第32話 隣で
「なあ、咲」
「何?」
2月が始まって少しした頃、晩御飯を食べているとお父さんが話しかけてきた。普段と違って真剣な顔になってる。
「咲、彼氏が出来たのか」
「え?」
「隠さなくてもいい、母さんから聞いた」
お母さんを見ると後ろを向いて肩を振らわしている。一体お父さんになんて言ったのだろうか。前はお父さんが気づくまで黙っていようって言ってたのイに、多分その場の気分で言ったんだろうな。
「連れて来なさい」
「え?」
「連れて来なさい」
どうしよう、正直に言おうか、でないと彼氏が居るって勘違いさせたままになってしまう。彼女が居るって言ってもどっちみち驚くだろうけど誤解させたままよりかは多分ましだ。
「ちょっと咲、こっち来て」
「お母さん?」
ずっと笑ってるお母さんが私を呼んだ。この顔は何かを企んでいるときの顔だ。
「春ちゃんのことは秘密ね」
「え、でも…」
「いいじゃん、そっちの方が面白そうだし」
たまに自分の母親が本当に大人なのか疑わしくなる。
「それじゃあ今度、咲の恋人に来てもらいましょう」
「そうだな、どんなやつかしっかりと見ないとな」
腕を組んで威厳たっぷりみたいな振る舞いをしてるけど普段お母さんにからかわれている姿ばかり見てるから違和感しか感じない。というか結局今回もお母さんの術中にはまってるし。
そうして今日、春先輩を家に招くことになった。前と同じように家の最寄り駅で春先輩を待つ。休日だからか家族連れや友達、恋人同士であろう2人組など平日の朝とは違う光景が広がっている。本当は天気も良いし春先輩と2人でどこかに出かけたりしたいところだけどそうもいかない。
「咲ちゃん、お待たせ」
そうこうしているうちに春先輩が改札から出てきた。落ち着いた色のコートを羽織っていて少し大人びて見える。
「咲ちゃん?」
「あ、いえ、行きましょう」
家までの道を春先輩と歩く。それだけのことなのに周囲の光景が新鮮に感じられる。街路の木々にはまだ葉は無く春の訪れを今か今かと待っているようだ。個の木々も春には花をつけ春が過ぎれば葉をつける。そうやって季節とともに移ろいでゆく。私と春先輩の関係も1年を通して変わっていった。これからは一体どんな風になっていくのだろうか。
「そういえば、咲ちゃんのお父さんはまだ誤解したままなの?」
「はい…すみません、お母さんが楽しんでて…」
本当にどうしてこうなってしまったのか、訂正ならいつでもできたはずなのに楽しんでいるお母さんと変にやる気の入ったお父さんを見るとなんかもうどうにでもなれと思ってしまった。もしかしたら私もお母さんみたいに楽しんでいるのだろうか、それはなんというか大人から一歩遠ざかった気分だ。
「咲ちゃんのお父さん、許してくれるかな…」
不安げな様子の春先輩、その気持ちは理解できる。私も初めてお母さんに春先輩とのことを聞かれたときは少し焦った。
「お母さんは大丈夫でしたし多分大丈夫です」
確証なんて無いし無責任なことを言っていることも分かっている。でも何を言われても私は春先輩と離れる気は無いし、たとえ許されなくても時間をかけて説得するつもりだ。
「そうだね、わたしも頑張るね」
「いらっしゃーい」
玄関を開けると満面の笑みを浮かべる岡さんが立っていた。
「お邪魔します、あのこれつまらないものですが」
「お気遣いどうも、さあ上がって上がって」
玄関にもルカニもお父さんの姿はない。てっきりいの一番に姿を見ようとするものかと思ってたけど違ったみたいだ。
「お父さんは?」
「リビングで待ってる」
肩を震わせながら答える様子を見るとなんだか不安になる…違う意味で。
「さ、どうぞー」
そう言ってリビングへと入っていくお母さん、隣の春先輩からはいよいよだと春先輩から緊張がひしひしと伝わって来る。
「大丈夫です、行きましょう」
そっと手を握る。少し緊張が和らいだのか私に笑顔を見せてくれた。
「ありがとう、頑張るね」
リビングの前まで来た。大丈夫かな、どんな風になっているんだろう。
「お父さん連れてきた…」
意を決して扉を開けるとこちらに背を向けて腕を組みながら窓の外を眺めて立っているお父さんの姿があった」
「来たか」
どうしよう、なんだろうこの光景。お父さんはよくわからないし、お母さんは肩を震わせているし、春先輩はなんか恐々としてるし、お父さん…何でそれになっちゃたの。
、「咲に迎えに来させるなんてどういうつまりだ」
役に入り切っているのかいつもより少し低い声を出している。やめて、なんか恥ずかしい。
「まったく、挨拶もな…し……んー?」
そうして振り向いたお父さん。私の隣に居る春先輩を見て状況を理解できていないみたいだけど、そういう問題じゃない。一体なにがしたいのさ?
