神の棲まう国

とねり

序章

第1話


200年前、世界は互いの領土を奪い合い、争いを繰り返していた。

人々の心は闇に蝕まれ、その闇が多くの魔物を呼び寄せ、混迷を極めていた。

そして、積もりに積もった負の感情が突如として災いをもたらす悪神を呼び起こし、各地にさまざまな厄災が降りかかったという。

もがき苦しむ人々を救ったのは、偉大なる魔道士・アレス。

アレスは古代から伝わる封印魔法で悪神を封じ込めると、力を使い果たしその地で眠りについた。


ここは、アレスが眠るとされる帝国・アレスティナ。

200年の時を経て、今では4つの都市を束ねる大きな国に成長した。

厄災からの復活を遂げたアレスティナは、いつしかこう呼ばれるようになった。


「神の棲まう国」



4つの都市からなる帝国・アレスティナ。

そのうちの一つアルカディア保護特区に向かって一直線に伝書鳩が飛んでいく。

その足には、今日の新聞がくくりつけられていた。

雄大な自然が残るこの森には、人間が許可なく立ち入ることを禁じられている。森に住むのは管理人小屋にすむ一家のみ。

その家にも今は老人と少年の二人が住んでいるだけだ。

伝書鳩は管理人小屋の窓に向かって迷いなく飛んでいった。

簡素なキッチンでコーヒーを入れていた老人は鳩に気づくと窓を開け、中に入れてやる。新聞を手際よく外すと鳩は再び勢いよく飛んでいった。



老人は入れ立てのコーヒーと新聞を持ってソファに座る。新聞の一面には大きく「ユリシス併合から20年」と書かれていた。さらに横には、「4人目の神官が明らかに。騎士団副団長の就任に市民も納得」の文字があった。


この国特有の“神官”という職務は、なりたいと思ってなれるものではない。

然るべき才を持ち、国の平穏を保つために重要な職務だとされている。20年ほど神官不在の状態が続いていたが、ここ数年の間に新たな神官が就任し始めた。噂によれば、帝室から直々に指名されるだとか、大賢者様に神からお告げがあるらしいとか言われているが、どのように選ばれているのか真相は誰にもわからない。いずれにしてもこれまでに公表された4人の神官はいずれも才能や教養に満ちた素晴らしい若者ばかりで、市民らからも崇められている。


老人はコーヒーを一口啜ると、改めて新聞を広げようとした。

その時、2階からドタドタと派手な音を立てて、少年が駆け降りてくる。老人の姿に気づくと一瞬「ゲ」という表情をした。


「こら、ハル!お前まさかまたサボる気じゃないだろうな!」

「だって退屈なんだよ!草だの木だの見て回るだけだろ。遊ぶついでにやっておくから。」

「全く・・・ほら今朝の新聞見てみろ。4人目の神官が決まったそうだ。またお前とそう変わらないくらいの子だよ。」

「へーへー。俺はそんな優秀な子じゃなくて悪かったねーだ。」


口の減らない少年に、老人も呆れ顔だ。


「そんなんじゃ、いつまで経っても父さんや母さんのような立派な・・・」

「立派じゃない。」


少年は、冷たい目で老人を見る。


「立派じゃないから、俺はここにいるんじゃないか。」


そういうと、少年は今度こそ家から飛び出していった。

老人は小さくため息をつくと、新聞にざっと目を通す。今度の神官様は、騎士団の副団長だという。若くしてこの国一番の剣技を持つ将来有望な兵士だ。この国を守る軍の先頭に立つような存在の彼ならば確かに誰もが納得するだろう。

・・・たった今家を飛び出していった彼も、神官に選ばれるような立派な青年に育ってくれればと思っていたが、どうにも子育てとは難しい。最近は、楽しく元気に生きてくれればそれでいいと思うしかない。


よっこらせと立ち上がると、鳩が飛び立った後も開けっぱなしになっていた窓を閉める。よく日のあたるその窓辺に置かれた写真に目をやった。笑顔の3人家族が写るその写真に、老人は再びため息をついた。


その頃、少年は木の上でベソベソと泣いていた。


(犯罪者の息子なんか出ていけ!)


