「ともあれその拝み屋は『ある報酬』と引き換えに、妻を生き返らせてくれた」

 自分が生まれた日の情景が、脳裏をかすめる。映像として結ばないが、からからと乾いた音は、生まれる前に死んだどこかの赤子にささげた風車か。

 妻を生き返らせてくれた。この一文が、風車に貼り付けられたようにからからと保和の頭の中で回る。金光の妻、八千代は死んでいるのか、生きているのか。

「拝み屋は、本来なら結構な金額を要求しますよといった。以前の取材のときは、それなりに支払ったとも記憶している。

 以前に拝み屋から聞かされた怪しい話の数々も、まゆつば物であったが面白くはあった。

 そのときは拝み屋に、あなたには何もいていない、何も憑いていない人もちょっと珍しい、などといわれた。それは、今もだろうか」

 八千代は死んだとき、一瞬だけでも金光に憑いたのではないか。

「いずれにせよ、今回の報酬はまだ払っていない。拝み屋が求めて来た『ある報酬』は奇妙なもので、私がちゃんと拝み屋に引き渡せるかどうかわからない。

 そう、引き換えにといってもその場ですぐ渡したのではなく、いってみれば後払いだ」

 目の奥が痛む。あの、南洋の紅紋揚羽が舞っている。

「拝み屋も、確実に私から取り立てられるかどうかわからないという。それでも応じてくれたのは、拝み屋も熱烈にその『ある報酬』が欲しいのだ」

 自分は何が欲しい。ふと、頁をめくる手が止まる。たとえ命と引き換えにしても、欲しいものなどあるか。生みの親に会いたいなどと、それはまったくない。

 たとえば、金光を超える人気小説家になりたいか。いや、それもない。金光以上に、書き続けられる自信がない。では、八千代が欲しいか。まさか、あんな女は手に余る。

「拝み屋も終わった後はかなりおもやつれし、強い疲労感をにじませていた。死者を呼ぶのは容易たやすいとまではいかなくても、大抵はできるという。

 だが死者を生き返らせるのは、これまでにも何度も試みては失敗し、大きくしくじったときは命の危険が迫り、自分も死の世界に半分引きずられたといった」

 金光は、何を持って行かれても、何を支払おうとも、妻を生き返らせたかったのだ。しかし、そもそも殺したのは自分ではないか。

「故に、長らく封印していたそうだ。それを私が、『ある報酬』の後払いを条件に頼み込んだ。『ある報酬』については以前、拝み屋本人から一応は聞いていた。

 そのときは恐ろしいが他人ひとごと、自分には関係ないこととして半分忘れていた。なるほど、拝み屋を仕事にする者はこのようなものを求めているのだと、得心も感心もした」

 この文を書いているとき、金光はどんな顔をしていた。なんとなく金光の顔は想像できるが、拝み屋はとことん真っ黒な影でしかない。

「拝み屋を生業なりわいとする身としては、いつかは成功させてみたかったことでもあり、完全なる成功ではなくてもやれてみれば、満足感はないが達成感はある、といった。

 拝み屋はよろめきながら、ときに突っ伏しながら、長く嘆息した。拝み屋が死ぬのではないかと、私は叫び出したかったが。拝み屋は、徐々に回復していった。」

 金光は、拝み屋の容姿も一切の描写をせず、年齢もはっきりさせていない。男か女かもわからないし、性格や性質もあまり推察できず、まるで金光が人形でも使って、一人二役をしているかのようだった。

