016_社長

「――などと、よもや浮かれてはいないだろうね、ラルド君?」


「はっ! もちろんです社長!」


 俺は背筋を伸ばし、かかとを揃え、右手の拳を胸に当ててまっすぐ真横に腕を構える。

 王国騎士団時代の敬礼を咄嗟にしてしまったが、そうさせるだけの圧がこの人――オルヴィスの社長、サーマム・クライセインから放たれていたためだ。


「例の件、我が社にとって喜ばしい結果となったのは事実だが、それだけだ。まだそれが収益に繋がったわけでも、ましてや我が社にとって好転に繋がったわけでもない。だと言うのにこの程度のことで浮かれられても困るのだ。わかるね、ラルド君」


 社長席に腰掛けたまま濃い顎髭を撫で、彫りの深い顔で静かに俺を睨むクライセイン社長。オールバックに撫で付けたブラウンの髪も相まって、凄まじい圧を感じる。


 歳はまだ三十代だったはずだが、その迫力は騎士団で鬼教官と恐れられていた老騎士、ファレル上等騎士を彷彿とさせるもので、その鬼教官にかつて鍛えられた俺は「はっ! おっしゃる通りです社長!」と返すことしかできない。


 悲しいかな、元騎士の定めという奴だった。


「我が社は元々、ヴィジョンを活用した娯楽事業に注力する企業だった。しかし、時代の移り変わりと共にダンジョン配信に需要を奪われ、次第に事業が縮小し、今では経営破綻すら現実味を帯びている」


 おもむろに席から立ち上がり、窓際へ歩み寄るクライセイン社長。その灰色のスーツにはシワひとつなく、爪の先ほどの乱れすら見て取れない。彼の几帳面な性格が、その髪型共々に伺えた。


 地上三階、オルヴィス本社の社長室。その窓から景色を見下ろすクライセイン社長は、ゆっくりと言葉を続ける。


「つまり、我が社にとってこのプロジェクトは、文字通り最後の生命線と言うわけだ」


 社長の背中越しに机の前に並ぶ俺たち四人。俺の隣にはティスカ、メリーベル、ヒルダの順で並ぶが、反応は三者三様だ。


 いつものように腹を鳴らしながら鬱陶しそうに顔を歪める奴。いつものように猫背のまま、眠たそうに欠伸する奴。そしていつものように全く興味なさげに、自分の爪をいじる奴。

 社長の言葉をちゃんと聞いているのは、おそらく俺だけだった。


「私はね、君たちも知っての通りこのプロジェクトには半信半疑なのだよ。ダンジョン配信が流行っていることは百も承知だがね……それが長く続くとは到底思えない。それならばもっと別に、やるべきことがあるのではないか、とね」


 振り返り、俺たち一人一人の顔を見つめるクライセイン社長。その目はまるで、私の言いたいことはわかるね、とでも言外に問いかけているようだった。


 そんな独特の迫力を持つクライセイン社長にも、物おじせず物申す人物が一人。


「あら、それならどうして私たちを冒険者として雇ったのかしら。メリーベルなんか特に、その道のエキスパートよ?」


 空気を読めない……いや、読まないことに定評のあるヒルダである。


「ヒルダ!」


 俺は突然社長に対して口答えを始めたヒルダを制止する。しかし社長はヒルダを見据えると、ゆっくりと答えた。


「そう。私も同意見だ。だが、会社とは私の一存だけで成り立っているわけではない。何やら彼女と幹部たちが密約を交わしているらしくてね」


「あらそうなの? 初耳ね」


 そう言うヒルダが一番の訳ありだろ、とは言える雰囲気でなかった。

 何がどう罷り通ったら死刑囚が企業お抱えの冒険者になれるんだよ。


「だから私はこの事業を認めるにあたり、彼らに三つ条件を与えた……ラギナ君、私の条件とは何だったかね」


 すると社長の視線は俺たちの斜め前、社長机の隣に立つ秘書、ラギナへ向けられた。

 声をかけられたラギナはメガネを一度くい、と持ち上げ、相変わらずの冷たい口調で言い放つ。


「はい社長。条件は、一年以内に見える成果を出すこと。我が社のイメージを損なわないこと。そして――」


 瞬間、ラギナの鋭い視線が俺の目を捕らえる。


「――そして、応募者の中で唯一まともな経歴と人格を持ち合わせていたラルド・ヴィレンスを、目付け役として雇用すること。以上です」


「そう。ラルド君、君には彼女たちの目付け役……引き締め役になってくれることを期待しているのだよ。彼女たちは確かに、戦いに関する実力はずば抜けている。しかし少々……品位にかける。そんな彼女たちを、我が社に相応しい人間として見せてほしいのだ、わかるね」


