第7話 風邪

「そういえば、そろそろ生徒会がくる時期だっけ?」


  補習も無事に終えて部活動に復帰したころ、彩先輩がそんなことを言った。


「そうね、来週の月曜日に来るはずよ」

「あの、何で生徒会が来るんですか?」

「そういえば、言ってなかったわね」


 葵先輩によると、毎年6月の初めに部活動の活動実態の調査があるらしい。


「形式的なものだけど、あまりにも酷いと活動停止になったりするわ」

「それ、大丈夫なんですか?」


 どう考えてもこの部活はちゃんとしてるとは思えない。今のところ実験という名のお菓子作りかお喋りしかしていない。


「去年は先輩がいたからな、大丈夫だったんだけど。どうしよっか?」

「どうしよっか」て、もしかして、なにも対策ないんですか?と思ったけど、一応他の2人も見る。

「…」


 葵先輩が黙ってる。これは本当に無理なんじゃないだろうか。

「電気パンを作れば良いんだよ」


 春先輩が元気よくそんなことを言い出した。


「それ、ただお菓子作ってるだけじゃないですか」

「大丈夫。実験だから」


 実験って、実験をよく知らないけど、なんかそうなる理由?原理?みたいなものを説明できないとだめなんじゃないだろうか。


「春は実験として説明できるの?」

「もちろんだよ。授業で習う範囲で説明できる内容だからね」

「マジで!春すげー」


 彩先輩が拍手までしてるけど、本当に凄いと思う。授業で習う範囲だからって、実際、電気パン自体を習うわけじゃないだろうし、しっかりと授業を理解してないとできないことなんだと思う。


「とりあえず、生徒会に見せる資料作っとくね」

「ごめんなさい。お願いするわ」

「なにか手伝えることがあれば言えよ」


 どうやら、方針は決まったようで基本は春先輩に任せて、手伝えることを私たちがするようだ。




 部活が終わり下駄箱についたころだった。


「雨降ってきたわね」


 ぽつぽつと雨が降ってきた。天気予報では夜から天気が崩れると言ってたけど、少し早かった。

「えっ?うそ。わたし傘持ってきてないや」


 春先輩は傘を忘れたみたいだ。まあ、私も小さい折り畳み傘しか持ってきてないけど。


「私、傘持ってるから、駅まで送るよ」

「でも、彩ちゃん帰り道、逆方向だよね」

「そんなの気にしなくていいって」

「でも…」


 春先輩は、申し訳なさそうな顔をしている。そりゃそうだ、春先輩の言う通り彩先輩の帰り道は駅とは真逆の方向なんだから。


「あの、私傘持ってるんんで春先輩入ります?」

「いいの?」

「はい、折り畳み傘なので少し狭いですか」

「全然大丈夫、咲ちゃんありがと~」


 私の提案に対して春先輩は嬉しそうに応えた。

 



