1 絵画修復という仕事  

 一九七一年、ちょうど私が二十歳の頃に日本を飛び出し、絵画修復の本場イタリアで数々の美術品を修復してきた。当時新人だった私には絵画修復を任されるということはまず夢のまた夢のようなことであった。

 ベテランの修復師のジュリア先生から、完璧な修復を施せるか、絵画に傷をわざとつけられ、試されることもしばしばだった。

「この傷が修復できたら、この絵画を君に任せるわ。頑張ってちょうだい、期待の修復師君」

「わ、わかりました。任せてください。完璧に直して見せます」

 完璧な修繕・修復は困難を極める作業である。

 その絵画を描いた画家の筆の運びや絵具の重ね塗りや濃淡、それぞれに意図があり、読み解かなければならない。

 修復行為には、画家が描いたその時代を損なわないような修繕あるいは補修行為である必要がある。

 それほど、慎重で繊細な仕事を要求される”絵画修復“という仕事。

 そんな完璧な修繕・修復を要求される一枚の絵画の修復を任されるというのは名誉であり、おそれ多いことなのだ。

 ゆえに普段ぬるま湯に浸かったような緊張感もヘタレもない私自身ですら、自分でも驚くほど一定の緊張感をもって一枚の絵画を修復するのにかかりっきりだった。

 その絵画は画家の瀧直人たきなおとが描いた『リットリオの夏』という。一九三七年のイタリア軍艦リットリオの進水式の様子を描かれた作品だ。しかし、絵具やワニスの剥離はくりがひどく大変傷んでいた。

 保護材のワニスの剥離により、ほこりや光、湿度などあらゆる刺激にさらされて絵画の半分以上が日焼けし、微細なほこりが付着し、美しい発色を失い、くすんでいた。

 しかし、その多くの汚れや傷みを私は二年近くかけて修繕を施した。

 綺麗なテンペラ画特有の白の発色の良さが戻る。

 くすみ灰色がかった一枚の絵画は鮮やかさを取り戻した。

 暗雲がかかったような空も鮮やかな青色に変わっていた。

 リットリオの進水式の日が晴れやかな空模様だったかは資料が手元になくわからないが、おそらくこの絵画を描いた画家の目には、そう映っていたことだろう。

 私はそんなことを思いながら、

 あのベテラン修復師でもあるジュリア先生も認めた、仕事ぶりを同僚の修復師たちに見せつけ、イタリアを発った。

 

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