「生き返った妻の足元にうずくまってしばし動けなかった私は、心底から恐ろしかったが、やはり生き返らせてもらったことに喜びも湧き上がっていた」

 金光がこの手記を書いているとき、八千代は何をしていた。帳面をのぞき込んでいたか。

「拝み屋がどのような方法で、妻を生き返らせたか。何を用いて、妻を現世に呼び戻したか。ここには、書かない。というより、書けない。

 残酷、残虐、邪悪、醜悪、不気味、まさに鬼畜の所業、といった理由ではない。ただ書いてはいけない、記録として残してはいけないものだから、としておく」

 そのじゆじゆつを知りたいような、知りたくないような。知っても、自分が誰かに応用できるものではない。自分は、死者をたまに目の端にとらえるだけだ。

 養父を生き返らせたいなどとは、願わない。どうか、あの自分が捨てられ拾われた大鹿家代々の墓地で、安らかに眠っていてほしい。

「とはいえ妻は、生き返ったといっていいかどうか、いまだによくわからない。今も隣にいるが、これは真実、私の妻なのか」

 保和は、何か気配を感じても振り返ることはできなかった。変わり果てた八千代よりも、そのままの八千代がいる方が恐ろしい。

「確かに鼓動や呼吸は戻り、体温もある。歩いたり食べたり、性交渉すらできる。そんなことまでしているのかと、君は今、違う種類の怖さにとらわれただろう」

 囚われたのは怖さではなく、いんわいな誘惑だった。八千代は生き返って体温も戻ったとあるが、きっといくらか肌は冷えているはずだ。竹久夢二が描く女のように、骨がないような座り方をしていたなまめかしい姿が、ありありと浮かんだ。

「首に絞めたあとと、顔のうつけつは残ったが、化粧でごまかせる。私は元々、化粧はけっこう巧みだった。ひそかに、ときおり楽しんでいた」

 金光が、妙な写真に凝っていた君の父親に撮られた、と見せてくれた何枚かの写真を思い出す。写真館で金をかけて撮ったというそれは、金光が天女の格好をし、張りぼての三日月にまたがっていた。

 かつらの長い洗い髪を垂らし、物憂げに遠くを見やる金光は、性悪を隠した美女だった。ふざけて、というのを強調していたが、天女の目は真剣だった。

「君の父親、大鹿さんはこの天女に恋しとったよ」

 と、その悪い天女がつやっぽく笑っていた。そういえば、養父の最後のめかけである里子は写真館の娘だった。里子の実家で撮ったのか。その縁で、養父と里子は結ばれたのか。その写真を撮った頃はまだ、里子は小娘であったはずだが。

 今さらながらに、いろいろなことに気づかされる。嫌な謎解きだ。

「妻は喜怒哀楽がなくなり、言葉も発しない。おそらく、思考もしていない。妻であって妻でなく、妻の姿をした別物だともいえる。

 金もかからないし従順だし、何より浮気もしない。などと喜べるものではない」

 ここで金光に同情すべきか、哀れむべきか、保和は迷う。人形が思い通りになると喜ぶのは、子どもだけではないか。ふと、養母とのままごとを思い出す。

「妻を大勢がいる外に連れ出したり、友人知人や家族に会わせれば変だ、おかしいと気づかれてしまうが、家の中に居させ、御用聞きやあいさつだけの近所の人達の目に触れさせるだけなら不審がられない。では、ずっと家に居させるしかないのか。

 幸い、どの男も火遊び、色事だったようで、つきまとったり訪ねて来るようなのはいなかった。あんするような、妻が少々哀れなような」

 噂になった男を、思い浮かべてみる。淡い薄い、厚みのない男の影がいくつも通り過ぎる。自分はその中にいるか、いないか。

「本当に妻は死んだのかとの迷いもあるが、異界とこの世のはざにいるのは確かだ。とはいえ、いつまでもこんな生活は続かない。妻は髪も爪も伸びず、おそらく多くの人が夢見た不老不死とは違う、それになっている」

 養母と遊んだ、人形達。あれらも不老不死だ。あれらに、魂など宿りはしない。そういえばあのおびただしい数の人形は、仕舞われた納戸で何者かの手でばらばらにされているかもしれない。千切れたすべての首が、こっちを見て笑いそうだ。

「いずれ、妻がこの世のものであってそうでないのは知られるし、それより先に自分が老いて死ぬ。そうなったら、妻はどうなる。死ぬこともできず、人間の形をした何かとして、死より虚無の空間を見つめているだけだ」

 それにしても、金光から送り付けられた帳面に書かれている内容は、最初から荒唐けいとしかいいようがなく、書き手は正気なのかと危ぶまれるものであったが。

 一つとして筆跡や文章の乱れもなく、誤字も見当たらない。間違いを後から書き直したこんせきすら、見当たらない。つまり、精神の激しい浮き沈みもないようだった。

 もしかしたら、落ち着いているときだけ書いていたのかもしれないが。全体に不気味さと不穏さは漂うものの、淡々と事実だけを冷静につづっているように読める。

「また妻を死なせるのもびんだし、そうなったら始末にも困る。とりあえず、今のままでいる方が、私も妻も面倒は少ないのだ。

 死体にすれば腐るし、腐臭を放つ。私は非力だし肝っ玉も小さく、海に遺棄だの山に埋めるだの、一人でできるわけがない。首や手足をばらばらに切断して燃やすなど、そんな地獄の鬼みたいな真似をするくらいなら、自分も死んだほうがましだ」

