第13話 『私が選んだのよ、悪魔を…』

 鳥の囀りが聴こえて来る。


 曙光が朝陽に成長する時間の経過が目を瞑ったままでも感じられる。


 女はゆっくりと目を覚ました。


 カーテンの隙間からリビングに朝陽が当たっていた。


 天井はあの地下牢の灰色の石の塊ではなく、朝陽が床に反射し、白い木目の天井が虹色に輝いていた。


 女は朝という時間帯を久々に味わった。


 何年も、いや10年以上の間、灰色の目覚めしかなかった…


 女はリビングのフロアーベットに寝ていた。


「起きたか?」と


 キッチンの方から悪魔男の声がした。


 女は徐に立ちあがろうとしたが、長年の監禁生活で衰弱した太腿に力が入らず、よろけて、何かに捕まろうとした。


 女が握ったのは、悪魔男の腕であった。


 悪魔男は女に腕を貸し、女がゆっくり立ち上がるのを補助すると、テーブルまで寄り添って女を誘導した。


 テーブルには朝食が既に準備されていた。


 女は思い出した。


 この男と結婚したばかりの時


 新婚初夜の朝を…


 やはりあの時もこの男が朝食を準備してくれていた。


「そう。私はこの男と結婚したんだわ。」


「そう。私にはこの男しか求愛に来なかった。」


 女は次第に結婚当初の自身の気持ちを思い出していた。


【新婚時代はこの男も私を地下室になんか閉じ込めようなんて思ってなかった。


 そうよ。私は私の意志でこの男と結婚したの。


 私にはこの男しかいないと…、そう自分に言い聞かせていた。


 でも、この男は私を信用してくれなかった。


 そう…、私の無意識に取る行動がこの男を怒らせた…


 見る映画、聴く音楽、読む図書、全ての価値観が間反対だった。


 この男はいつもこう言っていた。


『それはあの男の好みか!』と


 そう言って怒り始める。


 そう…、抱いていても怒り始める。


『何、目を瞑ってんだ!あの男のことを想いながら抱かれてるのか!』


 この男はいつもいつも、彼を意識していた。そして、彼を怖がり、そして、その当て付けに、私を痛ぶる…


『あの男に抱かれたのか!答えろ!何回抱かれたのか?答えろ!』


『抱かれてないの!本当よ!信じて!貴方が私の初めての男なの!

信じて!』


『嘘を言うな!


 俺に抱かれても全然、喜ばないじゃないか!


 これを使わないと!


『魔薬』を使わないと、お前は喜ばないじゃないか!


 そうだ!


 お前は俺に抱かれながら、いつもあの男と俺を比べているんだ!


 そして、あの男の物を思い出し、俺に抱かれながらも、未だに奴に抱かれようとしている!


 そうだ!そうに違いない!』


『違う…、彼は私を抱かなかった…』


『何故だ!嘘を言うな!』


『嘘じゃないの…、彼は…、私を大事にすると…、結婚するまでは抱かないと…、そう言って…』


『くそぉ~、未だにそんな恋愛ごっこを嘘吹きやがって!


 くそぉ~!』


 そう…、本当のことを言うと、この男は怒り狂って…


 私を痛ぶる、私を娼婦のように扱い、私に破廉恥なことを要求する。


 そう…


 いつしか、朝も昼も無い地下室に閉じ込まれていた…】


 女の脳裏に長年の監禁生活が走馬灯のように走って行った。


 その時、悪魔男がこう問うた。


「何を考えている。また、奴のことか?」と


 女は慌てることなく、こう言った。


「もう、彼のことは言わないで。」と


「じゃぁ、何を考えていたんだ。」


「地下室の生活を振り返っていたのよ。」


「………………」


 更問いをしない悪魔を他所に女は続けた。


「私は貴方に調教されたの。あの地下室で。


 貴方も、もう分かっているはず。


 私の身体は貴方でないと奏でることが出来ない事を…」


 悪魔男はニヤリと笑い、こう言った。


「地下室の行為が忘れられないか!


 お前も変態だな。お前は生粋のマゾだよ。」


 女はゆっくりと頷いた。


 そして、女はこう思った。


『そうよ。私はもうこの男しか感じないのよ。


 私が選んだのよ。


 私がこの男を選んだの!


 そうよ!


 私はマゾなの!


 普通じゃないの!


 普通では満足できないの…


 この男しか私には居ないの…」


 女は何度も何度もそう自分に言い聞かせた。


 朝食が終わり、悪魔男が家を出る前にこう言った。


「そろそろ、外に出て、散歩でもしてみるんだ。


 11月に知事との晩餐会が設けられている。


 そこにはお前も出席しなければならない。


 まだ2ヶ月ある。


 それまでには、普通に歩けるようになる。」と


 女は玄関先まで悪魔男を見送ると、言われた通り、スポーツウェアに着替え、散歩に出た。


 ゆっくりと一歩一歩、ゆっくりと歩いた。


 女は何のために歩いているのか?


 女は何も考えていない。


 女は夫に悪魔に言われた通りに従っている。それだけである。


 女は呟く。


『私が選んだのよ。私があの男を選んだのよ。』と

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