The art restoration

明智風龍

プロローグ

「仕事それ自体、すなわち自分の特殊な能力を発揮する場を得る喜びこそが、最高の報酬だ。」

      ──『四つの署名』(1890年)より

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一九九一年一月十八日水曜日、火災発生

 

 

 「事件ですか、事故ですか」

 「矢萩やはぎ美術館で火災が起きてます。それに、どうやら人も倒れていて‥‥」

 「わかりました、すぐに救急と消防を向かわせます」

 事件はここから始まった。

 この日に二人の男性が亡くなった。死因は火災によるものではなく、何者かによって刺された時の失血である。

 普段、活気もないこじんまりした町は大騒ぎになった。

 しかし、放火をしたであろう犯人の行方は特定されることもなく、十数年の時が過ぎた。

 

 *

 

 何年たっても私の住む小さな町ではその話題で持ちきりだった。

 原因不明の矢萩美術館の失火。男性の無惨な焼死体。

 切り刻まれたような跡のある絵画や火災により傷んだ絵画。かの有名な『ヴィーナスの誕生』を描いたボッティチェリや『叫び』で知られるムンクなど、名だたるテンペラ画の巨匠たちの作品に紛れて、瀧直人たきなおとの絵画群だけに切られたような傷が集中していた。これは悪意のあるイタズラによるものか、意図的か否か。

 傷もさることながら火災による痛みも激しい。

 地元紙には大きくこのように掲載されていた。

 『矢萩美術館で火災 男性二人死亡

 一月十八日午後四時ごろ、矢萩町の矢萩美術館から火災発生。二人の男性の遺体が共に発見された。

 矢萩警察署による調べでは、この男性は同日同所で開催中のテンペラ画美術展に参加していたオーナーの安田孝昌やすだたかまさ(52)と矢萩美術館の館長の紺野勝幸こんのかつゆき(63)。両者の腹部には、鋭利な刃物で刺されたような傷があり、死因は失血死とみられる。

 警察は安田孝昌さんと紺野勝幸さんの身の回りに、人間関係のトラブルがなかったか、調査中である。』

 

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