 春先輩と駅への道を歩く。こうして春先輩との一緒に帰るのも当たり前になってきた。ただ、今日は折り畳み傘に2人で入っているからいつもより距離が近い。


「咲ちゃん、ありがとうね」

「大丈夫ですよ」


 春先輩のほうが背が高いから傘は先輩が持ってる。私が濡れないように傘をこっちに寄せていることが分かる。


「濡れちゃいますよ」

「大丈夫だよ。濡れてないから」


 見たらすぐばれるような嘘をつく。気を遣っての嘘なのだから怒ることは無い。でも、先輩が濡れてしまうのは心配だ。


「私が濡れてしまうのででもっと近づいてください」

「えっ?あ、うん」


 だから私も嘘をつく。先輩にもっと近づく。先輩の香りが分かるくらいには近づいた。


「…」

「…」


 さすがに近づきすぎたのか、なんだか恥ずかしくなってきた。先輩も黙っているし何を話せばいいか分からない。


「…もうすぐ梅雨ですね」

「そうだね」




「ただいま」

「おかえりー」


 家に着くとお母さんがリビングから声をかけてくる。いつものように自分の部屋に鞄を置いて着替えを済ませる。そうしてからリビングへと向かう。


「咲、最近帰り遅いけど、どした。彼氏でもできたか」


 急に訳の分からないことを言い出した。今更聞くのかとか、なんで彼氏だと思ったのかとかいろいろある。とりあえず訂正しよう。


「違うって。部活に入ったの」

「え?咲が?どしたん、かっこいい人でも居たの?」


 どうしてそういう方向に話を持っていきたがるのか


「違う、そもそも部活には男子はいないって」

「ほーん。つまらん。恋バナできると思ったのに」


 あんたは中学生か、というか娘と恋バナなんてしたいのか。


「でも咲が部活ねー。なんかあったの?」

「ちょとね」

「そっか」


 部活の話はそれ以上なかったけど、お母さんはどこか嬉しそうだった。やっぱり今までの私の学校生活は親として心配になったのだろうか。




 翌日、授業を終えて部室へ行くと春先輩がパソコンで何か作業をしていた。


「何してるんですか?」

「あ、これはね電気パンの原理を説明するための資料だよ」


 どんなことが書いてあるのだろうと気になってパソコンの画面を覗いてみると、ジュール熱やら電解質やらよくわからない言葉が並んでいる。


「なんか、難しそうですね」

「そんなことないよ。高校物理と高校化学の範囲で理解できるよ」


 たとえ習ったとしても私には理解できる自信はない。


「けほっ」

「春先輩?大丈夫ですか?」


 ふいに先輩がせきをした。顔色が悪いというわけではないけど、やっぱり昨日の雨で濡れてしまったからだろうか。


「別に大丈夫だよ。埃が喉に入っただけだから」

「…そうですか。でも気を付けてくださいね」

「うん、ありがとうね」






 春先輩が風邪を引いた。そう連絡を受けたのは週明けの月曜日だった。あの時雨に濡れたからだ。早く帰って春先輩のお見舞いに行きたかったけど、今日は生徒会の調査が来る日なので。調査が終わるまで部活を終えるわけにはいかない。


「遅いわね生徒会」

「ああもう。なにしてんだろ」


 先輩方もどこか落ち着かない様子だ。やはり2人とも春先輩のことが心配なのだろう。


「…あの、私調査が終わったらお見舞いに行こうと思うんですけど…」

「あっ、私も行く」


 春先輩のお見舞いに行くことを提案すると、彩先輩が勢いよく同意する。でも、隣の葵先輩が何か悩んでいるようだ。


「待ちなさい、あまり大人数で行くものではないわ」


 まあ、大人数でお見舞いに行くものではない。というのは分かる。春先輩の負担になるかもしれないし。親御さんにも迷惑になる。


「じゃあ,私が行くよ」

「えっと,私も行きたいんですが」


 私だって心配だし,私のせいで春先輩は風邪を引いたんだ。だから,お見舞いに行きたい。


「それじゃあ,3人でじゃんけんね。恨みっこなしでいくわよ」




「それじゃあ行ってきます」

「ええ,お願いね」

「…頼むよ」


 結果としては私がお見舞いに行くことになった。




 雨の中1人で駅までの道を歩く。最近は春先輩と一緒に帰ることが当たり前になっていたので,少し寂しさを感じる。そうして駅に行き、電車に乗って帰り道とは違う方向へと向かう。この線を使うのは勉強会以来2度になる。今日は学校帰りの生徒が多いようで座ることができず,扉に背中を預けて景色を見ることにした。相変わらず雨は降り続けていて空はどんよりとしている。

 目的の駅に着いて改札を出る。前に迎えに来てくれた先輩は当然いない。時刻は夕方17時ごろ。改札を出ると帰宅途中であろう学生が傘をさして足早に去っていく。遅れて私も傘をさして歩き出す。

