第7話 血液は犯された

 女はソファーの上で目を覚ました。


 いつの間にか庭の杉の木で鳴くクマゼミの鳴き声がひぐらしへと変わっていた。


 女は強烈な喉の渇きを覚え、喉を掻きむしるよう首を押さえながら、這いつくばってキッチンに向かい蛇口から直接、水を飲み、大きくため息をついた。


 女はあの悍ましい時間が迫っているのを感じた。


「これからの私は私じゃないの…」


 女はそう明瞭な意識のあるうちに確かに自分に言い聞かせる。


 しかし、意識が壊れ出す。


 次第に女は錯乱状態となり、止めようもなく口元から涎が垂れ始めた。


 女は何かに急かされるよう、今まで力が全く入らなかった脚の筋肉が嘘のように活動をし始め、しっかりとした脚取りで地下に降りて行く。


 女は衣服を引きちぎるよう脱ぎ捨てると、全裸のまま、ベットに横になり、大きく脚を広げ、何かを待ち侘びる。


 女の眼差しは淫乱に満ち溢れて行き、白い肌は紅色に染まって行く。


 女の額には脂汗が馴染出し、次第に手脚が細かく痙攣をし始めた。


 薬が切れたのである。


 今、女が唯一待ち侘びるのは、そう、あの悪魔の帰りであった。


 女は悪魔の帰りを今か今かと待ち侘びる。


 薬が欲しい…


 女は居ても立っても居られなくなる。


 次第に自分ではない自分になって行く。


 女は股間に手を伸ばす。


 もう…


 我慢できない…


 欠乏した魔薬への願望、その恍惚の快楽を夢見ながら、自慰に耽って行くのであった。


 何回の絶頂を迎えたであろうか。


 やっと、悪魔が地下室に姿を現した。


「おいおい、また、我慢出来ずに、おいたをしてたのか。


 悪い子だ。」と


 悪魔が揶揄う。


「待ってたの!お願い、あれをして!お願い!」


 女は悪魔にしがみつく。


 悪魔はやはり片手に魔薬の入った瓶を握っていた。


 悪魔は意地悪く、「カタカタ」と瓶を鳴らす。


 女は条件反射で四つん這いとなり、既に体液でテカッテいる尻を悪魔に向ける。


「良い子だ。」と悪魔はにやけて女を犯した。


 何度も何度も女を犯した…


 女は涎を垂らしながら、喘ぎに喘ぎ、あれ欲しさに悪魔を喜ばせようと妖艶に振る舞った。


 行為がやっと終わった。


 女は虚な目をして、悪魔に擦り寄り、おねだりをする。

 

「よし、ご褒美をあげよう。」


 悪魔はそう言うと瓶からカプセルを2、3個掴み、ベットサイドの水の入ったコップに溶かし入れ、それを注射器で吸い取り、女の左腕の静脈に魔薬を注入した。


 女の目は蕩けるようにぼんやりとして行き、やがて、恍惚の表情で眠り堕ちていった。


『こんなはしたない女、私じゃないの…』と心で叫びながら深い深い眠りへと堕ちていった。


 悪魔は女を巧妙な手口で薬漬けにすることに成功していた。


 始まりは15年前、女が彼と別れた直後から始まっていた。


 20歳を迎えた女に突然、原因不明の病魔が襲いかかった。


 外に出るのが怖い、何もやる気が起こらない、気分が晴れない等々、精神的な疾患であった。

 