遠い昔の記憶が蘇る。


「犯罪者なんかじゃない。絶対、ぜったい・・・。」


彼の名前は、ホーリー・エバーグリーン。愛称はハル。今年16歳になる少年と青年の狭間にいる彼こそが老人の孫だ。生まれは帝都だが訳あって祖父が働くこのアルカディア保護特区の管理人小屋に住んでいる。周りは木々と舗装されていない荒れた獣道に囲まれ、友人は動物たち。今日も森の奥にある精霊の泉まで行ってシカかキツネか・・・いつもの友人たちと遊ぶつもりだったのに。


いつまでも泣いているハルを慰めるように小鳥が腕に止まる。ツンツンとつつく小鳥の羽毛をそっと撫でるとぽかぽかと温かい。少しは気が紛れてきた。袖で乱暴に涙を拭ったハルは、気を取り直して動物たちに会いにいくことにした。


慣れた様子で獣道を歩いていると、草むらの奥からクンクンと鼻を鳴らすような声が聞こえた。道のないその草を分け入っていくと、トラバサミに足を挟まれて動けなくなったシカの姿があった。よく背に乗せてくれる友達だ。慌てて罠から足を外してやる。後ろ足に刃がしっかり食い込んでしまったのか、血が流れてひどく痛々しい。ハルは急いでポーチを探った。しかし、こういう時に限って救急セットを置いてきてしまった。


「ちぇっ。じいちゃんのせいだ。」


ハルは両手を怪我にかざすと、そっと息を吸い込んで力を込めた。柔らかい緑色の光が患部を包む。ハルが唯一使える魔法、簡易的な治癒魔法だ。傷は浅かったのか、すぐに血は止まり、傷も塞がっていく。しばらく安静にしていれば、跡もなくなるだろう。シカは治った足を確かめるようにくるくるとその場で回ってみせた。元気そうな様子にほっと息を吐く。


「こんな魔法しか使えないんだ。神官どころか、本当に父さんと母さんのようになんて・・・。」


しょんぼりとした様子でつぶやくハルの頬を、べろりとシカが舐める。お礼でも言っているように思えて、ハルはお返しにシカの頭を撫でてやった。


それにしても、こんな罠が仕掛けてあるなんて、密猟者か何かが紛れ込んでいるに違いない。祖父に伝えなければ。退屈な仕事なんてやっていられないが、侵入者がいるなら話は別だ。仕方なく遊ぶのはやめて管理人小屋に戻ろうとするハルの腕をシカが咥えて引き止めた。ぐいぐいと引っ張って、まるでどこかに連れて行こうとしているようだ。本当はすぐにでも密猟者を捕まえたいところだが、大人しくシカについていくことにした。


アルカディアの森の奥には美しい泉がある。人の手はほとんど加えられていないのに、いつも花が咲き乱れ、木々の隙間から日が差し込み、水面はキラキラと輝いている。精霊の泉と呼ばれるこの場所は魔力に満ち溢れ、邪気を浄化する作用があるとされている。その恩恵を得ようと多くの人々が殺到し争いにまで発展したことから今では管理人以外の立ち入りが禁じられている。しかし、この泉や泉の水を飲んで生きる動物たちを狙った密猟者がたびたび侵入してくるのだ。


おそらく、先ほどの罠を仕掛けた者もそういった類に違いない。もしかすると何か痕跡が残されているのかも。草木を傷つけないよう慎重に泉に近づく。ほとりに立つ立派なイチイの木に、きらりと光るものが見えた。


一体なんだろうかと近づいて良く見ると、首飾りのようなものが枝に引っかかって揺れていた。年代物のようだが、クジャクが羽根を広げたような凝った意匠でその胸には翠色の水晶が嵌め込まれている。


