険な目に遭わず静かに暮らせる。それも十分幸せなことだと思わないか。」
「神官にふさわしい素養をお持ちだとしてもですか。」
「そうだ。」
そのとき、カンタベリーは窓際の写真立てに気づいた。見えないように伏せられている。
立ち上がってその写真を手に取った。小さな男の子を中心に家族らしい三人が幸せそうに笑っている。
「じいちゃん。」
沈黙を破ったのはハルだった。
「俺、昨日初めて攻撃魔法を使った。」
「お前が?」
「魔物と戦うのはすごく怖かった。一人じゃまだ何もできないし、魔法だってひとつしか覚えてない。多分、今の俺は神官になったって足手まといにしかならないと思う。」
「それじゃ・・・」
「だけど、だからこそ分かる。ずっと戦争の中で戦い続けた父さんと母さんは、やっぱり逃げ出すような臆病者なんかじゃない。」
ハルは、祖父の目をまっすぐ見つめた。
「誰かのためにとか、国のためにとかはどうでもいい。考えてない。俺が神官になるのは二人が立派な魔道士だったと証明するためだけなんだ。そんな自分勝手な理由で俺は神官になるんだよ。」
「・・・危険な目に遭うかもしれん。」
「それで逃げたら、父さんと母さんが臆病者だと認めることと同じだ。」
「エバーグリーンさん。」
カンタベリーは、写真が見えるように置き直した。窓から入った光が写真を照らし、明るく輝いて見える。
「ご存知でしょうが、今この国はどうも間違った方向に進もうとしているように見えます。ハル様の、この強い思いは、きっとこの国を変えますよ。」
そして、深く腰を折った。
「ハル様のことは私が守り抜きます。私の命に代えても。」
その姿を見て、ハルも慌てたように頭を下げた。
自分でも必死になっていることが不思議でならなかった。
神官だなんて自分には関係ないと思っていたし、いざ選ばれたと言われた時も「なぜ自分が」とは思ったものの、嬉しくもなければやりたくないとも思わなかった。なのに。
「お願い。このまま俺を、ただの可哀想な子で終わらせないでよ。」
ハルのその言葉に、祖父もついに首を縦に振るのだった。
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