第2話

ハルはカンタベリーに案内され、執務室に向かっていた。首飾りのテレポートで飛ばされてきたこの場所は、アレスティナの4つの都市のうち、政治と軍隊が集まる主要都市・アレスティナ帝都、その中心部にある城の中だった。

城には複数の塔が立っていて、それぞれ使用人や大臣らが住み込みで暮らす邸宅や執務室になっている。国のために働く神官も例外ではなく、神官専用の「聖堂塔」が立っている。


その聖堂塔・執務室フロアに向かってひたすら二人で歩いて行った。

国の中枢というだけあって、それぞれのエリア間が途方もなく遠い。こういう時こそテレポートでひとっ飛びかと思っていたが、魔法使いというやつは湯水のように魔法を使い放題というわけにもいかないのだろうか。


渡り廊下をいくつも歩いて、ようやく神官塔にたどり着いた。

至る所にピカピカの装飾が施されていて、カネというのはあるところにはあるもんだな、と嘆く。これまた無駄に長い廊下や階段を通って、ようやく「神官執務室」というプレートがついた扉の前についた。プレートもやはり金ピカだ。


カンタベリーに促されて、ハルは重い扉を押し開ける。中は思った以上に広々としていて、何かの会議室のようだった。赤いベルベットの大きなソファがいくつも並び、ガラステーブルやアンティーク調のコーヒーテーブルがあちこちに置いてある。立派な書斎机は5つ、均等な間隔をあけて壁沿いに設られ、その後ろにある大きな窓からたっぷり陽が差し込んでいる。


1つは何も置かれていないが、他の4つの机は個性的な有様だ。地球儀や海図、どこかの地図が乱雑に置かれた机や、本棚にも入りきらなかったのか、古びた本が山のように積まれた机もある。一方で、羽ペンと封蝋しか置いていない机もある。とりわけ目立つのは、書類や本に埋め尽くされ、作業のスペースがほとんどない机だ。その周りでペンやインク瓶が空中を忙しなく動き回り、勝手にサインを書いたり、封筒に書類を納めて蝋で閉じたり。


「いくら魔法が堪能でも、普通あんなことはしません。真似なさらない方が良いですよ。」

「真似したくたって出来ません・・・。」


背の高い本棚には本がぎっしり詰め込まれ、埃一つない。きっと頻繁に読まれ、丁寧に管理されているのだろう。


「こちらは共用の執務室でございます。神官様によってはご来客が多い方もいらっしゃいますので、こちらでゲストの方とお話しいただいています。」


タイミングを見計らったかのように、一人の女性が隣の部屋から出てくる。手には、カップを並べた銀のトレイがあった。


「さすがエミリア。ちょうど良いところにきました。最後の神官様がご到着されましたよ。」


女性は、大きく動揺することもなくその場で恭しく会釈をする。


「あいにく手が塞がっておりまして、簡素なご挨拶で申し訳ございません。私は神官執務室付きのメイドでエミリアと申します。」

「あ、は、ハルです。」

「ハル様。困ったことがあればなんでもお申し付けください。」


エミリアは再び会釈をして奥の扉の先へ向かっていった。扉は触れることもなくエミリアを迎え入れるように開く。


「私たちも彼方へ参りましょう。奥が皆様の私室となっております。」


カンタベリーに案内されて、奥の扉を開ける。扉の先にはさらに廊下が続いていて、部屋が5つ並んでいた。


「私室には書斎と寝室が備えられております。シャワールームもございますが、上の階に大きな浴槽がございますので皆様そちらを使われることが多いようです。上にはダイニングもございます。私かエミリアにお申し付けくださればすぐにお食事をご用意しますので遠慮なくおっしゃってください。」

「・・・至れりつくせりだ・・・。」

「神官様ですから。」


にこりと笑って、カンタベリーは緑色のプレートがかかった扉の前で止まった。


「こちらがハル様のお部屋でございます。」


扉を開けるとボワっと音がしそうな勢いで埃が舞い上がり、カンタベリーはすぐさま扉を閉めた。


「・・・失礼いたしました。如何せん、神官様がいつ現れるか誰にも見当がつかないもので。長らくこちらの部屋は手付かずになっていたようです。」

「・・・皆さんも大変ですね。」

「すぐに使えるように準備いたしますので、よろしければ先ほどの執務室でお待ちください。」

「いや!大丈夫です!自分の部屋になるんだし、掃除くらい自分でします。」

「いえ、しかし・・・」

「大丈夫ですって!じいちゃんにうるさく言われてきたんで料理以外の家事はできるんですから。」


腕まくりをしてやる気に満ちたハルの姿を見て、カンタベリーは渋々引き下がった。


「では、何かあればすぐに呼び鈴を鳴らしてください。」


相変わらず姿勢を崩さず綺麗にお辞儀をして静かに去っていった。


廊下から入ってすぐの部屋は、どうやら書斎のようだ。先ほどの執務室のように、飴色の立派な机が一つ。窓に背を向ける形に置かれている。椅子はやや固そうに見えるが、座面や背もたれにはしっかりとクッション性がある。埃が積もり、本来の色はよくわからなくなってしまっているが、どうやらグリーンを基調としているようだ。空の本棚は天井に届くほど大きなもので、おそらくハルがこれを埋めることはできないだろう。衣紋掛けやワードローブ、飾り棚など、置かれた調度品はどれも品の良い高級そうなものばかりだ。