まさかこれが密猟者の・・・?いやまさか。でもそうでなければ一体なぜこんな首飾りが・・・。

不思議に思いながらハルはその首飾りを手に取った。その瞬間、ハルは猛烈な光に包まれ、その眩しさに意識を失ったのだった。



ハルが目を覚ますと、見覚えのないところに倒れていた。どこかの部屋の中だ。木造で歴史を感じさせるハルの家とは似ても似つかぬ豪奢な作りだ。床はピカピカに磨き上げられた石材だし、壁も漆喰か何かだろうか、同じ色にきっちり塗られて汚れもひび割れもない。窓がないのにこうも明るいのは壁につけられた燭台の多さによるものだろう。一つ一つ火をつけて回る手間を考えると眩暈がしそうだ。


「目が覚めたかな。随分勢いよく落下していたが、体は大丈夫かい。」


突然声をかけられ、驚いて飛び上がる。声のした方を見ると、これまた豪華そうな椅子に座った威厳のある老人の姿があった。そばには、物腰柔らかそうな雰囲気の青年が、ピンと背を伸ばしたまま微動だにせず立っている。


「失礼。私は、ベケット。この国では大賢者などと大層な名で呼ばれておるが、齢を重ねただけの爺にすぎない。そう緊張せんでくれ。」


そう言われてハルは自然と肩に力が入っていたことに気づく。大賢者と言ったか。確か、この国一番の“魔道士”のことをそう呼ぶのだとか。昔祖父に教わったような気がする。威厳溢れるその風貌に緊張するなと言われても、やはり自然と背筋がピンとなってしまう。


「ここは帝都の城の中。君は、テレポートという魔法で飛ばされてきたんだ。」

「テレポート・・・。魔法?」


一体なぜ突然、こんなところに?不思議そうな顔をするハルに、大賢者は優しく微笑んで言った。


「君は、神官に選ばれたんだ。」

「・・・神官!?」


この国には昔から伝わる伝説がある。

魔道士アレスが突如現れた悪神を封じ込めた国アレスティナ。もしこの国の平穏が崩れれば再びその悪神が蘇り災いをもたらすという。国の平穏を維持するために、数百年も前から設置されているのが、神官という役職だ。


「神官は、人間が選ぶものではない。誰も立候補も推薦もできないのだ。」

「それじゃ、どうやって選ぶんですか?」


大賢者は、ハルの首元を指差す。いつの間にか、あのクジャクのペンダントが首元に下げられていた。


「そのペンダントに嵌め込まれているのは、“アレスの水晶”と呼ばれている。「その時」がくると、アレスが残したとされるその水晶が神官にふさわしいものの手に渡るのだ。」


ハルはしげしげとペンダントを眺めた。きらりと光る翠色の水晶を撫でる。クジャクと目があったような気がした。


「水晶にはテレポートの魔術式が組み込まれている。すでに4人が君と同じようにここまで飛ばされてきたんだよ。」


そういえば、ここ最近祖父が新聞を見るたびに神官がどうのこうのと小言を漏らしていたな。決まってその後、今朝のように、「同じくらいの年代なのに、どうしてこうも違うものか」と嘆かれるのでゲンナリしていたものだ。

その神官にハルが選ばれたというのだろうか。


「どうして俺が神官に?俺、ただのきこりなんですけど・・・。」

「さあな。水晶の考えていることは誰にもわからぬ。」


そこまで言って、大賢者はゆっくりと腰を上げた。


「ただ、一つだけ言えるのは、どの神官も、大いなる野望を抱いているということ。」

「野望・・・?」


大賢者はにこりと微笑んだ。


「ホーリー・エバーグリーン。元は帝都に住んでいたね。一体なぜアルカディア保護特区へ?」


ドキリ。

名前も、住んでいる場所も言っていないはずなのに。


「年を重ねると余計なことまで知っているんだ。困ったことにね。」

「・・・全部知っているんですか。」

「さあ。これで全部だと証明することは難しいからね。ただ・・・」


大賢者は依然としてにこりと微笑んだままだ。それも今では、なんだか恐ろしいものに見える。


「君のご両親のことは知っている。」


ハルの両親は、帝都で暮らす、戦うための魔法を使える魔法使い「魔道士」だったと聞いている。名前が知れ渡るような存在ではなかったようだが、先の戦争ではそれなりに重要な立場にいたのだとか。それもあって前線で戦いの中に身を投じることも少なくなかった。そして、10年前にその戦争の中で命を落としたのだ。


「しかし、残念ながら、君のご両親は英雄として祀られることはなかった。」


・・・そう。両親は、“敵前逃亡”したのだ。しかし戦いから逃げ切ることができずに結局死んでしまった。

そんな反国心を持つ犯罪者が、讃えられるはずもなく。


(犯罪者の息子は出ていけ!)