 静かだ、聞こえるのは雨音と車が水を切る音くらい。




 5分ほど歩いたころ先輩の家についた。インターホンを押すと,スピーカーから声が聞こえてくる。


「はい?」

「あの,は…天野春さんの高校の後輩です。お見舞いに来たですが大丈夫でしょうか」

「あ,この前の。ちょっとまっててね」


 少し待つと玄関の扉が開いた。


「ありがとうね。わざわざ」

「いえ,あのこれお見舞いの品です」


 来る途中で買っておいたお菓子を手渡す。


「せっかくだし,春にも顔を見せてあげてくれる?」

「えっと,体調とか大丈夫なんですか?」

「大丈夫,もう熱は引いてて,今日は大事を取ってやすませただけだから」


 そういって,春先輩のお母さんは私を家に上がらせてくれた。


「春は2階にいるから。部屋分かる?」

「はい,大丈夫です」




 2階へと上がり春先輩の部屋の前で立ち止まる。扉をノックすると中から「なにー」と声が聞こえる。


「あの,高田です」

「え,咲ちゃん?ちょっと待ってて」


 ちょっと待ってて。と言われて数分待った。わざわざ部屋の片づけでもしてるのだろうか。そうであれば病み上がりなのに少し悪いことをした。


「お待たせー。どうしたの?」

「…」


 どうしたのじゃないですよ。明らかに着替えましたよね。それパジャマとか部屋着じゃないですよね。


「あの,お見舞いに来ました。これお菓子です」

「うわーほんと!ありがとー」


「入ってー」と部屋の中に案内される。けだるそうな様子も無いしせき込んでいるわけでもない。どうやら本当に元気なようで安心した。


「連絡しても返事来ないので,体調悪いのかと思ってました」

「あ,ごめん電池切れてた」

 これだったら3人で来てもよかった気がする。まあ,元気に越したことは無い。

「あの,私のせいですみません」

「え?何が?」

「風邪ひいたのって先週,雨に濡れたせいですよね」

「違うよ。季節の変わり目だからだよ」

「でも」

「この話はこれ以上無しね。お菓子持ってきてくれてありがとー。一緒に食べよ」


 そう言って,先輩は買ってきたお菓子を,机に広げる。


「いや,それお見舞いなので私は…」

「いいから,いいから,おいしいよ」


 とりあえず,先輩の対面に座る。先輩は食欲もあるよだし,もう本当に大丈夫なんだろう。


「そういえば,今日の生徒会の実態調査,大丈夫だった?」

「はい」

「よかった。ごめんね。休んじゃって」

「いいえ,風邪は仕方がないですし,先輩の資料のお陰で乗り切れたんですから」


 それから少しの間,先輩と世間話をした。時計を見ると17時半を過ぎていた。


「そろそろ帰りますね」

「え,もう帰っちゃうの?」

「はい,先輩も病み上がりですし」


 先輩は「もっとゆっくりしていってもいいのに」と少し残念そうだけど風邪がぶり返しては大変だ。


「それじゃあ帰ります。お見送りとかいいんで寝ててくださいね」

「えー」

「いいから,私からのお願いです」

「…わかったよ」


 渋々といった感じだけど先輩は了承してくれた。


「それでは,また明日」

「うん,また明日ね」


 先輩と挨拶をして階段を下りる。階段を降りると,リビングの方から先輩のお母さんが出てきた。


「あら,もう帰っちゃうの?」

「はい,もう遅いですし」

「また,遊びに来てね。春も喜ぶから」

「はい,ありがとうございます」

「春ったら,かわいい子が後輩になったってすごい喜んでたんだから」


 楽しそうに笑う春先輩のお母さん、というかなんだか照れくさい。


「あの子,寂しがりなところがあるから大変でしょ」


 その柔らかな表情はやはり春先輩を思い起こさせる。


「いえ,とても優しくしてもらってますし,頼りになる先輩です」

「ならよかった。またね」

「はい,失礼します」


 空を見ると雨はすっかり止んで,きれいな夕焼け空になっていた。明日は元気になった春先輩と学校で会えるかな。






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