 いや、先生はもう地獄の鬼以上のことをしてますよ。思わず、つぶやいてしまった。

「頼み込んで、こうしてもらえたのに。このまま永遠に死ぬこともできず、生きているともいえない状態で、独り現世を彷徨さまよわせるのは不憫でならなかった。

 拝み屋に、またあの世に戻せというのも躊躇ためらわれた。二度は、殺せない。

 戻せても、『ある報酬』は無効にできない。約束をにするのも、恐ろしい」

 なんだろう。幼い頃、春に聞いたたくさんの怪談の中に、似た話がなかったか。思い出せない。いろんな話が、混ざり合ってくる。華麗な着物をまとった女の人形の胴体に、犬の首がついているような幻影が見えてくる。

 そういえば、春がいなくなった時期と金光夫婦が消えた時期と、ずれているようだが実際は重なっていたりはしないか。

 そこのところは、どうにもあいまいだ。誰かに尋ねることもできず、きちんとした記録もない。

「思わず拝み屋に、期待した仕上がりとは違うと文句をいえば、生き返らせると約束しただけで、完全に元に戻せるとはいってないと返された。

 まったくもって、その通りだった。病気が全快したとされても後遺症が出たり、怪我が治癒しても傷痕は残るようなものだと」

 ところで金光は、この拝み屋とはその後も何度も会っているのだろうか。そこのところも、どうにもはっきりしない。何度も読み返したが、よくわからない。

 確実に会っているのは、妻を殺して黄泉よみの国から連れ戻してもらった日だが、その後にどこでどのように会ったかも曖昧にしてある。

「ところが拝み屋は、完全に奥さんを生前のままに戻すことは約束できないが、今のままとは違う変容、変化は起こせる、といい出した。

 それは少なくとも、今よりはまし、なのだそうだ。どの程度かは、拝み屋にも予測できないという。もどかしいが、私には拝み屋に従う以外の手段も道筋もない。私自身が、黄泉の国への暗闇で迷い、立ち止まっている」

 もしかしたら、これを書いているのは金光に成りすました八千代ではないか。また、そんな紅紋揚羽が舞い飛ぶような妄想が、保和をからめ捕りに来る。

「拝み屋は唐突に、新嘉坡のホテルの名前と場所を教えてくれた」

 ここで初めて、封筒の消印や切手が新嘉坡である意味が明かされる。封筒にある新嘉坡の消印や切手まで、偽造ということはあり得るか。できなくはないのだろうが、見慣れた岡山市の郵便局の消印もあるし、顔見知りの配達夫が持って来ている。

 後に保和は、書店や図書館で新嘉坡について書かれた本を探し、簡易な地図は手に入れた。そこからは、熱気も芳香も立ち上らない。金光の手記だけが、火傷やけどさせそうな南国の太陽と、緩やかに腐りゆく女の体臭を伝えてくれる。

イン人街の大通り、セラングーン・ロード。燃えるような街でさらに燃え上がるような、極彩色の印度寺院の隣。なる日本の男が経営しているホテルだといえば、人力車は必ずそこに連れて行ってくれる。ホテルの名前は、がねだ」

 次第に保和は、自分の中に金光が入り込み、同化していく感覚に酔っていった。我が肉も腐り、骨が露出し、それが途方もない快感になっていく幻影を連れてくるのは、毒々しくも華麗な新嘉坡の紅紋揚羽。

 あのちようは、最初から新嘉坡が遣わしたものだった。行ったこともない新嘉坡の極彩色の景色や、会ったこともない南洋のホテルの怪しい主人と宿泊者達が、ありありと眼前に迫ってくる。小金屋は、ずいぶん前から自分のために扉を開けていたのだ。

