4 一九九一年火災発生前 矢萩美術館

一九九一年。日本では、かつてない好景気により、不動産や株式の売買が盛んに行われ、バブルが弾けた時代。

 そして、絵画などにも資産価値が見出だされたためか、高額の値段がつき、有名・著名な絵画や美術品が飛ぶように消費されては売られる時代。

 そんないち資産家やいちコレクターの手に名画が渡る時代に、ここ矢萩美術館では、たくさんの絵画や美術品を有名な美術館からだけでなく、名だたるコレクターたちからも借り入れ、展示する計画が立案されていた。

 矢萩美術館の広報や経理事務担当の責任者数人が会議室で、打ち合わせをしていた。

 口をひらいたのは石川さやかだ。

 手元にある資料を長い髪で隠れないように右手でかきあげると、普段落ち着いた様子の彼女には珍しく早口で喋りだした。

「……ですから、私はこのバブルが弾けた不況の時代を鑑みましても、たくさんの絵画や美術品等、素晴らしい芸術作品の数々を良好な保存状態のまま保つためにも、私たち美術館が積極的に個人からも借り入れ、広告を打ち、たくさんの人々に見てもらえるように誘致することで、絵画がなんたるかを知らないものの手に渡るのを防ぐことが必要かと思います」

 この意見にたいして、泉田秀規(いずみたひでき)という矢萩美術館の経理を任されている男が答えた。

「私は疑問だな。個人からも借り入れるとなると、展示企画の立案から展示物の借り入れ、返却・運搬等、事務的なやり取りが増えて、こちらの労力が増えるだけになりかねないのではないのか」

 彼女は続けざまに反論を述べる。

「私個人の意見に過ぎないのかもしれないですが、決して喜ばしいとは言えない集客数です。矢萩美術館自体それほど大きいとは言えませんし、交通網が必ずしも利便性に富む立地にあるとも言えません。確かに個人からも絵画を借り入れ、展示すると決めたとしても人手不足な部分が否めません」

「だったら、やはり大きな美術館と連携するしか‥‥」

「いいえ、やはり個人のコレクターの力をお借りするのです。バブル景気により、多くのコレクターが誕生しました。一企業が一九八七年にゴッホの『ひまわり』を五十三億円もの大金を積んで、落札した話しは有名なことでしょう! ゴッホの『ひまわり』みたいに落札された絵画は一つや二つではないはずです。それはもちろんお分かりなはずです」

 二人の熱い答弁を冷静に聴いていた紺野館長が口を開いた。 

「ならば、どうしたいと言うのかね?」

 彼女は続けて話す。

「先程言った通り、や・は・り個人からも安く借り入れるのですよ。他の美術館から借り入れた場合、何千万もの保険が必要になります。万一のことを考えると、とてもじゃないですが、支払える額ではなく、大きな展示会は現実的ではないでしょう‥‥」

「確かにそうだな」

 彼女の話しに他の人は首を縦に振りうなずく。

「しかしながら、個人の場合なら、どうです。きちんとした管理・修繕・運搬などの知識に乏しいために、こちらが展示にかかる一連の負担をする旨の契約を結べば、保険額等の費用を向こうに減額ないしは負担を交渉できる。さらに言えば、当美術館を展示会により、宣伝でき、個人には、収益の一部を支払い、win-winな関係を結べる。……名案ではないでしょうか?」 

 

 彼女の機転とその筋のとおった意見により、否定的な意見を持っていた経理担当の泉田も、俯瞰(ふかん)して意見のぶつかり合う様を見守っていた紺野館長も、うなずいた。

 三人は小さな町に埋もれるように存在する矢萩美術館を盛り上げるための具体的な策に言及することになった。

「‥‥では、具体的に個人から絵画を借り入れるとして、その絵画をどのように選定し、どのように頼むべきか、今一度考えたい」

 館長がもったいぶったような口ぶりで意見を二人に求めるように話すと、黄色い声が上がる。

「大きな美術館からではなく、個人から借りて展示会を開くならば、個人が集めている絵画に共通したテーマが必要かと」

 泉田が口を開く。

「確かに、テーマの設定を個人の所有物に合わせて、もっともらしいテーマで開催するのはありかもしれない」

 紺野が同意すると、石川も追い風を放つ。

「私も賛成です。個人のコレクターの趣味に合わせたテーマ‥‥時代設定や画家の名前、あるいは‥‥絵画の種類や技法なんかに着目しても良いかも知れないです。それに‥‥」

「続けてくれ」

 一番の年配であり、館長という地位としても高い役職にいるからか、紺野はもったいぶりながら石川に発言を続けるように促した。

「それに絵画の種類。西洋絵画だけみても、いくつかあげられます。例えば、油絵、水彩画、パステル画、テンペラ画‥‥個人のコレクターの集めている作品を種類別に分けて、油絵ほにゃらら展だとかテンペラ画美術展だとか何人かのコレクターに打診して、展示会を開くと良いかもしれません」

「なるほど‥‥それは具体的だ。それに有名画家の作品に必ずしもよらないことから、経費も押さえられて、かつ、大きな美術館にはない作品を展示できそうだ。良し、君の意見を貰うことにするよ」

「ありがとうございます!」

 石川は心のなかでガッツポーズをした。

 今回の意見も通れば二度連続で通ったことになる。そのため、紺野館長の“君の意見を貰うことにするよ”、は最高の報酬だった。

 絵画の展示方針はあらかた決まった。

 残るはどこのコレクターの誰に頼むかである。

「誰に頼るかなんて、そんなの決まっておる」

 そう答えたのは、紺野館長だった。

「だ、誰なのでしょうか?」

 そんなの決まっておる、とこれ見よがしの顔つきで紺野館長は石川の質問に答えた。

「安田孝昌氏だ。彼なら仕事の付き合いで前からここと親交があるし、絵画コレクターとしても有名だ」

「議論する余地はなかったみたいですな」

と、石川は目を輝かせ、泉田は少し不満そうに言葉を被せた。

 

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