第13話 優性思想ガスライター
考えて居ると、ピンポンとチャイムが鳴った。
玄関の摺りガラス越しに誰かがぼんやり見える。
「宅急便でーす。荷物をお届けに来ましたー」
と言う声がした。
「はーい」と、彼女がドアを開けて何やらダンボールを受け取った後、再びドアが閉まる。
「ちょっと、すみません」
と、ぼくらの腰かけていたすぐにその箱をどさりと置くなり、彼女は早速開け始めた。
「3D低反発枕ぁ? 母さんったら、またこんなもの買って……」
なんだか不満そうだ。
「えと、この前はハヅキルーペ、はやめたんだっけ……青汁で、その前は『死ぬ前に食べて置かなきゃ』って急に蟹買ってきて……その前は沢山の唐揚げで……」
「通販が趣味なの?」
まつりがさりげなく聞くと、彼女はわからないと答えた。
「今までそんなに衝動買いとかするタイプじゃ無かったんですけど、兄がおかしくなった頃から急に、変わった買い物も増えて。まぁ、暇だからだったらいいんですけどね」
やれやれ、と彼女はつまらなそうに箱を元の状態に閉じている。
「そういえば、お母さんも変なんだよね」
まつりが再び訊ねると彼女は苦笑いで頷いた。
「見てきたみたいにわかるんですね」
「これに近い例をちょっと前に経験してね」
まつりも笑顔を見せる。
「……そうですか」
彼女はそれで納得したようだった。
「えっと、母もそう、荷物を何処かに、あちこちに送ってる事もだし――――」
と、そこまで言って、やはり彼女は言い淀んだ。
「そうだ。そういえばあれって、コロナウイルスが流行るより前なんですけど」
「うん?」
「その……母が、無意識に口ずさむというか伊東ゆかりさんの 『知らなかったの』を歌うようになって」
そこまで言って彼女は更に頭を抱えた。
「あー、えっと、どこから、そう、あの日から、少しして……『私だって、駄目だったのに!!』みたいなことを台所で一人で叫んでいたことがあるんです……いや、それより前か」
混乱しているらしい。まぁ、無理もないだろう。
自分がずっと何者かに張り付かれていて、それは身内も含めての監視だなんてことになっていたら、混乱くらいはする筈だ。
「そう、あの日から私は一切何も話していないのに、兄と二人だけで何か相談しているような事が数日あって、その二人の中だけで勝手に話が進んでるみたいだったんです」
「何か言ってたとか、覚えてる事とかない?」
ぼくが聞いてみると、彼女はそうですね、と少し考えて答えた。
「『悪いと思ってるけど』 とか『父さんが』、という言葉が聞こえて、母も『そう』とか『まぁ』とか頷いている感じでしたね」
――――声が大きい!
――――本当なの
――――が来て、もしかしたらいけんじゃないかなって、思って、
悪い事をしたと思ってるよ
――――隠せそうなの?
「って感じです。小声でぼそぼそ話してるときがあって……最初は、就職の、進路相談とかだと思ったんですよね。でも『悪い事したと思ってる』とか、バレた、とか。母もそれを静かに聞いていました。タイミング的に、湯たんぽが届いた後くらいなので、その時点で既に私に成り済ましていたのでは?と思うんです」
「流れから推察するに、成りすましをしていたらお父さんが更に便乗して口止めしているという感じ?」
まつりが纏めると彼女も、うーん、と考え込んだまま答えた。
「そう、ですね……その辺、私もはっきりしないんですけど、でもみずのんと関わっているのは結構前からな気がします。プロフィールを偽ってるのもその時点で知ってないと出来ませんし……」
「それで、母が毎日のように唐揚げをはじめとする、まるで何かを試しているような行動が始まるというか……」
曖昧で漠然としているけれど、彼女自身、どう表して良いのかわからないのだろう。
「試すって?」
「……フラッシュというか、ガスライターというか、特定の行動を指示されているみたいに、唐揚げを沢山買ったり、蟹を買ったり、」
「ガスライター?」
ぼくが訊ねると「ほら、青葉さんの記事でも出て来たでしょ」と言った。
「あぁ……」
サイトで見た記事を思い出してみると確かにそのような話も載っていた気がする。
それはもともと、ガス燈というハミルトンの戯曲の事だそうで、
その中での偶然やさりげなさを装って誰かを心理的、精神的に追い詰めていく手法を指して「ガスライティング」と言う言葉が生まれたそうだ。
例えばなとなとには「納豆の話題をしてはいけない」という暗黙の了解があるけれど、目の前で納豆を振って見せつけて去って行ったり、偶然を装って度々納豆の話題を振って来る――――といった、『相手を追い詰めることがわかっていて、それだけでは犯罪ではない特定の行為を執拗に示して相手を追い詰めようとする』、という行動を母親がしているという意味になる。
「日本ではまだ規制が緩いからね」
……コロナで何故か流行った言葉に、密になるがあったっけ。
ぼくはふと思い出した。
伊藤って言うと、サッカー日本代表・伊東純也選手が告訴されている。
世の中には、『政治力』や金で、話題を操作出来る人が居て――――佐村氏もその一人だろう。
少し前に爆笑問題の太田光氏の裏口入学問題があったけれど、あれももしかしたら別の意味が含まれているんじゃないか。
「母は兄の告白を聴いた上で、更に君を追い詰める行動に加担する方を選んだんだね」
「そうなりますね」
しかも、今も続いているというのだから驚いた。
「母が、自分が受からなかったからと兄に加担して妬みを発散してるような気もします」
彼女は悲しそう、と言うか、残念そうという目をしている。
「私、昔からほんと、人前で創作をするのが苦手で……昔は絵を描いていたんですけど、失敗作を捨てたら毎回母が拾って張り出してたりしてから、良いものと捨てるものの取捨選択が出来なくなって、評価だけが重なってろくに作れなくなってしまって……それで学校とか親の居ないところでしか発表出来なかったんです。
何をやっても親に見張られてるって感覚が抜けなくて……匿名のサービスが増えて、やっと自由に発表出来て居たのに」
『私だって駄目だったのに!』
みたいなことを母が叫んでいたことがある、というのがその通りなら、確かにそれもあり得る。
見張ってでも彼女の存在自体を破壊したいのが、母親の本心だったというのだろうか。
「何度か、どういう意味かとか、何か聞いても『知らない』とか『なんのこと?』ばかり言うんですけど、でも何も知らないのはあり得ない。私はあの会話を聞いたんですから」
「ちなみにお父さんは何を?」
ぼくが横から訊ねると、彼女はきょとんと「さぁ?『人には言えない仕事』って聞いてますけど」と言った。
……そうなんだ。
2024年1月31日2時04分
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