 八千代への気持ちも、自分の妻であるかのように生々しくなっていく。

 気がつくと秋の肌寒い部屋の中で、保和は暑さに汗びっしょりになっていた。

「そこで妻を連れ、一か八かの旅に出ることにした」

 金光は、所々に妙な明るさのある文体も交ぜている。変化を進化と捉え、今のままでいるよりは改善され、妻も生前に近づくのではないか。

 などと書いているが、そもそも自分が妻を殺したことも忘れかけている、なかったことのようにしつつあることに、別種の怖さも覚える。

「妻は恨み言もいわず、暴れることもなく、感情がない目で見返すだけだ。私を見つめているようで、そのひとみに私は映っていない。まるで、はくせいの鳥獣の目だ」

 そんな目を、どこかで自分も見た。ときおり見かける里子の亡霊か、ふと街なかですれ違ったが、声はかけずにおいた養母のようだ、とも切なくなった。春だけは、何があろうと自分にそんな目は向けないはずだ。

「妻は小説や詩も書いていたが、女学生の頃から何よりも絵描きを志し、花の都、芸術の都、巴里で絵を学ぶのを夢見ていた。美術大学を志すもかなわず、展覧会にも出品していたがなかなか芽は出ず、半ばあきらめかけてもいた。

 若き芸術家の集い、といった会合で私達は知り合った訳だが、あの頃から妻は芸術家にはなれないが、芸術家のミューズになる素質はあふれ出ていた。

 そんな妻は恋愛に夢中になることで、夢のせつと折り合いをつけていたのか。そう想像すれば、妻はいじらしい。あえて、可哀想とはいわないでおく。ともあれ彼女は、私の妻などで満足できるはずもなかった。

 今からでも、妻の夢を叶えてやれないか。花の巴里に、連れて行ってやろう」

 貴方が殺しておいて。思わず声に出してしまい、苦笑する。

「さて私は旅立つ前には誰にも知らせなかったし、風のように消えるつもりでいたものの、考え直して自分の家族にも仕事関係者にも、弟子といっていい大鹿保和くんにも、寄港地から手紙を送った。

 途中、妻の親には妻の筆跡を真似た手紙も送った。あちらの親が、はたして信じたかどうかわからないが、生きてはいると望みをつないでくれたらいい」

 自分の名前が書かれている箇所を、そっと指でなぞる。弟子といっていい存在か。自分のどんな顔を、金光は思い浮かべたか。

 保和には絵のことはよくわからないが、西洋の神話の有名な場面や、写真を参考にしたらしい巴里のホテルや酒場や踊り子などを、日本画風に明るい水彩絵の具で描いた八千代の作品は、金光宅を訪ねたときにいくつか見たことはあった。

 うまいというより、下手ではないかな、とだけ感じた。専門の絵描きの手による少女小説の挿絵を、少し絵心のある女学生が真似て描いてみた、といった趣もあった。

 人物は神も人も、乙女も老人も色男も悪党もみな同じ顔をし、表情はなく、一定方向からの体や動作しか描けず、建物や室内はまさに書き割りのようにへいたんだった。ただただ平板に、甘く美しいだけだ。

「私は預金のほとんどを現金化し、懐に抱えて出てきた。いちいち髪を結ってやれないので、はさみで私が断髪してやった。妻は、大人しくされるがままだ。

 なかなかモダンな雰囲気になった。長い髪は、髪に包んでたんの奥に隠した。どうしても、燃やせなかった。死体の臭いなど、ぎたくない」

 髪の短くなった八千代は、きっと若返っている。もともと、死者は歳を取らないが。

「揃って粗末な格好をし、しかし個室でなければまずいので、船室だけはぜいたくをした。

 といっても蚕の棚のような粗末な寝台、虫が湧くわらの布団、ろうごくしか想起させない部屋、いや、穴倉だ。どこもかしこも、悪臭しかない。

 丸い窓があり、いでいるときの夜風は心地よく吹き込んでくる。だが、ると海水が容赦なく部屋にぶちまけられる。体液のような海水は、悪夢から漏れ出たようだ。

 餌としかいいようのない食事でも、海に放ればごそうだと魚影が取り囲みに来る。魚に食われてしまいたい。そうささやいても、妻はぼんやりしたままだ。

 妻はいつも大人しく寝ていて、私はたまに妻の着物を着てぬぐいかぶって夜の船中をふらふらし、妻だと思わせておいた。さすがに、口説いてくる者はいない。

 そして私も妻も、恐ろしいほどよく眠った。悪夢すら、見なかった。現実の方が悪夢だから、夢も釣り合いを取ろうとしているのか。

 海の上で横たわる妻は、ヴィーナスのようであった。有名なヴィーナスの誕生を素材にした西洋絵画は、みな裸体で描いてある。妻は着物を着ているというだけだ。たまに裸にして、横たわらせてみる。泡に包まれ、沈みそうなはかなさがいい。

