第26話 『産まれたいの?』

「嘘!まさか…」


 女の脳裏に戦慄が稲妻の如く走り抜けた。


 今までも月経が遅れることは度々あり、さほど、意に留めることはなかったが、今日で2ヶ月来ない。


 女は自身の下腹部にそっと掌を置いた。


「動いてる…」


 掌から心臓の鼓動が伝わる。


 女は大きく溜息を吐くと、


「違う、絶対に違う!


 遅れてるだけよ!


 あんなに薬を飲まされたんだから…


 そんな筈はないわ。」と


 自分に言い聞かせる。


 しかし、再度、下腹部に掌を置くと、微かな鼓動が生じ起こる。


「私の心臓?こんな下から聞こえる?


 嘘よ!


 そんな訳ない!」


 女は震える唇を噛み締めた。


 その日の夕食時、


 女は珍しく悪魔男に話しかけた。


「あの薬は一体何なの?麻薬なの?」


 悪魔男は平然を装い、


「今更、何でそんなことを聞く?」と問い返した。


「………………」


 問うた筈の女が口を閉ざした。


『やっと勘づきやがったな。』


 悪魔男は女が妊娠を疑っていることを咄嗟に感じ取り、


「あの薬はただの鎮静剤だ。」と


 女に嘘をついた。


 すると女がこれも珍しく悪魔男の目を見ながら言葉を発する。


「鎮静剤?普通の鎮静剤があんな副作用を伴うの?」


「慢性化だ。単なる依存症だ。」


「どうしてそう言えるの?医者でもないのに?」


「心配するな。その点、お前の担当医からちゃんと説明を受けてる。」


「何て?」


「人体に影響はないとな。」


「あんなに酷い頭痛が出て、涎も垂らすのに…、人体に影響がないの?」


「あぁ、それはお前の持病の鬱病が影響して、自律神経がバランスを崩しているからだ。」


「医者がそう言ったの?」


「そうだ。」


「そう…」


「珍しいじゃないか?お前が身体の心配をするなんて?」


「………………」


 女は何も言わずに席を立ち、地下室へと降りて行った。


 女は地下室の扉を閉めると、何故かゆっくりと階段を降りて、


 ゆっくりとベットに横たわった。


 そして、下腹部に掌を当てて、


「どうしよう?


 私、どうしたらいいの?


 病院で確かめる…


 でも、妊娠してたら、どうするの?


 私、産むの?


 悪魔の子を産むの?


 薬物中毒の私が産むの?」


 女は途方に暮れ始めた。


 その時、悪魔男からメールが届いた。


「薬が心配なら、明日、病院に行ってみるか?


 連れて行ってあげるよ。」と


 女は迷った挙句、こう返信した。


「自分で行くから。」と


 悪魔男はそのメールを見て、ニヤリと笑った。


『ほぉ~、自分でねぇ~。


 産婦人科に行くに違いない。


 予定通りだ。


 後は晩餐会の席上だな。』と


 自身のシナリオ通りに事が進むことに満足気に思うのであった。


「おめでとうございます。


 妊娠2ヶ月です。」


「えっ、2ヶ月…」


「そうです。順調そうですよ。


 しっかりと心臓の音も聞こえています。」


「はぁ…」


「どうされました。計画妊娠ですよね?」


「はい…。ただ…」


「?」


「いぇ、今まで全く妊娠しなかったのに…、突然、妊娠したので…、」


「よくあるケースです。まだお若い。35歳なら大丈夫ですよ。御心配なさらず。」


「あの~、私、頭痛持ちで鎮静剤を常用しているのですが…、それも大丈夫ですか?」


「大丈夫ですよ!


 適切に服用すれば胎児に影響はありません。」


「分かりました。」


 女は最寄りの産婦人科の病院を出ると、タクシーに乗った。


『妊娠2ヶ月目は気をつけてくださいね。


 一番流産の可能性が高い時期です。


 激しい運動はしないでください。』


 医師の説明を思い浮かべ、


「私、産む気になってるの?」と自分を確かめるように心に問うてみた。


「駄目!絶対に産んでは駄目よ!


 離婚できなくなってしまう!


 早く堕ろさないと…」


 そう思った瞬間、


 女の下腹部が「ピクッ」と動いた。


 女はそっと下腹部に掌を乗せた。


『そうよね…、貴方は産まれたいのよね…、貴方には何の罪もないものね…』


 そう思う女は、優しく掌でお腹をさするのであった。


 悪魔の晩餐会は2日後に迫っていた。


 母となるか、中絶して身軽になるか、女は迷いながら家路に向かうのであった。



 


 

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コヨーテのように狡くハイエナの如く貪る男 ジョン・グレイディー @4165

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