007_ギラフィナのダンジョン第一階層

 ダンジョン内には瘴気と呼ばれる霧のような物質が充満している。


 ダンジョンの最奥部に必ず存在するダンジョンコアには、空気中の魔素を集める性質がある。このコアの影響により集まった魔素は、ダンジョンの中に滞留し続け、やがて人の目に見えるまで濃くなっていく。これが瘴気だ。

 ダンジョンの表層では目に見えないほどに薄いが、しかしダンジョン内である以上、必ずこの瘴気は滞留している。


 そしてこの瘴気がやがて一所ひとところに集まり、凝縮され、個体となったものが魔石である。


 魔石は生まれる際、辺りの瘴気と反応する。反応した瘴気は形を持ち、まるで生物のように振舞い始める。この生物のような異形こそが魔獣であり、ダンジョン内に魔獣が発生する理由なのだ。奴らは獣と言いつつも、生物ではないのである。


 魔獣がダンジョンにしか発生しないのは、この瘴気がダンジョン内でしか存在できないためだ。ダンジョンの外へ漏れた瘴気は、そのまま大気と溶けて魔素へと戻る仕組みらしい。


 そして逆に、ダンジョンの奥深くに潜れば潜るほど魔獣が強くなるのもこの瘴気の影響によるものだ。ダンジョンの奥に進むほどダンジョンコアの影響が強くなり、瘴気もより濃くなっていく。この濃い瘴気によって生み出された強い魔石は、大量の瘴気を纏って強力な魔獣へと変貌するのだ。


 ダンジョンを魔物の一種であると考えた学者は、きっとそんな仕組みが俺たち人間を捕食するためのダンジョンの狩りに見えたんだろう。

 まるでその説を裏付けるかのように、俺たちの前にはギラフィナのダンジョンの入り口が、獲物を待つ狩人のように口を開いて待ち構えていた。


「足元気を付けろ」


 言いながら、荷物の中から魔導機の一つを照らして起動する。これは魔石を動力に明かりを発生させる魔導機で、ダンジョン探索には必須の道具。俺の荷物の中にはこうした魔導機がいくつも入っている。


「ありがとうラルド、優しいのね」


「からかうなよヒルダ。もうここはダンジョンなんだから、気を引き締めろ」


「はぁーい」


 ギラフィナのダンジョン、第一階層へと降りる階段は、まるで誰かが手を加えたかのようにご丁寧に石で舗装されている。これをダンジョンが勝手に作り出したというのだから、まるで俺たちを誘い込もうとしているかのようで不気味だ。


 石造りの道には点々と、誰かが置いたのであろうたいまつの明かりが輝くが、それだけでは照らしきれないほどに真っ暗だ。

 見ての通り、ギラフィナのダンジョンは迷宮型と呼ばれるダンジョンタイプらしい。


 ダンジョンには一般に、地下に発生する迷宮型と、地上に建物を生成する露出型が存在する。


 どちらが良い、と言うわけでもないが、陽の光が届くため迷宮型より露出型のダンジョンの方が明るい印象がある。このダンジョンもそんな迷宮型の例に漏れず、いつの間にか入り口の明かりは見えなくなっていた。


 そうしてしばらく降りていくと、今度はひと際目立つ明かりが目に入る。どうやらギラフィナのダンジョンの第一階層に辿り着いたらしい。


「思ったより広いな。それに空気も澄んでる。いきなり毒ガス、って訳でもなさそうだ」


「あら、そんなダンジョンがあるの? 怖いわね」


「だったらもう少し怖がる素振りを見せた方が良いと思うぞ」


「おかしいわね、充分怖がってるつもりなのだけれど」


 ギラフィナの第一階層は思ったよりも小ぎれいな空間だった。道も壁も天井も灰色の石で舗装されており、歩く分にも苦労しない。そこから道なりに少し進むと、開けた広場に出た。広場にはここから先の階層に進むための準備をしているのか、俺たちと同じような冒険者たちがあちこちでたむろしていた。


 こんなところで冒険者がたむろしているということは……


 俺は辺りを見渡し、そしてそれを見つけた。


「げっ、もうユニオン出張ってきてるのかよ。仕事がはえーんだよ」


 それは広場の隅に置かれた魔導機だ。結晶化した大きな魔石――魔晶石――を核に、小ぢんまりとしながらもゴウンゴウンと物々しい音を立てる。瘴気避けのために置かれたこの結界魔導機があるということは、既にユニオンがこのダンジョンに突入してきているということ。お役所仕事だってのに新ダンジョンに関しては動きがやたらと早い。