「あ、あの挨拶が遅れてしまい申し訳ありません、咲さんとお付き合いさせていただいております天野春です」
しばらくの沈黙、限界が来たのかお母さんが決壊した。
「咲、これはどういう状況?」
「こっちが聞きたいよ、何してるの?」
結局その後は
「いやー怖がらせて悪かったね、さっきのは忘れてね」
「いえ、あの…すみません挨拶が遅れてしまって…」
いまだに少し委縮してる春先輩、きっとお父さんを睨むと今度はお父さんが小さくなる。
「あ、いやほんの遊びのつもりで…」
「お父さん、反省して」
「はい、すみません」
これは後であ母さんにも文句を言っておこう。
「咲ーちょっと手伝ってー」
台所の方からお母さんの呼ぶ声が聞える。ちょうどいい今言おう。
「少し待っててください」
「あ、うん」
咲ちゃんが手伝いで台所に行ってしまい、咲ちゃんのお父さんと2人になった。どうしよう、何か話した方がいいかな?咲ちゃんの反応を見る限り咲ちゃんのお父さん怒っているわけじゃないだろうけど。
「天野さんだったかな?」
「は、はい」
「本当はね大丈夫だってわかってたんだ」
「え?」
咲ちゃんのお父さんは居住まいを正してこちらへと向き直った。
「中学のころまでの咲はね、あまり笑わなかったんだ」
懐かしむように、それでいて寂しそうに話し出した。咲ちゃんの話。
「学校の話とか友達の話なんてほとんど聞いたこと無かった、学校はどうかと聞いたこともあったけど、「楽しい」て答えるだけで」
咲ちゃんの昔の話はあまり聞いたことは無かった。咲ちゃん自身も過去を離そうとはしなかったしあまり明るいものではないって分かってた。
「でも、高校に入学して部活に入ったころからよく笑うようになったんだ」
咲ちゃんのお父さんは優しい表情を見せる。本当に咲ちゃんのことを大切に考えているんだ。
「あなたのお陰です、これからも咲をよろしくお願いします」
深々と頭を下げられる、慌てて私も頭を下げる
「はい、咲ちゃんが笑顔でいられるように頑張ります」
しばらくの間頭を下げあう時間が続いた。少しして咲ちゃんも戻ってきた。
「お待たせしました?」
「全然、お茶ありがとうね」
それからいろいろな話をして夕方になるころ家路につくことになった。
「今日はありがとうね」
「あの、今日はすみませんでした、ちゃんと本当のこと言っていたらこんなことならなかったのですが」
駅の改札前、見送りに来てくれた咲ちゃんと2人になった。
「全然、賑やかで優しいご両親だったね」
「えっと…はい、ありがとうございます」
本当に良かった、咲ちゃんのお母さんにもお父さんにも私たちのことを認めてもらえたし…
「あの…春先輩」
「うん?」
咲ちゃんがなんだかもじもじしてる顔も朱いしどうしたんだろう?
「あ、いえ…気を付けて帰ってください」
「え、咲ちゃん?」
何も聞けないまま咲ちゃんは走り去ってしまった。何を伝えたかったのかな。
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