 そして妻は誕生ではなく、死せるヴィーナスだ。あるいは、せいするヴィーナス。そういえばヴィーナスは赤子のときや少女の頃がなく、生まれたときから成人女性だ。妻も出会ったときから成熟していて、少女時代など私は知らない。

 このままだと、妻は老いたヴィーナスにはならない。海の泡にも、戻れない。

 ともあれ、私達があまりにもよく眠るので、周りからは熱病を疑われたほどだ。

 寝ている時間の方が、私も長くなっていった。いつからか、深く眠れたときは生々しい夢も見られるようになった。現実が夢を侵食しているのか、夢が現実を食い荒らしに来ているのか。魚になった夢は、見ない。

 起きていると、退屈な海ばかり、変化のない夢もない時間が流れるばかり。

 これは、何か別のことにもたとえられるだろう。遠方だけを眺めていると、まるで船は海上に停泊しているように錯覚する。足元の船の下を覗けば、荒々しい波がたけり、船はちゃんと航行している、動いているとわからされるのだ。

 妻も生と死が逆転し、入れ替わり、混ざりあっている。妻は寝ていろといえば、大人しく目をつぶっていつまでもじっとしている。起きて歩けといえば、ぎこちないがちゃんとできる。抱き寄せれば温かく、うっとりした表情も作ってくれる。

 抱き合っていれば妻と入れ替わり、自分が生きながら死んでいる、死んでいるのに生きている、そんなものになっていくようだった。

 邯鄲の夢。胡蝶の夢。夢と現実の入れ替わり。私が物心ついてから妻を殺して逃げるまで、すべてがこの海の上で見た夢かもしれないとすら思えてきた」

 金光は、次第に変わっていく海の色も細かく描写してある。ないかいの凪いだ平穏な水色の海しか知らない保和は、緑がかった南洋の海に甘美な夢すら託してしまう。

「ときおり霊感というのか勘の鋭い船客がいて、物のの気配を察し、妻の異様さに気づくときもあった。そのうちの一人に、あんたに何かが取り憑こうとしている、などともいわれた。まだ取り憑いてはいないが、とも」

 こうから船に乗り込んだと簡単に書いてあったが、船が日本を離れた瞬間、金光はとことん正気でいられたのだろうか。正気でいる方が、海に飛び込みたくなったのではなかったか。傍らにいるのは、正気も何もない虚無を抱えた存在だ。

「サロンと呼ばれる、皆が集まって茶を飲んだり談笑したりする空間には日本の新聞や雑誌も置いてあり、自分が執筆しているものを見つけるときもあったが、すべてがあまりにも遠ざかってしまった」

 ここで金光は、何か書こうとはしなかったのか。この手記以外に。考えてみれば、怪奇小説の人気作家、探偵小説の第一人者にもできない経験をしているのだから、創作にかそうとはしなかったのか。

 謎は波のように次々に湧き上がっては、寄せてはじける。金光はこの手記を、船の中からすでに着手していたのか、新嘉坡に着いてから書き始めたのか。そして、最初から保和にだけ読ませるつもりでいたのか。

「船酔いもしたし風邪もひいたし、腹下しもした。船のボーイとちょっとしたいさかいもあり、妙な乗客とけんになりかけもした。

 だが、恐ろしい罪を抱えているにしては、あまりにも順調に上海、香港を経由し、ついに新嘉坡に到着した」

 体の不調や船上でのめ事に関してはあまり詳しく書かず、寄港した上海と香港の記述もあっさりしたものだった。隠していることがあるのか、本人としてはあまりその辺に特筆すべきことがなかっただけなのか。

