17――夏休みの予定と母との会話


 7月下旬はすでに夏本番の暑さだ。熱中症が怖いのでミーナには私が学校に行っている間は、常にエアコンをかけっぱなしにするように言ってある。ミーナは好奇心の塊だからリモコンのボタンを色々と押してしまうので、私が適した温度と強さに設定してミーナには電源ボタンだけ触るように言い聞かせてある。


 私は移動の間は暑いけれど、大学の建物内は空調がきちんとしているので熱中症で倒れる心配はない。構内の食堂やカフェに行けば、冷たい飲み物もあるからね。


 友達とも励まし合いながらなんとか大学での初めてのテストを終えて、前期のカリキュラムをすべて消化して夏休みに突入した。高校時代に比べると、大学の夏休みは少しだけ長い。できれば私が自由に動けるこの夏休みの間に、ミーナのこれからにある程度の道筋をつけてあげたいと思っている。


 『テストから解放されたし遊びに行こうよ』と友達に誘われたのだけど、バイトがあるからと断りを入れた。一応子供のお世話をするバイトを始めたのだと言い訳はしているけど、そろそろ友達が離れていきそうだなぁと小さくため息をつく。私の経験上、女子の友達付き合いの中で遊びの誘いを頻繁に断っていると、意地悪されたり無視される可能性が高いのだ。


 友達も大事だけど、私の中の優先順位はミーナの方が高いのだから仕方ないよね。もし後期が始まって友達が周りからいなくなっていても、そこは開き直って普段どおりに過ごそうと思っている。生涯の友達ならもうみやがいるし、友達って無理して作るものでもないからね。少なくともちゃんと授業に出てノートも取っているから、同じ学部の友達のお世話にもなってないし。いなくなったならいなくなったで、これまでと同じようにしっかり授業に出席してノートを取ったり提出物をしっかり出していれば、ひとりぼっちの学生生活でも大丈夫なんじゃないかな?


 私の今後の大学生活はともかくとして、この間考えていたように実家の家族に相談しようと思う。絶対に『なんでもっと早く話さなかったのか』とか『警察に任せようとは考えなかったのか』とか、ものすごく怒られるのは確実だろう。それでも私が頭を下げてミーナのためになるなら、喜んでいくらでも頭を下げよう。そのくらいこの数ヶ月という僅かな間に、私にとってミーナは妹のように大事な存在になっていた。


 地元の駅を出てから家に帰り着くまでの間に、スマホから実家へと電話を掛ける。うちの母は色々な事を趣味でやっているけれど、基本的にはお気楽な専業主婦だ。多分電話に出てくれるだろうなと思いつつ呼び出し音を聞いていると、プツッと雑音が聞こえてからしばらくぶりの母の声が聞こえてきた。


「はーい、どうしたの佐奈?」


「急に電話してごめんね、今話してても大丈夫?」


 気の抜けた声で電話に出た母に脱力しながらも、とりあえず返事をした。どうやら家にいるらしく、通話しても問題ないとの答えだったので話を続ける事にした。


「今日で大学の前期日程が終わって、明日から夏休みなの。それで、お母さん達に大事な話があるんだけど……お父さんとふたりでこっちに来られないかな?」


「何よ、改まって。お母さん達だって色々とやらなきゃいけない事があるんだから、佐奈がこっちに帰ってきなさいよ。お父さんもお兄ちゃんも、佐奈がどうしてるのかってうるさくてたまらないんだから、顔を見せてあげなさい」


 ダメ元で両親にこっちに来てもらえないかなと交渉してみたけれど、にべもなく断られてしまった。そりゃそうだよね、お父さんだってまだ現役で働いているし、お母さんにだって用事もあるだろうから。ただ私とミーナのふたりの旅費となると、懐具合があんまりよろしくない状態なので辛い。せめて私の分だけでも出してもらえないかな、相手がお父さんだったら二つ返事で出してくれるんだけど、お母さんが相手だとかなり厳しい交渉になると思う。


「その、旅費がね。心許ないというか、なんというか。できれば援助してもらえると助かるんだけど、無理かな?」


「はぁ!? アンタ仕送りもらって貯金もあれだけあったのに、まさか家を出て数ヵ月で使い果たしたとか言い出すつもりじゃないでしょうね!!」


 あ、ヤバい。私のお願いを聞いて、お母さんの声音が怒りの方向に2段階ぐらい動いて低くなってしまった。その割にボルテージは上がるのだから、めちゃくちゃ怖い。でも間違った使い方をした訳でもないし、浪費したつもりもない。そこは胸を張って言えるのだから、私はしっかりと反論するために口を開いた。


「無駄遣いをしたつもりはないよ、私は必要があってお金を使いました。ただそれも話したい事に関わってくるから、ちゃんとお母さん達に説明したいの。包み隠さず話すから、それを聞いてから判断してほしい」


 真摯に告げた私の言葉に、電話の向こうはしばらく無言だった。怒りとか不安とか、そういうものを飲み込もうとしてくれているのかもしれない。そんな一縷の望みに縋りながらしばらく待つと、すごく大きなため息が受話口から聞こえてきた。


「わかったわよ、少なくとも私が育てた娘は馬鹿な事に大金を馬鹿みたいに注ぎ込むような大馬鹿じゃないはずだもの。話を聞いてから判断しましょう、それでいつ帰ってくるの?」


「と、とりあえず明日の早朝に新幹線に乗ろうと思ってる」


 そんなバカバカ言わなくてもと思いつつ、一旦は怒りを保留にしてくれた母に感謝をしながら答えた。ミーナも連れて行かないといけないから、かなり早起きしなくちゃね。


「クレジットカードで旅費は支払いなさい、まさかカードまで止まってるとか言わないわよね?」


「それこそまさかだよ、使ったお金はちゃんと支払う。借金は自分で全部返せるようになるまでするな、そう私に教え込んだのはお母さんでしょ」


 私がしっかりと言うと、母は『よろしい』と満足そうに呟いた。それに私が使ってるクレジットカードは家族カードだから、何かあればすぐにお母さん達のところに連絡が行くでしょうに。


 明日気をつけていらっしゃい、という母の声にお礼を言って電話を切った。持っていくのは何日か分の私とミーナの着替えだけでいいかな、足りなければ向こうで買ってもいいし。


 母と話しているうちに、いつの間にかマンションのすぐ近くまで近づいていた事に気づいた私は、早速明日からの予定をミーナに教えるためにマンションへと駆け足で走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る