第25話 神の悪戯の始まり

 神の悪戯


 偶然を装い必然と知らしめる。


 11月に入ると男の漁も、イカから青物である鯖や鰤へと変わって行った。


 男は過去のトラウマに苛まれながらも、新たな恋、新たな恋人である美咲との昼間の逢引を続け、その分、出港する時間帯も夜中から朝まずめとずらしていた。


 この日も嘘吐き太陽がのこのこと顔出す前の夜明け前に船を出した。


 この日の男の狙いは今が旬の秋鯖であった。


 回遊魚である鯖は、この時期、丸々と肥え太り、脂が乗っている。


 男は沖の海底をソナーで探索しながら、鯖の群れているポイントを探っていた。


『ここだ。鯖の反応が出た!』


 男はそこで船を停めると錨を下ろした。


 漁は『落とし込み漁』で行う。


 仕掛けであるカワハギの皮で作ったサビキ5号針10本に鰯などの小魚を先ず食い付かせ、


 それを鯖の群れてる棚まで落とし、餌の鰯で鯖を釣るのだ。


 太陽が顔を出し始めた朝まずめ


 絶好の時間帯


 男は仕掛けを船縁から、ゆっくりと落とし始める。


 道糸を持つ指先に、早速、鰯の軽い当たりが伝わって来た。


 男は焦らず、その棚で10本針に十分鰯が数多く食い付くよう追い食いをさせる。


 そして握る道糸からある程度の重さを感じ取ると、男は仕掛けを鯖の群れるポイントである中棚(深水30m位)まで、ゆっくりと降ろして行った。


 「グッと」鯖が鰯に食い付く当たりがあった。


 男はすかさず腕を振り上げ、当たりに合わせる。


 一瞬、道糸がたるみ、引きが軽くなる。


 鯖は針が掛かると上へ上へと逃げ惑うのだ。


 掛かった獲物が鯖であると確信した男は、手早く道糸を手繰り寄せる。


 大鯖が5本掛かっていた。


 丸々と太っており、体高もあり、体長も50cmを悠に超える大物であった。


 幸先の良い釣果であった。


 その後も男は順調に鯖を釣り上げて行く。


 小一時間で20本以上の大物を釣り上げた男は、スマホで時間を確認した。


「もう6時か」


 男は市場の終わりに間に合うよう最後の一投を海に落とし込んだ。


 直ぐに鰯の当たりがあり、中棚に仕掛けをゆっくりと落として行く途中、


「グィ、グィ」と


 今までにない強い引きが道糸から伝わって来た。


『鯖じゃない!、コイツは大きい、どデカい!』と


 男は咄嗟にその違和感を感じ取り、


 道糸が切れないよう糸を素早く出して行った。


 どんどんと道糸が出て行った。


 男は何が食い付いたのか察しが付くと、肘で道糸を押さえ込み、出て行く道糸に負荷をかけた。


『マグロだ!絶対、マグロだ!』


 男は強烈な引きから食い付いたのはマグロであると推測した。


『疲れ果てるまで暴れるんだ!』


 男は獲物を泳がせては巻き上げる動作を繰り返した。


 そして、男は獲物が疲れ始めた頃合で、強引に道糸を引き上げ始める。


『マグロだ!道糸が切れるのを怖がっていたら、こっちが疲れちまう。

 やるか!やられるか!


 どっちかだ!』


 男はそう心で叫びながら、渾身の力を振り絞り、道糸を巻き上げて行った。


『見えた!』


 黒く鋼色の巨大が海面近くに見え始めた。


 男は船上の筒に差し込んでいた銛を掴んだ。


 そして、獲物が海面に顔を出した瞬間、


 大きく腕を振り上げ、「ビシュっ!」と銛を打ち込んだ。


 銛は見事に獲物の側頭部に突き刺さった。


 男は銛に結んでいるロープをウインチに装着し、ゆっくりと黒鉄の巨大を引き揚げた。


 捕らえた獲物は立派なクロマグロであった。


 1mは超えており、100kg近い魚体であった。


 男は久々に興奮していた。


『よし!市場に戻るぞ!


 美咲をびっくりさせてやる!』


 その時、俺はふと思った。


『美咲か…、美咲の顔が浮かんだ…』


 そう、大物を釣り上げた瞬間に真っ先に浮かんだ顔は美咲であった。


 男はそのことがとても嬉しかった。


『アイツじゃない!見えたのは美咲だ!』


 男は過去のトラウマに何となく打ち勝ったように感じ入っていた。


 正栄丸が港に近づくと多くの野次馬が押し寄せていた。


 男は真っ先に美咲にスマホでマグロを釣り上げたことを知らせていたが、


 美咲が喜びの余り、大声で「マグロ!凄い!マグロ!」と叫んだことから、市場中に知れ渡っていた。


 男はマグロの引き揚げを市場の者に託し、船から降りると、


「美咲、このマグロ、『小平』に卸すからな!」と真っ先にそう告げた。


「お父さん!凄いよ!亮太さんがうちにこのマグロ卸してくれるって!」と


 美咲が、隣に居た小平の店主である父親の肩をばんばんと叩く。


「亮太!いいんかい!うちに卸して?」と


 小平の店主は遠慮がちにそう言ったが、顔は満面の笑みを浮かべていた。


 市場の者も何にも言わない。


 男と小平、そして美咲との関係を皆んなが応援していたのだ。


「親父さん、構わないよ。」と男がそう言うと、


「そうか!有難い!


 明日は得意先の料亭から大口の注文があってな。


 このマグロなら、文句ないわ!」と


 小平の親父がそう口にした。


 そうである。


 その料亭で行われるのが、例の晩餐会であったのだ。


 この海の恵、偶然に齎されたマグロが、


 神の悪戯の一つでもあったのだ。


 明日、料亭で何の会がどうして開かれ、そこに誰々が集うのか、


 男には全く興味がないことであった。


 この時までは…



 


 

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