第3話

ハルが詳しく聞こうとするより先に、リアトリスは話題を変えてしまった。


「それで?こんな埃っぽい部屋で一体何してるわけ?」

「あ、いや、その、掃除をしようと・・・。」

「掃除??」


リアトリスはハルの姿を上から下までじろりと眺めた。


「なるほどネ。・・・ホタルー!」


廊下に出て大声で叫ぶ。しかし、誰も出てこない。

斜め向かいの部屋に再び声をかけながら、ノックもせずにガチャリと扉を開ける。すぐに一人の少年を引き摺りながら戻ってきた。短い金髪で、眠そうな碧眼だ。


「掃除、手伝ってあげてよ。先輩なんだから。」


少年はムッとした表情で


「魔法は苦手なのに・・・。」

と言いながら、どこからともなく杖を取り出した。


「えーと・・・なんだっけ。」

「レーゲン。雨降らせて。」

「あぁ・・・、えー、すべての生命の源、蒼く輝くナイアドの加護を今ここに。ウォーター・レーゲン。」


一音一音確かめるように少年が唱えた。すると、ハルの部屋に突然雨が降り始める。雨に濡れないように廊下で鞄をゴソゴソと探っていたリアトリスは、1冊の本を取り出した。ペラペラとページをめくってから、あるページに手をかざす。緑色の柔らかい光が本を包むと、小さな竜巻が現れて、部屋中を駆け巡った。雨と竜巻はそのまま窓から外へ飛び出すと、サー、とたちまち消えてしまった。

部屋の中は先ほどまでとは見違えるように綺麗になっている。家具や調度品の細かい隙間まで磨かれたようにピカピカだ。


「帝都に住む神官なら、魔法くらい使いこなせなくちゃ話にならないよ。」


リアトリスは、またニヤニヤと意地悪そうに笑っている。ハルは一瞬ムッと怒りそうになったが、差し出された手を見るとすぐに思い直して手を握った。


「改めて、俺はリアトリス。黄金の水晶を持つ雷の神官だ。神官になったのは君より早いとはいえ、たかだか数ヶ月の話だからさ。一緒に頑張ろうね。」

「う、うん。俺はハル。この水晶を見つけて・・・。今日ここにきたばかり。」

「生まれは帝都?」

「うん。でも育ったのはアルカディア。」

「アルカディア?それじゃここら辺のことは?」

「まだ何にも。」

「そうか。それじゃ揶揄うようなこと言って悪かったなァ。」

「まあ、本当のことだし。」


リアトリスは、隣の少年の肩をポンと叩く。


「ほら、ちゃんと挨拶しなよ。あんたそれでも副団長なんだろ?」


金髪の少年も手を差し出したので、ハルは握り返した。


「ホタル・グラジオス。帝国軍騎士団の副団長だ。俺も先月ここにきたばっかりだから、正直神官のことはよくわからん。だから俺には聞くな。」

「なんだよそれ!」

「あはは。来たばっかりの人が他にもいると心強いよ。よろしくね。」


掃除と挨拶が終わるのを見計らっていたように、カンタベリーが紅茶を入れて持ってくる。トレイにはカップが3つ。まるでこうなることがわかっていたようだ。


「皆様ご苦労様でした。お茶を淹れましたので休憩なさってください。」


立ち上る湯気に乗って、安らぐような香りが鼻をくすぐる。一口含むと、じんわり体に染み渡って疲れが流れ出ていくようだ。ここにきてまだ何もしていないというのに、いつの間にか気疲れしていたらしい。


「あー、なんだか癒される感じ・・・。」

「回復薬を調合しております。」

「調合?」

「複数の材料を混ぜ合わせて特別な効果を付与するのです。突き詰めれば魔法薬となります。」

「なんだか難しそう・・・。」

「手順と仕組みさえ理解すれば調合はどなたにでもできますよ。魔法薬となると必要な知識量がぐんと増えますが。」

「魔法薬はイブの専売特許。俺らが立ち入るような領域じゃないね。」

「イブ?」

「神官。そのうち会えるよ。」


カップの水面は、不思議とキラキラ輝いているように見えた。

波紋に映る自分の顔をじっと見つめる。


「・・・二人は、神官になること迷ったりしなかった?」


リアトリスとホタルの二人はキョトンとしたようにハルをみた。

変なことを言ったかもしれない。慌てるハルにリアトリスはケラケラと笑い出した。


「さっきも言ったでショ。俺も“被害者”の一人だって。」

「リアトリス様・・・。」

「本当のことじゃん。神官について、魔法について、水晶の秘密について。何にも説明しないで、神官になれば夢を叶えられるとかなんとか言って。俺としたことがうまく言いくるめられちゃったよなあ。」


じと、と睨むリアトリスに、カンタベリーもタジタジだ。


「俺は特に何も・・・。騎士団やってるくらいだし、国を守れと言われればそうするまでだし・・・。」

「ホタルはさあ、逆にもっとわがまま言えっての!じゃないと俺らがわがまま言えないんだよ!」

「言ったって。なんでもいいって言うから、アトリエをもらった。」

「アトリエ?」

「こいつ、騎士団のくせに芸術大好きマンなんだよ。絵画に彫刻、歌に舞踊なんでもござれだ。」

「俺は戦争が大嫌いだから。いつか、この国から、世界から争いが全部無くなればいい。そのためには芸術だ。芸術はいいよ。誰も死なない。悲しまない。神官なら、民衆に芸術を広める機会を手にできるかもしれないからね。」