 心療内科に通院し出したが、単なる抑うつ症状だとし、薬を貰うだけで、全く効果は現れなかった。


 それどころか、益々、気分は落ち込み、身体が気怠く、起き上がれない日々が続いて行った。


 女は彼にはその事を黙っていた。


 直に良くなると思っており、医師からも若い女性特有の女性ホルモンの関係であり、時間と共に落ち着くと言われていた事もあり、敢えて言わなかった。


 しかし、得体の知れない病魔は確実に女の心をブラックホールのような底なしの深淵に落とし込もうとしていた。


 ある日、女は急に動悸が高まり、目の前が真っ暗闇となり、居ても立っても居られないような恐怖心が込み上げて来た、突然であった。


 女は発作的に舌を噛んだ。


 なかなか起きてこない娘を心配した母親が寝室に行くと、娘の顔から真っ赤な血が流れていた。


 女は救急車で運ばれた。


 市内の緊急病院で応急処置がなされ後、女が心療内科に通院していたことから、市内の寂れた精神病院へと転院させられた。


 女は母親に『彼には言わないで』と頼んだ。


 女はその時まで、まだ、病気が良くなると期待しており、良くなったら、何もなかったよう、彼と逢うつもりでいたが…


 乙女心であった。


 病んだ自身を見せたくない。知らせたくない。直に良くなる。女は病魔の原因が分からないことから、返って、軽く考えていた。

 身体的な欠陥はなく、女性ホルモンの関係だと軽く考えていた。

 自殺未遂の意識もなく、発作的に舌を噛んだと軽く考えていた。


 実際はその通りであったかも知れない。


 今度、入院した精神病院はカウセリングを中心療法として、懇切丁寧に患者に寄り添い方の治療を施してくれた。


 そのままであれば、1ヶ月もあれば退院できる見込みであった。


 丁度、夏休み期間中


 夏の終わりには、何事もなかったように、また、彼の元に戻れると女は思っていた。


 入院して4、5日経った日、看護婦から男性が見舞いに来たと告げられた。


 女は彼と思った。


 母に何故、彼に告げたのかと怒り顔で問うたが、内心、女は嬉しかった。


 しかし、母親の表情は曇っていた。


 病室のドアを開け、登場したのは、悪魔であった。


 女は声を失い、母親を睨んだ。


 悪魔はハイエナのように鼻が効いていた。


 ちょっとした流布、風の噂を耳にし、一斉一隅の機会を逃さなかった。


 高校時代から執拗に女に求愛を続けていた悪魔は、ちょくちょく女の家に顔出し、決して会おうとはしない女を諦め、タダでは帰らぬとばかりに、女の母親に媚を振っていた。


 女の母親はエリート好みであった。


 自身がうだつの上がらない平凡なサラリーマンの夫と結婚した事を後悔しており、娘の結婚相手には御曹司の悪魔の家柄がとても魅力的に思えていたのだ。


 こんなに娘に無下にされても会いに来続ける悪魔男を不憫にさえ思い出し、全く姿を現さない娘の彼氏より、よっぽどまともだと思っていたのだ。


 彼氏は漁師の倅であり、育ちが悪い。そして、素行も悪いと、母親は家柄で差別的に決め込んでいたのだ。


 母親は女が入院した後、家を訪れた悪魔に知らせてしまっていたのだ。ついつい、口を滑らせてしまっていたのだ。


 悪魔の罠に嵌っていたのだ。


 悪魔は何故か主治医を伴い部屋に入って来た。


 そして、下を向いている主治医を他所に、悪魔の父親と親交のある県立病院に転院するよう母親に進言した。


 母親が主治医を見た。


 主治医は「うちよりは県立病院の方が治療が高度であるのは確かです。」とおどおどと答えた。


 女は訳が分からなかった。


 ただただ茫然自失であった。


 半ば強引に女は県立病院に転院させられた。


 娘の父親は悪魔が嫌いであったが、県立病院の一等室、この綺麗な病室での本格的な治療が娘にとっても良かろうと思い、それに承諾した。


 治療代等は発生しない。


 悪魔が全て手を打っていた。


 女は何かどんどんと彼から切り離されているように感じ、此処から出たいと思う様になり、その焦りか、病状は前の病院にいる時よりも悪化して行った。


 県立病院の院長室で何人かがヒソヒソと協議をしている。


 病院長と女の主治医は下を向いている。


 上から目線で悪魔と悪魔の親父がこう宣っている。


「ダメじゃないか、悪くなってどうするんだ、息子の大事な花嫁候補なんだよ。」


「でも…、精神的な病気は一朝一夕では良くなりません。


 急な環境の変化も…、悪かったと…」


「なんだか、俺が悪いような言い振りだな!」


「いや、そんなつもりは…」


「いいか、何とかしろ!」


「何とかと言われましても…」


「君の国立大医学部の転勤、水に流そうかなぁ。」


「……………」


「そして主治医の若造!君のアメリカへの留学の推薦も無かったことにしようか?」


「……………」


 此処で悪魔が恐ろしい提案をした。


「苦しみを和らげるは簡単な筈だ。


 その反対の悦びを与えれば中和するだろう?」と


「悦び?まさか?」


 医者どもの顔は青白くなった。


「そうだよ、麻薬治療だよ。アメリカ軍が使っている治療だ。


 戦場の兵士の恐怖心を吹っ飛ばす治療だ。」


「モルヒネ投薬…、無理です!


 それは一時的な療法です!


 後遺症で一生、病んだ状態になります!」


「一時的で構わないんだ。改善が現れることが肝要なんだ。」


「そうだよ。そうするんだ。そうすれば、君は国立大の部長、君はアメリカへの留学。


 お互いにメリットがある。」


「……………」


 道義と保身の狭間で悩む医者たちに悪魔が囁く。


「俺には『病んだ女』が都合が良いのさ。」と


 こうして、悪魔の会議により、自身らの保身により、女の身体に麻薬、いや、『魔薬』が注入され始めたのである。


 そう!


 15年も前から女の血液は犯され続けている…

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