隣の部屋に続く扉を開けると、大きなベッドにクローゼットといかにも眠るための部屋という感じだが、広々としていて居心地が良さそうだ。カンタベリーの言っていた通り、シャワールームまである。


これだけ広い部屋を一人で掃除するとなると、かなり骨が折れそうだ・・・。

ハルは戸棚からほうきやはたき、雑巾がわりにできそうな布切れを引っ張り出すと、腕まくりをして気合いを入れ直す。

まずは窓を開けて布団を日に当てる。掃除は上から。はたきで大きな埃を床に落として行って、箒でざっとまとめて、最後に水拭き、乾拭き・・・。

寝室の掃除を終えた頃には全身埃でザラザラとベタつき、汗だくでヘトヘトになっていた。


「少し休憩・・・。」


スツールを窓まで引っ張って座り、窓から城下を眺めた。

帝都の中でも高台に位置する神官塔からは、街の様子がよく見える。森に囲まれたアルカディアとは違い、帝都は石畳で道が舗装され、所狭しと住宅が立ち並んでいる。どれも特徴的な赤煉瓦の屋根だ。その街中を洗濯物やガーデニングの花がカラフルに彩っている。


細い裏通りでは、子供たちがチョークで絵を描いたりボールを投げたりして遊んでいるのが見える。通りがかった大人たちも迷惑そうにせず、果物や飴玉なんかをお菓子がわりにやっているようだ。表の大きな通りには露店が出ていて、野菜や果物がたくさん並んでいる。客を呼び込む威勢のいい声がここまで聞こえてきそうだ。アルカディアの森では到底見ることのできない賑やかな景色に、ハルは釘付けになった。


すると、その出店が並ぶ通りに黒いモヤのような影が現れた。テレポートのように一瞬で現れたその影は、人とは思えない速さで人混みを縫うように駆け回っている。その影に気づいた人々が、パニックになって逃げ惑い始めた。その騒ぎにますます混乱が伝播していく。


大変だ、と思ったところで離れた神官塔にいるハルには何もできない。オロオロと困ったように見守るしか無かった。黒い影は人を襲って傷つけている様子ではなかったが、物を奪ったり商品を盗んだりしているのだろう。パニックはどんどん広がっていく。すると、通りに再びテレポートのように一瞬で複数の人影が現れた。人影はそれぞれに杖のような棒を持ち、火やら水やら、惜しげもなく魔法を使って黒いモヤを追い詰めていく。


そういえば、カンタベリーがこの街には魔法使いがたくさんいると言っていた。その分、帝都ではこんなふうに人々が暮らす街の中で魔物や悪さをする魔法使いも頻繁に現れるのだろう。自分もああいうのと戦ったりするのだろうか。


しかし、簡単な治癒魔法しか使えないハルには戦う術はない。

神官だってなんだってやってやると大見えを切ってしまったが、もっと冷静によく考えるべきだったのではないだろうか。そもそも、神官って具体的に何をやるのだろう。もしかして、どこかの国と戦争をしたり、魔法で敵と戦ったりするのかもしれない。ひょっとしたら、自分の命が危険に晒されることもあるのではないだろうか。もし、そうなってしまった時自分は・・・自分は逃げてしまったりするのではないだろうか・・・。両親のように・・・。


「違う!違う違う違う!二人は逃げたわけじゃないし!俺は、勇敢な二人の息子なんだから、俺だって逃げたりなんかしないし・・・!」


ハルはブンブンと頭を振って、考えるのをやめた。

掃除をしよう。


気合いを入れ直してぐるりと部屋を見回した。すると、扉からこっそりこちらを覗く薄い水色の瞳と目があった。


「わ!」


驚いたハルの声にその瞳の持ち主も驚いて飛び上がる。


「びっくりした!突然大きな声出すなよ!」

「だって、のぞいてるから・・・!」


ずかずかとハルの部屋に入ってきたのは、同い年くらいの少年だった。色白でやや童顔気味な顔立ちのせいでハルより少しだけ幼くみえる。

瞳と同じグリーンと水色を混ぜ合わせたような髪色。頭にはゴールドの金具が特徴的なゴーグルをつけていた。あまりこの国では見られない、東の国のような雰囲気の洋服を纏っている。


「あなたは、誰ですか?」

「こんなところにいるんだから神官に決まってるデショ。」


可愛らしい雰囲気とは裏腹に、片側の口角だけニヤリとあげた彼は意地悪な皮肉屋に見えた。


「俺はリアトリス。あんた最後の一人でしょ。ってことは風使い?俺とは相性関係ないね。」

「あいしょう?」

「相性だよ、相性。魔法の相性。風と雷は対等だからね。」

「風?雷?俺、どっちも、そもそも、魔法がほとんど使えないから・・・。」

「・・・はっはーん。」


リアトリスはどこからともなく扇子を取り出して開くと、口元を隠した。それでも目はにやにやとしていて、笑みを隠せていない。


「なるほどねえ。あんたも被害者なんだね。」

「被害者?」

「どうせ、神官の仕事がなんなのか、その水晶がどんな力を持つのか。なーんにも説明してもらってないんデショ。もしくは、何にも考えずに二つ返事で神官になるって約束しちゃったか。」

「う。」


図星だ。まさに今、そのことを後悔しようとしていたところだったのだから。


「な、なんでそんなことがわかるのさ・・・。」

「だってあんた、魔法のことも全然知らないみたいだし。それに・・・。」


リアトリスはパチリ、と扇子を閉じる。


「俺もその被害者の一人だからサ。」


いつの間にかリアトリスの笑顔はどこかに消えていた。

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