第6話
魔法の攻撃力と防御力を決定づけるのは一も二もなく魔力である。
どれだけの魔力を魔法として具現化できるか、魔法使いが生まれ持った魔力の量とそのコントロール力次第で、たとえ相性が悪い攻撃を受けても相殺・反撃できる可能性がある。
強い魔道士相手に太刀打ちできないのであれば、攻撃の手数を増やして相手の魔力操作を散らし、隙を生み出す。そうすれば弱い魔法や物理攻撃でも決定打となりうるのだ。
「そうは言ってもハルは今、たった一つしか呪文を覚えてない。あの魔物を倒すにはなんとかして意識を逸らすしかないね。」
「なんとかって・・・。」
「それは自分で頑張ってよ。僕、べつに君の先生じゃないんだから。」
スッパリと言い切られてハルは項垂れる。
「大丈夫。俺もリアも倒せなかったんだから。気にせずチャレンジ、チャレンジ。」
ホタルは対照的にハルの肩をポンと叩いて励ましてくれた。
リアトリスは扇で口元を隠していて、今度は本当に感情が読めなかった。
演習場には、五人が戻るのがわかっていたように、カンタベリーが先ほどの魔物と共に立っていた。
「おや、みなさまどうされましたか。」
「分かってるくせにサ。」
カンタベリーはハルが構えた杖を見る。
「良い杖を作ってもらいましたね。」
「はい。さっきは、イブニングに魔法を使わせてもらった。だけど俺、自分の力で魔法を使いたいんです。だから、練習に・・・。」
ハルは、呪文が書かれた紙を読み上げようとポケットから取り出す。
すると、獣が吠えた。
驚いて目を向けると、とんできた火球によって紙切れが燃やされる。
「あ!」
「練習?いいえ、特訓ですよ。突如現れた獣は、教科書を読む隙など与えてくれません。」
「案外、スパルタなんですね・・・カンタベリーさん。」
「ええ、よく言われます。」
カンタベリーはにっこりと笑った。
一つ、二つ、火の玉が容赦なくハルを襲う。
森の中で鍛えられた足腰を持ってしても、いつまでも走り回って逃げるのは無理がありそうだ。見かねたイブが、大きな声で叫ぶ。
「杖を構えて!魔法は杖の先、水晶が向けられた方向に飛んでいくから。それから呪文!」
「呪文って、言ったって・・・!うわあ!」
唱えようとすれば、火の玉が直撃だ。
攻撃を避けようと走り回っていては息が続かない。
途中で詠唱が途切れた魔法はうまく発動しなかったり、あさっての方向に飛んで行ったり、まるで意味をなさない。
このままでは埒が開かない。なんとか相手の動きを止めるしかないが、他に呪文も知らないし・・・。いいかげん息が切れてゼエゼエと息をつくハルに向けて、再び攻撃の手が飛んでくる。
だめだ、やっぱり俺じゃ敵わない。
失敗どころか、挑戦すらできなかった。なんて情けないんだろう。
ハルは諦め、攻撃を甘んじて受け入れようと杖の先を下ろす。
その時、ハルの前に小さなシールドが張られた。
火球はシールドを破壊こそしたものの、ハルの体にまでは到達しなかった。
「気まぐれなる天空の覇者、この手に宿りて輝きを放て。エレクト!」
パリパリと音を立てながら、光が放たれる。雷の魔法だ。
「まだ魔法も発動できてないくせに、何やってんのサ。」
リアトリスの脇から、ホタルが目にも止まらぬ速さで飛び出していく。
相変わらず美しい太刀筋はまっすぐ獣の首筋を狙う。
「さあ、ほらいくよ。」
リアトリスは小さな杖を獣に向ける。
「我らにポスポロスの安らぎを与えたまえ。シャイネン!」
杖の先から、とてつもない光量が飛び出す。
ホタルの攻撃にシールドを張ることに意識を裂かれた獣は、その光をもろに受け、眩しさに視界が奪われている。
「呪文を唱えるときはちゃんと魔力を放つイメージを持って。思いっきり!」
「さ、ほら、センセイの言う通りにサ。」
目を潰された獣はブンブンと被りをふって、めちゃくちゃに火を放つばかりだ。
ホタルはすでに距離をとっている。リアトリスはいつでもシールドが張れるようにハルに杖を向けている。
ハルは、そんな二人の姿に、深く息をついてから今度は思い切り吸い込む。
「美しく勇猛なる戦士よ、その鋭い翼の刃でもって、彼の者を切り刻め!ウインド・クーペ!」
まっすぐ向けた孔雀の眼差しから、勢いよく旋風が巻き起こる。獣はそのかまいたちに切り刻まれ、やがて黒い霧となって姿を消した。
「や、やった・・・!」
「やったね、ハル。」
「うん、でも、ホタルとリアトリスがいなかったら・・・」
「何でもありなんだろ?カンタベリー。」
刀剣を鞘に収めながらホタルがカンタベリーをチラリと見る。
