012_ヴォイド

「……ッ! アイツが来た……!」


 向こうの連中の表情が途端に恐怖に染まる。怯え方が尋常じゃない。彼らの額には汗が吹き出し、ガタガタと震えている。相当恐ろしい光景を目の当たりにしたらしい。


 更には俺たちの周りを囲うように群れていた魔獣たちも、怯えるように逃げ去っていく。まるでこれから訪れる恐怖から逃れるように。


 それほどの相手か……


 俺やメリーベルは身構え、ダンジョンの奥、闇の中をじっと見据える。闇の中から聞こえるのは剣撃と戦闘音ばかり。恐らくこの先で、ティスカとヒルダの二人が戦っているのだ。


 俺は近くに立っていた松明から木片を一本取り上げ、音のする方へ思い切り投げ込む。暗闇の奥へ投げ入れられた炎は弧を描いて地面を転がると、軽い音を上げて二度三度と床を跳ねた。

 しかし小さな明かりだけでは何も見えない。時折、何者かの影がちらつくだけ。


 そうして戦いの音だけが響き続けた後、やがて闇の中から、まずはティスカが何かに吹き飛ばされたように宙を舞って着地する。


「思ってたより強い! ランクⅦはあるかもしれない!」


 ティスカの叫びにキディキディが表情を強張らせる。


「ランクⅦ!? そんな……!」


 彼女が驚くのも無理はない。ランクⅦと言えば世界に一握りしかいないランクⅥ相当の冒険者が、複数人集まってようやく倒せるような魔獣だ。こうなると、もしユニオンの援軍が来たとしても倒せるかどうか定かじゃない。


「わかった! ヒルダ、一回退け! 態勢を整える!」


 直後、闇の中から聞こえていた斬撃音が止み、今度はヒルダが宙を舞って俺たちの元に着地した。その肩には一人の男を抱えて。


「ダンテ!」


 キディキディが叫ぶ。どうやらこいつが残りの一人らしい。


「生きてはいるわ。けど、早く治療しないと長くないわね。逃げるならその人を囮にするって手もあるけれど」


 いつもの淡々とした調子でとんでもないことを口走りながら、本人なりに丁寧に置いたのだとは思うがそれでも少々乱雑に、ダンジョンの床目掛けて男が転がされる。


 ダンテと呼ばれた男は筋肉質で、思ったより体格が良い。よくこんな奴抱えて跳んでこられたな……


「つまり逃げられないって訳か。良いね、配信映えしそうだ」


 俺は手頃な場所にキャプチャーを置き、すぐにダンテの治療に入るため駆け寄るが、状況を理解して治療を諦めた。


「悪い、あんたたちはそいつの治療頼む。荷物の中に薬が入ってる」


 肩に背負った荷物を下ろしながらキディキディたちに声をかけると、キディキディは「あなたたちは!?」と叫ぶ。


「そりゃもちろん、仕事の時間だ。生憎と本気でやらにゃならんらしい」


 ダンテに近寄った際に目に入ったのは、ヒルダが負ったいくつかの傷。軽傷で、しかも人を抱えながらだとは言え、ヒルダが手負いになるなら余程の相手だ。それだけでまともな相手じゃないことがわかる。