「はっ! ご期待に添えるよう、尽力しております!」


「そんな君たちが、もし、あろうことか、何か問題でも起こしでもしたら。私はすぐにこの事業から手を引くつもりだ。我が社にとって君たちの存在は、事業の一つなのだよ。この程度のことで浮かれて失敗でもされたら困るのだ」


「自分もそのつもりで、全員の気を引き締めておりました!」


 びし、と再び騎士団式の敬礼を構える。するとそんな俺の姿を見て不満そうに、唇を尖らせたティスカがボソボソと喋る。


「でも、一番はしゃいでたのラルド――」


「ティスカ! 社長がお話中だ!」


「けど」


「シッ!」


「……」


「とは言え、これも結果だ。それは私も認めよう。しかしくれぐれも忘れるな。私はいつでも、君たちを切る準備が出来ている、と言うことを」


「肝に銘じておきます!」


「よろしい。ではここからが本題だ。君たち宛てに仕事の依頼が来ている」


「仕事の依頼……でありますか」


 説教だけにしては随分と急な呼び出しだと思っていたら、どうやらこちらが本命だったらしい。

 心当たりが無く、どういうことか考えていると社長が答えを告げた。


「依頼主はミスキリス。内容は……ダンジョン配信者、キディキディとのコラボ配信だ。先方は昨日の件に痛く感激しているようでね。どうかちゃんとした場で礼が言いたいと。もちろん、配信が嫌なら礼だけでもと仰っている」


「キディキディとコラボ配信!?」


 おいおいマジか。相手はあのフォロワー二百五十万越えの超超超大物配信者だぞ。フォロワー数ならダンジョン配信者四傑に入るほどの大物だ。


 ダンジョン配信者なら誰しも、彼女に限らず大手とのコラボは夢に見るものだが……それがまさかこんな形で叶うのか?


 心が浮かれ、承諾の意を即答しようとするも、すぐに冷静になる。いや、待て。これは非常にまずいぞ。


 何せコラボってことは、相手に俺たちの裏の顔を見せることになる。大食い剣士コイツ人見知り魔導士コイツ非常識死刑囚コイツをだぞ。無理だろ。普通に。


 うまく行けば一発逆転? 冗談じゃない。そんなリスクを負うくらいなら俺は逆転なんかしなくていい。ここでずっこけるよりもより堅実な道を歩くべきだ。


「君たちが……そして何より、我々オルヴィスが、より多くの人々に知られる好機だ。頼まれてくれるね、ラルド君?」


 だと言うのに社長ときたら、やれとばかりに圧をかけてくる。先ほどの俺に期待している、とはつまり、ボロを出さずにこのコラボ配信をやり遂げろって意味だったのか……!


「も、もちろんお受けしたいところではありますが……如何せん、その……」


「何か問題があるのかね」


 社長の眼光が鋭く輝く。思わず承諾しそうになるが、ここだけは譲ってはいけない。ここを譲ればバズるどころか俺たちの失態が配信に乗り、事業そのものが潰される。


「しょ、正直に申しますと、この三人を連れてのコラボ配信は非常に……いや、絶対に無理です。確実にボロが出ます。不可能です」


 俺が包み隠さずそう告げるも、社長は一度ふうと息を付き、ゆっくり口を開いた。


「……ではラルド君。君に問おう。このまま続けていて、ダンジョン配信がうまく行く保証はあるのかね?」


「それは……昨日の件でフォロワーも増えていますし、これからまたコツコツと……」


「そうやってコツコツ、半年間続けてきた結果が、一昨日までの成果ではないのかね。それがこれから、なぜ好転すると保証できる?」


「それは……はい……仰る通りです……」


「ラルド君。私は言ったはずだ、君には期待していると。彼女たちを制御し、人前に出しても問題ないように振舞わせるのは君の務めであり、そのために君を雇っているのだ。わかるね?」


 ……つまり初めから、選択肢などなかったという訳だ。


「……わかり、ました。コラボを受けます……」


 渋々そう答えれば、社長は「素晴らしい」と続ける。


「ならば先方にも承諾の意を伝えよう。コラボは三日後。先方の空いている日程がそこしか無いようでね。構わないね?」


「……もちろんです、社長」


「それではよろしく頼むよ、ラルド君」


「はっ、失礼致します……」


 そうして社長の部屋を後にした俺たち。ティスカがぼそぼそと「絶対ラルドの方が浮かれてた……」とぐちぐち言っていたが、俺の頭の中は三日後のことでいっぱいだった。

 一体どうやってこの三人を引き連れて、コラボ配信を乗り切れというんだ……!

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