「ええ、おっしゃる通りです。先ほども申し上げましたが、神官は常に一人で戦わなければならないわけではありません。一人で敵わないなら二人、二人で敵わなければ三人。そうやって、力を合わせれば宜しいのです。」
「あんな魔物くらい一人でやっつけてもらわないと困るんだけどな。」
ボソリと呟くイブニングだが、誰も気に留めない。ハルが自分で魔法を発動できたことに、まんざらでもない表情なのを分かっているのだ。
「お見事でしたよ、ハル様。神官塔には風属性の呪文教書も多く置いてあります。ハル様ならばきっとすぐに使いこなせます。」
「・・・そっかぁ、呪文覚えなくちゃいけないのか・・・。」
「何言ってるの。普通魔法使いなら初級呪文教書くらいは学校に行かなくったって読んでるんだから。これまでサボってきたツケだよ、ツケ。」
「うう〜。」
「さて、ずいぶん日も暮れましたし、執務室にお戻りになられてはいかがでしょう。」
その言葉に、ハルたちはドッと疲れに襲われ、言われた通りに神官塔に戻ることにした。
当然、神官塔までのあの長い道のりを歩いて。
神官塔執務室の奥、五人それぞれの私室がある廊下を抜けると、石造りの階段が現れる。上の階まで上がった先には、ダイニング、そして大きな大きな浴室があった。アルカディアでは泉で水浴びをしたり、沸かした湯をタライに貯めて湿らせた布で汚れを拭き取るくらいだったが、帝都では大きな浴槽に湯を張って身体を沈めるのが一般的らしい。
そして帝都の城内にあたる神官塔ではその浴槽の広さと言うのも規格外で・・・。
贅沢にガラスでできた戸をひくと、脱衣所にまでたっぷりの湯気が溢れてくる。
しばらくして湯気が落ち着くと、そこには泉と遜色ないほどに大きな浴槽が広がっている。四人で体を沈めてもまだあまりあるほどだ。
壁には獅子の顔が彫り込まれていて、なぜかその口から湯がザバザバと流れ出ていた。辺境の村やアルカディアでは高級品に当たる石鹸も使い放題置いてある。
ハルは興奮して湯船に飛び込もうとしたところを「汚いでしょ」とリアトリスに殴られた。
「んあ〜〜〜〜〜」
ハルにとっては、たっぷりの湯に体をつけると言うのは初めての経験だ。
それにしてもなぜ、無意識のうちに声が漏れてしまうのだろうか。
声と一緒に、歩き回って棒のようになった脚の疲れが滲み出ていくようだ。
リアトリスやイブニングらは、慣れた手つきで体を清め、湯に浸かる。
みんななぜだか、ハルと同じ様にぬあーとかうあーとか言葉にならない声をあげて体を沈めた。
「全くハルのせいで余計に疲れたよ。」
「はは、ごめん・・・。」
「冗談だよ。ハルは見かけによらず真面目だなあ。」
「・・・それって不真面目そうな見かけってこと?」
「違うの?」
「・・・まあ、違わない、けど・・・。」
リアトリスのいう通り、今日は本当に疲れた。突然アルカディアから飛ばされて、初めてみる帝都の街に驚いて、自分の杖なんていうものを手に入れて、それから・・・
「魔法を・・・使ったんだ・・・。」
「初めてにしては上出来だったんじゃない。」
イブニングはお世辞でも嫌味でもない、事実を淡々と述べるように言う。
「俺、魔道士を見たのも初めてだ。」
「・・・それって僕のこと言ってる?」
「うん。イブニングは学校に通っているんでしょ。すごいなあ・・・。きっともっと強い魔法もいっぱい知っているんだよね。」
「・・・まあ。でも、プリムラがいるし。魔法が知りたいならあの人に聞いたほうがいいよ。」
イブニングはそういうとさっさと湯船から上がってしまった。
「・・・ねえ、リアトリス。プリムラって、どんな人なの?」
「え?ああ、プリムラね・・・。」
「“最強”だ。」
ホタルが横から即座に答えた。
「帝都で最も強い魔道士だと思う。」
「そうね。プリムラに一つでも魔法を当てられたなんていう人がいたら会ってみたいもんだよ。」
「そんなに強いんだ・・・。」
「噂じゃ、魔法で一国落としたことがあるとか、大賢者様の跡を継がれる予定だとか、カンタベリーさんとの勝負に勝っただとか・・・。どこまで本当かは怪しいもんだけど、そう噂したくなるのも頷ける。」
ハルは、そういう二人の言葉に、どんな屈強な男なのだろうかと想像を巡らせた。きっと筋骨隆々、強力な攻撃魔法を多用する雄々しい青年なのだろう。なんだか、いつか会うのが怖くなってきた・・・。
「イブニングはさ、そんなプリムラを超えたくて頑張ってるタイプなんだよ。」
「イブが?」
「どんなに頑張って優秀な成績を収めても、今の帝都じゃプリムラの陰に隠れて讃えられることもない。それが我慢ならないのサ。」