「・・・リアトリスも、神官になって何か叶えたいことが?」

「まあ、ね。俺はそんな高尚なものじゃない。「この国一番の金持ちになる」。うちは商人の家系だからさ。クリーンな商売でこの国一番になる。そうすれば、悪徳商人がのさばることも無くなるだろ。だから、そのためのチャンスをもらった。ハルは?何か叶えたいことがあるんでしょ?何か頼んだの?」

「あ、ええ、うーんと・・・。」


ハルは返答に困った。両親のことを二人に話せば軽蔑されてしまいそうで。

やっぱり避けられたりしてしまうのではないだろうか。特にホタルは騎士団の副団長だと言うし、リアトリスだって、不正とかそういうのは嫌いそうだ。二人はハルの迷いを察したのか、顔を見合わせて言った。


「まあ、人間誰しも言いたくないことの一つや二つ・・・。」

「誰が何のために神官になるかなんて、聞いても聞かなくても同じだしね。互いに協力することでもなし。」


ハルは同年代にそういう態度で接してもらったことはなかったため、拍子抜けしてしまった。


「ハル様。こちらにいらっしゃる方々は皆ハル様と同じ神官でいらっしゃるんですよ。」


カンタベリーはなぜが機嫌よくカップに紅茶を注いでくれた。

ボーンボーン・・・と柱時計の音が鳴る。

リアトリスとホタルの二人は突然、急ぐように紅茶を飲み干した。


「それじゃ、俺たちはこれでー・・・。」

「そうそう。こう見えて忙しいから、俺たち。」


カップを置いてそそくさと立ち去ろうとする二人のローブをカンタベリーが後ろからむんずと掴んだ。


「何をおっしゃいますか、お二人とも。イブニング様が帰られます。特訓の時間ですよ。」


特訓とは一体なんのことだろうか。しかし、その言葉を聞いた途端にリアトリスとホタルの二人が思い切り顔を顰めたのをみて、ハルにもそれはあまり楽しくないことなのだろうと察しがついた。


「リアトリス様もおっしゃっていたように、帝都に住む神官であれば魔法は切っても切り離せません。水晶の力や神官の職務についてもご説明せねばなりませんから。お二人とも、どうかお付き合いくださいませ。ハル様のために。」


そう言われてしまえば、二人にはもはや逃げる術はなかった。


カンタベリーに連れられて、三人は聖堂塔の裏手に向かって歩いた。やはり魔法でひとっ飛びというわけにはいかないらしい。アレスティナは春もすぎ夏の準備を始めている。例年この時期になると雨が増え、一度気温がグッと下がるのだが、今年はどうも様子が違った。


「随分・・・暑いね・・・。」


アルカディアの森は木々に覆われて日陰が多く、夏でもひんやりと涼しい。

だからハルは今年の雨期がこんなに暑いとは知らなかった。


「なぜか今年は雨が少なくて・・・。まだ夏は始まっていないっていうのに暑くてたまんないよ。」


それならますます瞬間移動すればいいのに・・・と不満を抱きつつ、舗装の甘い道を砂埃を上げながら歩いていった。


神官塔の裏手をしばらく歩くと、グラウンドのように開けた場所に出る。あたりは木や茂みに囲まれているが、だだっ広い円状の広場には石ころ一つ落ちていない。近場の木の根元、日陰になっているあたりに一人の少年が立っていた。


「さあ、着きました。ここは神官演習場。一般人は誰も来ませんから、武術・魔法・召喚魔法、なんでも練習できますよ。」


カンタベリーの声に気づいたのか、少年はこちらに近づいてくる。

ハルに気づくと、興味深そうに繁々と眺めた。


「イブニング様。お待たせいたしました。こちらは最後の神官様です。」

「イブニング・プリムローズです。みんなはイブと呼ぶよ。よろしく。」


礼儀正しく名乗るイブに、ハルも慌てて差し出された手を握った。


「待ってたよ、風使い。」

「・・・風つかい??」

「イブ、ハルも俺と同じ“被害者”だから。」

「え?じゃあ、魔法は?」


リアトリスは両手を広げて肩をすくめた。


「ハル様。」


カンタベリーに呼ばれ、演習場の中心部に出ていく。


「魔力はご存じですね?」


こくりと頷く。


「では、指を上に向けて。水晶をもう片方の手で触れながら、指先に魔力を集めてみてください。」


ハルは訳がわからないまま言われた通りにやってみる。指に魔力を込める、つまり治療する時みたいにすればいいのだろう。すると、旋風が一つ、指先からぶわりと現れる。しかし、ハルが驚くと風はすぐに消えてしまった。呆気にとられるハルに、カンタベリーはにこりと微笑んだ。


「これが、水晶に込められた神のご加護です。」

「神の・・・ご加護?」

「皆様がお持ちなのは“アレスの水晶”。大魔道士アレスが残した魔法の力です。ハルさまがお持ちの翠色の水晶には、風の魔力が込められています。」

「だから風が・・・。」

「はい。その水晶に選ばれれば、例え魔法使いでなくとも魔法が使えるようになるのです。」

「すごい・・・。」

「この力を使って、国を守るのが神官です。ですから、皆さんにはこの魔法を手足のように使いこなせるようになってもらわねばなりません。」

「それが、特訓!」

「そういうわけでございます。」


カンタベリーはそこまで話すと、手を宙にかざす。

魔力が込められているのが肌で感じられた。

光が集まって、そこに四足歩行の狼のような魔物が現れた。


「この子は、私の召喚獣です。さあ、皆様。どんな手を使っても構いません。この子を討伐して見せてください。」

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