 荷物を置いた俺は早速剣を構え直す。普段は全く使うことのない上に、俺が居たところで何の足しにもならないだろう。ただ、それでもないよりマシだ。


「戦うつもり!? 無茶よ!」


 キディキディが悲痛な叫びを上げる。


「流石の俺たちでもあんたら全員抱えて逃げるのは無理だ。その死に損ないを見捨てて残りで逃げるのと、魔獣を倒して全員生存。どっちが良いか今選びな」


 俺の言葉に一瞬だけ言葉に詰まり、覚悟を決めたらしい彼女が続けた。


「……あなた、ランクは?」


「俺か? 俺はランクⅢ。冒険者になってまだ半年のペーペーだよ、ハハハ」


「ランクⅢ!? そんなので勝てる訳が――!」


 その言葉を遮るように、闇の中からぼんやりと、二人が相手していた魔獣の姿が現れた。


「ひっ……!」


 キディキディの短い悲鳴が響く。


 まず初めに視界に入ったのは、闇の中に浮かぶ二つの赤い瞳。特筆すべきはその瞳の位置だ。俺たちのずっと頭上、天井近くの位置に不気味に浮かんでいる。


 やがて露わになる頭の輪郭。まるで馬面の老人のような顔が浮かび上がり、髪やヒゲにも見える長い苔色の体毛を揺らしてぬっと現れた。

 頭の上に生える二本の長く大きな角が、不気味さをより顕著にしている。


 続けて、その頭に繋がる長い首が姿を現す。まるで頭が浮いているように見えたのは、長い首によって支えられていたためだった。

 頭を覆う体毛と同じ長い苔色の毛が、その首を覆い尽くしている。


「何だこいつ……見たことないやつだな……」


 このダンジョンが獣型ダンジョンであることを思い出したように、その長い首の後に現れた胴体には、申し訳程度にヒヅメのようなものがついた四足の脚が生えている。


 ぼーっと、何を見ているのかわからない無機質な赤の瞳は、ただただ俺たちをじっと見つめていた。


「相当な深層で、たまに見るタイプの魔獣よ……けど、ここまで大きい個体は見たことが無い……」


 冒険者としては大先輩であるキディキディが言うほどだ、よっぽどなイレギュラーな個体なのだろう。


「アンタたち、悪いけど守ってやれそうにない。俺たちから離れるなよ。巻き込まれるぞ」


「巻き込まれるって――」


「まずは相手の出方を伺う! ティスカは地上、ヒルダは空中から攻撃! 足を止めろ! メリーベル、赤の第六!」


「了解!」


「わかったわ」


「うん……!」


 直後、三人が一斉に動き出す。まずはヒルダが跳躍、そしてダンジョンの壁を蹴って瞬く間に上へ昇る。天井近くにある魔獣の頭と同じ高さまで駆け抜けたところで、手に持った二本の短刀で切りつけた。


 それとほぼ同時のタイミングで、ティスカが一足に魔獣との距離を踏み抜く。両手に握った剣を横に構え、魔獣の胴を切り裂くように振りぬいた。


 空と地上の同時攻撃。あまりに突然の攻撃に、魔獣はたまらずつんのめる。反応が遅れた魔獣の動きが止まった。そこに襲い掛かるのはメリーベルの魔法だ。


「刮目せよ! 赫灼かくしゃくたる極星きょくせい、その第六の階梯かいていを!」


 メリーベルは足を踏みしめ、正面に巨大な火球を描き出す。

 まるで小さな太陽かと錯覚するほどの熱気を放つそれは、ごぽごぽと音を立てて辺りに火の粉をまき散らし、徐々に肥大化していく。


 その火球を撫でるようにしてメリーベルが両手を動かすと、先ほどまで通路を塞ぐほど巨大だった火球は途端に彼女の両手のひらに納まるほど、小さな球に変貌した。


「ハアッ!」


 そして、メリーベルはその球を魔獣目掛けて射出した。火球は流星のように闇の中を駆け抜け、瞬く間に魔獣の胴体に着弾――爆ぜた。


「仲間ごと!?」


「あんなんでへばってくれるなら苦労しねーよ」


 続けて、爆炎の中から炎を切り裂く斬撃が走り、メリーベルの一撃を意に介した様子もなく、ティスカが、そしてヒルダが戦闘を続行する。


 宙を舞うヒルダは魔法の衝撃をそのまま胴体の回転に変換、魔獣の身体を転がるように連続で切りつける。更にティスカがそれに続き、未だに炎上する魔獣の身体めがけて、ヒルダが与えた傷を一本の線につなげるように切り裂いていく。


 魔獣は生物ではなく、生物を模倣した存在だ。これだけ切り裂かれようと血が流れることはない。しかし、それは無敵と言う意味では決してない。それを証明するかのように、爆炎の中から魔獣の悲鳴にも似た唸り声が轟いた。

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