3 二〇〇六年八月 火災から十四年経過  

矢萩美術館が火災に見舞われたというニュースを知って十四年と少しの月日が経った今。今日もまた、彼女が私の工房に彼女独特な明るい声で入ってきた。

「和田く~ん。様子を見に来たよー」

「足元、気をつけてな。そこら辺画材とか散らかって汚れてるから」

「分かってるわよ、それにな~に。その絵画は」

 彼女は軽快な足取りで、キャンバス掛けに立て掛けられた絵画をさわった。

「ああ、この絵画か。新しい館長さんから話しは聞いてなかったのか?」

「話??」

「ああ、矢萩美術館が火災になったっていう話なんだが」

「ああ、それね、聞いてるわよ。ってか、その火災に居合わせた一人が私なの」

 彼女の動揺したような顔つきをみて、

「さやか。そんな大事な話ぐらい、いつでも私に話せたはずだぞ?」

 と、つい毒づいてしまった。

「それはごめんなさいね。色々あったのよ‥‥。それに和田くんったら、仕事にかかりっきりで聞く耳持たなかったじゃない!」

 なんでもない会話のやり取りをしたはずだった。

 しかし、彼女を怒らせてしまった。

 私が何か言おうとすると、口の中いっぱいに苦虫を噛み潰したような味が広がる。私の口からも彼女の口からも怒りの言葉しかでないような気がしてならない。

 やるせない思いを目の前の修復待ちの絵画にぶつける。

 そうだ、私には絵画修復がある。

 私の心が彼女の言葉から離れ、絵画に向かったのを見計らったかのように、彼女は少し重たくなった口を開いた。

「この絵画って、もしや火災が起きたときに展示されたあの絵画かしら」

「美術館からはそのように聞いている」

「それを早く言ってちょうだい」

「何を言う、さやかは修復の進み具合を見に来たんじゃないのか?」

「エヘヘ、そうだったわ」

「変に探ろうとしちゃったじゃないか、ったく」

 私は彼女が、焼けた美術館のことやお世話になっていた紺野館長が亡くなったことで、およそ頭がいっぱいになり、辛い心境でいるのだろうと肌にひしひしと感じていた。だから、彼女は言葉に詰まらせながらも、私との会話を途切れないようにぎこちない返事をしたのだと、私は自身に言い聞かせた。

 彼女への心配、気遣いもある。

 それ以上にこの焼けた絵画を修復するためにも、彼女の感じていること、考えていることを深く理解するためにも彼女に聞かなければならない。

 一人の男として、あるいは絵画修復師という職業柄からして、そんなことを思案しながら、壊れた絵画から彼女の方を見上げた。

「やっとその絵画から私を見る気になったかしら」

「ああ、ようやくね」

 私は彼女の問いかけに少し頭をかきながら答えた。

「な~に、和田くん。そんなに私がいたら邪魔なの?」

 彼女のわかりきった問いかけにたいして、 

「そんなことはないさ、むしろ、居て欲しいぐらいだぞ!」

 と私は彼女の欲しがる言葉を吐いた。

「居て欲しいって? もう長いことお付き合いしてるのに、プロポーズの一つや二つもしない仕事人間のあなたが? 居て欲しいですって!?」

「何を言うんだい。冗談も半分にしてくれ。今そんなことは話してないだろ?」

 私は彼女の癇に触る発言にかぁっとなってしまった。

「分かってるわよ。あなたがそんなこというはずがないことぐらい。ええ‥‥ハイハイ。仕事に付き合えばいいんでしょ? 私は何をしたら良いかしら、お茶汲み? 掃除? 雑用?」

 いらだつ彼女に気の利いたセリフを吐けないものかと考え、口にした。

「いやいや、お茶汲みでも掃除でも雑用でもないさ」

「だったら何をしたら良いの?」

「簡単な話さ、私に見たままを、聴いたままを話して欲しい」

「それってつまり?」

「火災の日に何があったのか知りたいのさ。もちろん、修復のために、ね」

「ええ、分かったわ。話せばいいんでしょ。仕方ないわね」

 こうして私は彼女から火災当日の話を聞くことになった。         

  

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