第4話 無意識のモールス信号
女は真っ暗闇の宇宙の中で眠っている。
女の耳に届く音は左耳石から鳴り止まない耳鳴りだけであった。
女は、この暗闇の宇宙の中で、生きている時間の大半を徘徊し続けていた。
しかし、時折、この絶望の世界に変化が生じることも、女は知りつつあった。
今がその変化の時であった。
宇宙の暗闇の世界に黒色以外の色彩が生えてきた。
上に青色
真ん中に緑色
そして下に土色
宇宙の闇の黒色は霧が薄れるように、ドライアイスが蒸発するように、瞬く間に消えて行く。
女の夢が晴れていく。
そして、ゆっくりと眼前に青色の空を背景とした雄大な山が現れ、
その山裾からは、広大な草原が女の足下まで広がり伸びて来る。
女は足下を見る。
若葉が、蕨の若葉が黒土から無数に這い上がっていた。
そして、眼前の雄大な山の頂上からは、青色の海で遊ぶイルカのように、可愛い真っ白な雲たちが風に運ばれ、女に向かって、すいすいと近づいて来る。
女は大きく両手を広げ、胸いっぱいに深呼吸をし、若草に覆われた黒土の大地に仰向けに寝転がった。
遊びに来たイルカの雲たちが暫し太陽を目隠しする。
女は両目を開けて、天高く、何処までも続く青空を見遣る。
女は笑っている。
幸せそうに笑っている。
そんな自身が夢の中に見える。
そして、ぎゅっと誰かの手を握りしめている感覚が、女の掌から血液に流れ込み、そして心細胞の鼓動が胸を心地よく打ち鳴らす。
女が横を振り向く必要はない。
ちゃんと手を繋いでいる。
「何処にも行かない…、二度と離れないから。」
女はイルカの雲に隠れた太陽に向かって、そう叫んだ。
女がひと時の安息を味合うかのように瞼を閉じた。
瞼の裏が光に照らされ肌色のピンク色に見えた。
女はまた、ゆっくりと瞼を開いた。
「ひっ」!
女は絶句した。
「何、笑いながら寝てるんだい?
そんなに楽しい夢を見ていたのか?」
女が夢から覚めた視界の中は、やはり、悪魔顔の夫が覗き込んでいた。
「睡眠薬の調法を変えないといけないな。
お前が夢を見ないようにね。」と、
夫はそう呟くと、
また、女の顎を掴み、容赦なく「バキッ」と顎骨を外し、
いつもより多めに安定剤、抗うつ剤、そして、睡眠導入剤を女の喉に放り込んだ。
女は泣きながら、その錠剤が喉を通らないよう喉元を締めようとしたが、
人体上、通るように出来ている喉の構造を真逆にコントロールすることは出来なかった。
また、女は哀れに大口を開いたまま、痴呆のような虚な表情となり、口元から涎を垂れ流し、意識を失って行った。
男は情けなく瞳孔が開きっぱなしの女の瞼を親指で閉じると、顎骨の関節を元に戻し、口も閉じさせた。
「くそ!こいつ、何見て笑ってやがったんだ!
俺を見た瞬間、悲鳴を上げやがって!
また、アイツの夢を見ていたに違いない…
まだ、アイツのこと好きなのかよ…」
夫はぶつぶつ文句を言いながら、地下室の電気を消して、階段を登って行った。
女は再び眠りについた。
暗黒の宇宙の中を彷徨う虚無と絶望の夢の中に落ちて行った。
しかし、女の血流、女の心臓音、女の呼吸は、モールス信号のように暗号を打ち続けていた。
「た、す、け、に、き、て」と
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