第6話 地下室からのメッセージは届かない

「カチッ、カチッ」と手錠が外される音が地下室に響く。


 夫は女にこう言う。


「今から役所に出勤する。お前はいつものとおり家の中に居るんだ。」と


 女は半ば諦めたように、そっと頷く。


 夫は女の朧げな目付きを見て、そして、血圧を測り、脈を取り、


「上が100を切ってる、これなら大丈夫だ。」と呟くと、地下室から出て行った。


 女は夫が出勤する合図である玄関の閉まる音を確認すると、ふらふらと地下室から上へと這い上がるように階段を登って行った。


 女は真っ先にキッチンに行き、コップ一杯の水を飲んだ。


 意識は朦朧とし、頭の中は割れるように頭痛がする。


 喉はカラカラに乾き切っている。


 女は洗面所に行き、自身の落ち窪んだ目付き、充血した眼球を鏡に見遣り、そして、薬物で真っ白になった舌を映した。


 かなりの薬物を飲まされているのが白粉をしたような真白な舌が物語っていた。


 女はヨロヨロとソファーに横になった。


 そして、玄関の方を見遣るが、直ぐに諦めたように目を瞑った。


 逃げる気力も体力も無かった。


 自力で歩く事も覚束ない。


 長い間、監禁されていたことから、太腿の筋肉は擦り減り、腕のように細くなっていた。


「どうせ逃げられない…」と


 女は一言呟いた。


 悪魔顔の男は県庁玄関を入り、総務部の部屋へと向かう。


 部屋に入ると職員が立ち上がり、挨拶をする。


 悪魔顔の男は、其れ等、挨拶に応えることなく、仏頂面で部長室へと入って行った。


 30歳半ばで異例中の出世であった。


 親父は県の副知事まで務めた。


 閉鎖的な県庁組織は、悪しき旧態依然とした二世へのエコ贔屓を慣例の如く、繰り返した。


 親父のコネで県庁に入り、嫌な部署には赴かず、出世街道となる花形部署のみ渡り歩いた。


 今の県の部長連中は全て親父の息が掛かった者ばかり、知事さえも親父のポン友であった。


 我儘放題のこの悪魔顔の男は、職員から当然の如く忌み嫌われていた。


「おい、今日も不機嫌極まりないな、あの顔見たか?」


「あぁ、悪魔顔でも不機嫌な表情が作れるんだと感心していたところだよ。」


「親の七光のボンボンの癖、威張り腐りやがって…」


「構うなよ。どうせ、碌な死に方しやしないよ。」


「どうかな、悪たれ世に蔓延ると言うじゃないか?」


「悪魔は地獄がお似合いなんだよ。」


 県の職員は半ば諦めの境地で、この親の七光の威張り腐った悪魔男を揶揄っていた。


「しかし、一番頭に来るのが、あんな悍ましい面をしておきながら、嫁さんは絶世の美女なんだろ?」


「そうさ!ミスコンでも優勝した飛び切りの別嬪さんだよ。


 何であんな悪魔面が良いのか?


 俺には分からねぇ~がな。」


「そりゃ~そうさ!女も顔より世間体を重んじるんだよ!」


「最低だな、その女も…」


「しかし、あれだぜ…、噂じゃ、最近、悪魔の嫁の姿を見た者は居ないそうだ。」


「あの悪魔、地下室なんかに監禁してるんじゃないか?


 あの面を毎日見たら、金持ちのボンボン好きの強欲な女だって、逃げ出したくなるさ。


 逃げないために監禁してるのさ…」


「おいおい、ミステリー小説の読みすぎだよ!」


「いやぁ違うな、ホラー小説だよ。」


 こんな噂も飛び交い始めていた。


 悪魔もその点は承知していた。


「そろそろ、外に出すか?


 知事との晩餐会にでもな…


 まさか、晩餐会に奴が顔を出すことはなかろう…」


 奴とは…


 そう、女の元彼氏のことである。


 悪魔はコヨーテのように用心深い。


 調教・監禁した上でも、尚且つ、元彼の存在に用心を怠らない。


 その元彼は…


 夜の海の上に居た。


 漁師となり中古船でイカ釣り漁をしていた。


 真っ暗な重油のような海面


 うねりにオンボロ中古船は飲み込まれそうに、大きく揺れていた。


 天空には半月が中途半端に月光を放っていた。


 男は何も考えず、黒い海を見遣っている。


 いや、男は何かを見ていた。


 最近、よく見るあの夢を…


 2人で行った草原の景色を…


 男はまだ気づいてない。


 地下室からの女のメッセージを…、


 まだ、その真の文言がハッキリとは見えていなかった…

 

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