 見ればこの広場を囲うように、数か所に瘴気避けの魔導機が配置されている。どうやらこの広場はユニオン公認のセーフティエリアって訳らしい。


 こういうダンジョンでは、こうしてダンジョンの浅い階層にセーフティを設け、冒険者や商人たちがたむろする光景がよく見られる。

 結界には瘴気を避ける力があるため、近くで魔獣を発生しないようにして安全地帯を作ったというわけだ。


 と言っても魔獣自体は普通に結界の効果内に入ってくるため、あくまでも魔獣の自然発生を抑えるだけ。魔獣がフロアに来ないようにしたいなら、フロア全体に結界を配置したうえで次の階層への入り口を封鎖する必要がある。

 とは言えあの結界魔導機一つで家一軒が立つほどの値段のため、そんな力技は余程の理由が無ければできないだろう。


「商人まで居るわね。もう開拓され尽くしちゃったのかしら」


 ヒルダが視線を辺りに向けながらそう呟く。その視線を追えば確かに、商人らしき人々が店を構えているようだった。どうやらこのダンジョンを訪れる冒険者を相手に商売しているらしい。これもダンジョンでは珍しくない光景の一つだ。


「ちょっと情報探るか。三人は少し休んでてくれ。適当に話を聞いてくる」


「それは構わないのだけれど、あの子は放っておいて良いのかしら。どこかに行って随分と経つわ」


「あの子?」


 ヒルダの言葉でふと後ろを振り向き……そして戦慄する。ティスカの姿がどこにも見当たらない。


「通りで静かだと思った! アイツどこ行った!?」


「さっきあっちに向かって行ったわ」


「何で止めないんだよ!」


 いや、答えなんかわかってる。こいつは他人に毛ほどの興味もない。だから無視したんだ意図的に。何なら俺が困る様を見て喜ぶような女だ、わざと見逃した可能性さえ考えられる。


 くそ、ティスカを野放しにするとろくなことにならねえんだよ……!


 ヒルダが指さした方向に視線を巡らせ、ティスカの姿を探す。するととある店の一角で、見覚えある長い金髪が目に付いた


「おいアンタ、買わねえならさっさと他行ってくれ!」


「……!!」


 それは肉を売る店だった。

 いや、店と言って良いのかすら定かでない。簡単な敷地だけを覆って、簡素な台と調理器具を並べたその場所で、店主と思わしき男が肉を焼いていた。


 その光景を目を爛々と輝かせ、ティスカはじっと眺めている。まるで餌を目の前にして、ひたすら待たされる獣のようだった。


「ティスカ!」


 思わずティスカに駆け寄ると、ティスカは「ラルド! お腹すいた!」といつもの奴を口にする。


 次の瞬間、ティスカの腹から腹の虫――否、腹の魔獣が遠吠えをあげた。

 その大きさと来たら店の店主はおろか、道行く冒険者たちまでもが驚いて振り返るほど。一緒に居るこっちまで恥ずかしくなってくる。


「……おっちゃん、悪いけどその肉売ってくれ」


「あいよ、毎度あり! どのくらい食うかい?」


 先ほどまでティスカに鬱陶しそうな視線を向けていた店の店主が、一転して人の良い笑顔で俺に問う。その手には肉を切り分けるために使うのだろうナイフと、先ほどからティスカが凝視していた焼けた肉の塊。


 焼けた肉の油はじゅうじゅうと音を立てて滴り落ち、ダンジョンの床に滴っては染み込んでいく。


 大きさは俺の頭二つ分より大きく、とても一回で食いきれる量には見えない。普通はそれをナイフで切り分けて売るのだろう。

 そう、普通は。


「全部だ」


「全部?」


「この肉を全部。丸ごと。一つ」


「全部!?」


 そりゃ驚くに決まってる。だが、それがうちの当たり前だ。ティスカにとってこの程度の肉塊は、精々おやつ感覚でしかない。


 驚愕したままの店主や見世物感覚でこちらを覗いてくる冒険者たちを他所に、俺は真顔で粛々と会計する。


 俺のサイフに入っていた生活費は、これで半分が消し飛んだ。幸いだったのは買ったのが近場で出てくる魔物の肉らしいこと。おかげでだいぶ安く買えた。そう、安いのだ、これでも。


「毎度あり! また来てくれよお嬢ちゃん!」


「はーい!」


 そうしてずっしりと重みを感じる包みを受け取ったティスカはご満悦。店主も商品が売れてご満悦。俺だけが損した気分だ。

 とは言えこれも必要経費。だったらついでにこのダンジョンの情報も調べておこう。


 俺は会計しながら店主との雑談に勤しみ、そこからこのダンジョンについての情報を拾い上げるのだった。

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