「新嘉坡だけは旅券が要るので、これも以前に仕事の絡みで知った上海在住の日本人を訪ね、夫婦の旅券を偽造してもらった」

 その人が誰なのかは書いてないし、皆目わからないが、その人もそのような稼業ならば、金光夫妻の渡航を誰かに漏らすこともないのだろう。

 ともあれ、金光夫妻はだんだん衣服を減らしていき、ついに下着に近い格好になり、恐ろしいものしか待っていない南国に到着するのだった。

「おどろおどろしく、ではない。あつなく、でもない。よどんだ緑色の海の彼方かなたに、新嘉坡は現れた。人々の歓声の中、私と妻だけが青ざめていた。

 すでに航海の途中、熱帯に突入したのはわかったが、船が着岸して途方もない熱気が流れ込んでくると、魂まで焦げそうになった。

 いよいよ、我々にとっての約束の地だ。日本の四季に組み込まれた夏とは何もかもが違う、永遠の夏。人間も含め、すべてが燃えているようだ。果実はどれも、熟れ切っているように見える。妻だけが、ひんやりしている。

 なるほど、拝み屋がいっていた小金屋なるホテルは、すぐに見つかった。異国情緒に溢れる、印度人街。すでに日本人街ともなっていきつつある一画の、きらびやかな印度寺院の隣にあった。にぎわう商店街も間近にあり、様々な人種がひしめいている」

 彼らの頰に落ちる影は、の葉と深紅の花と夥しい寺院の屋根のそれだ。

「この新嘉坡の小さな日本人経営のホテルが、拝み屋とどのように関わっているのかは、謎だらけだ。春に聞けば、答えが返るかもしれない。春よ、春はどこの海を見ている。

 私は拝み屋を心底から信じてはいないのに、何もかもゆだねている。まるで拝み屋が神様であるかのように、信じ切っている。春がいない今、頼る者がいない。

 ともあれこのホテルで会う人の中に、妻をさらに生き返らせてくれる人がいるのだ。

 その人が何者でどんな容姿であるか、拝み屋はわからないという。そして当人も、自分にそんな力があるのを気づいていないのだとか。

 拝み屋も、その人とは面識がないという。もしかしたらそれは一人ではなく、何人かいるのかもしれない。などともいっていた。

 まったくもって雲をつかむような話だが、私は信じてすがるしかなかった」

 鳥なのか鳥のがいなのか、花なのか枯れた花なのか、毒々しい南洋の花が咲き乱れる通りを、金光が人形のような妻を抱いて人力車で走った情景は、これも保和の記憶として焼き付けられた。重たいような陽光と、悪意に満ちた湿気も。

「小金屋の矢加部なる五十過ぎの日本人は、元は女衒ぜげんだった。熟れて枯れた色男だ。致死量の毒を持ちつつ、自ら解毒してはいるが、無毒になどなっていない。

 大勢の日本女を、だまして南洋の国に連れて来たという。これは拝み屋に聞いたのではなく、世間話の中で本人が教えてくれた」

 初めて金光から送られてきた帳面を開き、その異様な記録というのか不気味な手記を読んだとき、保和は内容におぼれて引きずり込まれ、一気に読み切ってしまったが。

 改めて読み返したときは、何度も中断しては水を飲みに台所に立った。暗い秋の部屋には、金光が運んできた南国の湿った熱気が渦巻いていた。死体に群がるような蠅がどこからか飛んできて、まるで保和を腐肉のようにめた。

「私はホテルでも堂々と、妻ともども本名を名乗った。長期滞在を申し出た私達の旅券は、主人に預けてしまうからだ。今さら、偽名など名乗れない」

 保和は大罪を抱えて逃亡したことはないが、彼らは逃げ切りたいと同時に、見つけてほしい気持ちもあるのではないかと推察した。逃亡者はまさに、生きた幽霊だ。たまには怖がってもらわないと、幽霊になったもないだろう。

「それに小金屋ホテルの人間は、矢加部と自分達以外、みんな日本人ではなかった。誰も私達を知らないので、本名でも何者か知られることもない」

 往時の勢いはなくなったとはいえ、金光は人気の小説家ではあり続けた。新聞の連載などもよくしていたから、名前を聞けば気づく人も多い。妻が多情で、といった醜聞は、小説好きにしか知られていないとしても。

「昔は、わしゃ鬼と呼ばれていましたよ。ああ、今もか。今も、そう呼ぶ人はいます。

 矢加部は、何もかも見透かしたような静かなまなしで語った。

 わしを恨む女は、新嘉坡にある印度の寺と中華の寺とイスラムの寺をすべて足した数より多いでしょう。矢加部は殊更に悪ぶって見せるのでもなく、むしろ淡々としている」

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