(売国奴なんか叩きのめしてやる!)


二人の息子であるハルも、“犯罪者の息子”という烙印を押されて帝都を追い出される羽目になったのだ。

・・・どうやら、本当にこの老人はハルの両親のことを知っているらしい。


「・・・しかしながら、君のご両親は本当に逃亡などしたのだろうか・・・」

「・・・してない。」


鋭い声に、大賢者は驚いたようにハルを見た。


「父さんと母さんが逃げるわけない!そんな卑怯な真似をするわけないんだ!絶対理由があったに違いないのに、あいつら何にも知ろうとしないで勝手なことばっかり言って・・・」


堪えきれずにポロポロと大粒の涙が溢れる。

そんなハルに、大賢者はやっぱりにこりと微笑んだ。


「神官ならば、二人の名誉を取り戻すことができるかも知れぬ。」

「・・・どうして。」


「「なぜ20年前戦争が起きたのか」「なぜ二人が前線から逃げなければならなくなったのか」。もしも、その答えが国政の闇の中に葬られているとしたら・・・。」


神官は、この国が抱える問題を解決し、平穏を保つためにある。

多くの市民と言葉を交わし、時には他国との諍いや政治の問題も直接目にすることがあるだろう。


「つまり、神官なら、真実を知れるかもしれない・・・?」

「無論それは、両親が“やはり敵前逃亡をした”という真実かも知れぬ。」

「・・・そんなはずない。」


大賢者は静かにハルを見つめる。

ハルも、緊張などすっかり忘れて真っ直ぐに大賢者を見つめた。


「二人の疑惑が晴らせるんだったら、少しでもその可能性があるんだったら、俺は神官でもなんでもやってやる。」


その言葉を聞いた大賢者は、安堵したような表情で頭を下げた。


「ありがとう。どうか、この国のためにお力をお貸しください。神官殿。」

「・・・え!ちょ、そんな、やめてくださいよ、急に・・・」

「はっは、神官殿の地位というものはそれくらい高尚なものなのだ。・・・ジェームズ。」

「はい。」


微動だにせず凛とした佇まいで立っていた青年が口を開いた。


「後は頼んで良いか。」

「もちろんでございます。詳しい話は私からいたしましょう。それに、いつまでもプリムラ一人では心細いでしょうから。」

「うむ。では、すまんが頼んだぞ、ジェームズ。それからホーリーも。」

「は、はい。」


大賢者はテレポートを使って一瞬でこの場から姿を消した。


「すご・・・」


ポカンと口を開けるハルに、青年が微笑みかけた。


「今のがテレポート。魔法ですよ。」

「すごい。初めて見ました。じいちゃんは全然魔法を使わないから。」

「帝都では、魔法使いや魔道士がたくさんいます。こちらで暮らしていれば毎日のように見かけることになりますよ。」


青年は礼儀正しい姿勢を保ったまま美しくお辞儀をした。


「改めまして、ジェームズ・カンタベリーと申します。神官様の身の回りのお世話をさせていただいております。ホーリー・エバーグリーン様、これからどうぞよろしくお願いいたします。」

「カンタベリーさん。ハルでいいです。」

「それでは、ハルさま。まずは執務室へご案内いたします。」


大きな扉に向かうカンタベリーを追いながら、もう一度広間を振り返る。


「あの・・・火、消さなくていいんですか?」


ハルが指差した先には無数の燭台にゆらめく炎があった。


「そうですね。消していきましょう。」


カンタベリーはにこりと微笑むと、指を一振りしてつぶやいた。


「ウインド。」


窓もない部屋に、一陣の風が吹く。

あっという間に、燭台の火は全て消え、真っ暗闇となった。

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