「誰もが憧れる神官に選ばれたっていうのに、呼び出されてみればプリムラもとっくに神官として活躍してた。そりゃあちょっとは卑屈にもなるだろ。」
なるほど。イブニングがカリカリしているのはつまり、プリムラという青年への嫉妬か。あの優秀なイブニングが嫉妬するほどの存在。ますます、会うのが恐ろしい・・・。
ハルはなんだか憂鬱になって、湯船にぶくぶくと頭まで沈んだ。
風呂から上がると、外はすっかり暗くなって丸い月が空に浮かんでいた。
それぞれが私室に引き上げ、あたりはシンと静まり返っている。
ハルも自分の部屋の扉を開けて、ベッドにごろりと横になる。目まぐるしい1日を過ごして体はヘトヘトだが、頭の方は冴えてすぐには眠れそうにない。
呪文を覚えろということだったし、例の呪文教書でも読んでみようか・・・。
そう思って、上体を起こしたちょうどその時、コツコツ窓を叩くような音がした。音のした方を見ると、部屋の窓を鷹がクチバシでコツコツ叩いていた。見覚えがある。間違いなく、アルカディアの森から飛んできた鷹だ。
「そっか、じいちゃんに何にも言わずに出てきちゃったから・・・。」
慌てて窓を開けて、鷹を部屋に入れてやる。足首には、書類筒が括り付けられていた。
「家出するなら書き置きくらい残せ・・・か。」
おそらく、喧嘩したまま帰ってこないハルが家出をしたと思っているのだろう。
「えー、と・・・。神官に、選ばれたので、帝都城内で仕事をすることになりました・・・と。」
急いで書斎机の引き出しから羊皮紙と羽ペンを取り出すと、簡単な経緯と今の処遇を書き記すと、紙を丸めて筒の蓋をきっちり閉める。すると鷹は何も言わずに再び窓から飛び出して、まっすぐ森に向かって飛び立った。ハルは窓から身を乗り出して鷹が向かった先を見つめる。夜もふけた真っ暗な中ではあっという間に鷹の姿は見えなくなり、故郷の森もよく見ることはできなかった。
ふー、と長く息をつく。すると、左手にあるバルコニーからカーテンがはためいているのが見えた。どうやら窓が開けっぱなしになっているようだ。
ハルは静かに部屋を出ると、窓を閉めるためにバルコニーに向かった。
廊下の途中には、ハルの背よりも随分大きいアーチ状の窓がある。その窓の外にバルコニーがあり、胸元までの高さの手すりが設けられている。今日のように天気のいい夜なら月や星を眺めて楽しむだけの余裕がありそうな広いバルコニーだ。
その窓が半分開いていて、勢いよくカーテンが靡いている。森の中にいる方が星はたくさん見えたような気がするが、それでも高さがある分、目の前には広大な星空のみが広がっていて圧倒されそうだ。
ほー、とハルが感心したように空を眺めていると、星々から光が集まったように当たりが銀色に輝き出した。その光は、段々と人の姿をかたどり、やがて一人の魔法使いが姿を現した。少女だろうか?背はハルよりもだいぶ低い。肌は白くて透き通るようだ。体の線も細く、全体的に華奢な印象だった。三つ編みにして一つにまとめられたピンクがかったゴールドの髪が風に揺られる。突如舞い込んだその突風に思わず目を閉じたハルが再び目を開けると、透き通るようなハチミツ色の瞳と目があった。
その人は不思議そうな顔をしながらハルに手を差し出した。そこでハルはようやく、自分が尻もちをついていることに気がついた。そっと握った手は細くてほんのり冷たくて、強く握ったら壊れてしまいそうだった。
その魔法使いが向かった先は、廊下の一番奥、赤いプレートがかかった部屋の扉を開けた。扉の隙間から見える部屋はひどく荒れていて、まるで泥棒にでも入られた後のようだった。
「わ!だ、大丈夫!?」
思わず声を上げたハルを、その人はじっと見つめていた。
「あ、ご、ごめん。女の子の部屋を覗き見するなんて・・・。」
すると、途端にコロコロと笑い始めた。
「大丈夫。そんなこと気にしないよ。」
「あれ?」
思ったよりも声が低い。
「僕は女の子じゃあないけど、ここまで汚い部屋を見られるのはちょっと恥ずかしいな。」
そう言って、魔法使いは指を軽く一振りした。すると、散らばっていた本や資料、羽ペンに衣服類に、蓋が開いてこぼれていたインク瓶までもが時間が巻き戻るかのように元あっただろう場所にお行儀よく並んで行った。
「僕はプリムラ。君は、最後の神官だね。よろしく。」
プリムラは改めて手を差し出す。
ハルはポカンとしたまま、それでもなんとか手を握り返した。その手はやっぱり細くてほんのり冷たかった。
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