case2 さまようキャプテン

俺はベンチにいた。


審判がバッターが三振したのを確認しアウトのジャッジをすると、バッターは膝から崩れ落ちた。


それが先輩達の代の最後だった。


「ほら、行くぞ、ゲームセットだ。」


1番辛いはずのキャプテンが僕の背中を叩いてそう言った。この人は本当にいいキャプテンだった。


試合後の整列は異様なまでに静かで先輩達の鼻を啜る音だけが延々と俺に敗北という現実を突きつけ続けた。


そして試合後の最後のミーティングで告げられる。


「次のキャプテンは貴浩にやってもらう。全員で自分達だけのチームを作っていってくれ。」


その言葉はまるで呪いのように、今日まで俺の心の中でことあるごとに反響していた。

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はっと目が覚める。


帰りの電車だ。どんな奇跡か、ごった返す時間なはずなのに座ることができたので仮眠をとっていた。


しかしまたあの日のあの言葉を夢に見てしまった。なんとも強く頭に残っているものだ。


外はもう暗く、空にはもう星が出ている。都会から外れた郊外の街の上に作られた橋を電車は進んでいる。遠くの方に見えるたくさんのネオンの光がそこにある都心の繁栄を示しているようで、そこから離れた場所でくたびれている俺をなんだか寂しいようななんとも言えない気持ちにさせる。



あぁ、今日もチームはまとまらなかった。それだけで自責の念に駆られてしまう。


「次は、富士ヶ丘〜。お出口は右側です。」


というアナウンスではじめて俺は降りる駅を通り過ぎてしまっている事に気づいた。

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「次フリーバッティング行くぞ!準備急げ!」


「よしっ」「はいっ」


午後特有のジリジリと暑く、練習が最もだらける空気感をキャプテンという立ち位置から痛感しつつ自分のやる気も同様にずるずるとなくなっていくのを感じた。


正直もう帰りたかった。練習だってやりたくない。来たら毎日何かしらの理由で怒られる。


俺が先輩から貰ったキャプテンという名の盾は俺ではなく無責任な部員達ばかりを不本意にも守り続けていた。


気づけば盾よりも俺の方が傷だらけなんだから笑えない。俺はなんのためにここに立っている?そんなことはわからない。


惰性でここに立っているのだ。第一班が打ち終わり次は第二班、繰り返し響く打球音、それに合わせて聞こえてくる守備陣の


「オーライ」の声。


それらを何度か繰り返し次のメニューへ。毎日のように見るこの光景はあまりにも機械的で新鮮味のかけらもない。


これがマンネリってやつか?と変な発想が頭をよぎった。すると同時に意識の端の方から「おいボール!!」という怒声が聞こえてきた。


しまったと思った時にはもう遅く、先生がグラウンドの隅からマウンドあたりに投げたボールが無気力にコロコロと転がって止まった。焦りと後悔の念が渦巻く俺の頭とは裏腹に何も考えずコロコロ転がってそうなボールに羨ましさとやり場のない怒りを感じてしまった。


また怒られるのか、と腹をくくって言われた通りに集合をかける。


空はこれ以上ないほどの快晴だった。イライラするほどのだ。

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「あー、まじで野球やる気出ねえ。」


副キャプテンの慎也が部活へ向かう道中にそんなことを呟いた。


「いやーほんとな。今時野球なんて注目してるやつ少ないっしょ。」


俺の隣を歩いていた友樹も同調する。それは確かにそうだった。野球人口はどんどん減ってプロ野球だってもうほとんど注目されていない。


これもまた俺達のモチベーションを下げる一つの理由だった。


「今日もあいつ怒るかね〜。」


前を歩く亮介が空を仰ぎながらそんなことを言うので俺は


「お前らは良いだろ別に、怒られるのはいつも俺なんだから。」


と言った。嫌味の意図もあるが本当は「よく頑張ってるな」なんて言葉を誘発しようとしたのだ。


きっと俺はよくやってる。けれど誰も褒めてくれない、気づいてくれない。望んだ言葉をかけられたことなんて一度もなかった。


俺だけが報われないのだ。向かい風を1人で受けて、後ろのやつの盾となる。この時の俺は一方的にそんなふうに考えていたのだ。


野球をやり始めた時はこうではなかったはずだ。


打った打球が飛んでいくことに喜び、投げたボールがミットに綺麗におさまるたびに感じたことのない気持ちの良さに胸が踊った。


あの時野球がくれた胸いっぱいの希望は今や与えられたキャプテンという重すぎる役職によってぺしゃんこに潰されていた。


「えっと、今日は室内練の可能性は、、」


「ねーよ。雲ひとつねーわ。」


「使えない雲だな!ほんとに!」


無益なようで少し心が落ち着けるようなそんな会話をしながらグラウンドへ向かう。だが雲のいないところで雲の悪口は良くないと思った。

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「...え、?」


思わず開いた口から思わず飛び出てしまった力の抜けた声がにわかに吹く風に攫われるかのように誰にも拾われず空中に消えていった。


「飲み込めないのもわかる。これでも俺もお前達のためにも色々考えたんだ。だが本当にすまない。お前達の力にはなれないみたいだ。」


先生が悔しそうにそんなことを言った。部員は皆状況を理解できていなかった。


 練習が始まるやいなやいきなり先生が現れて集合をかけた。なんだなんの説教だと思いながら集合すると先生からかけられた言葉は意外なんてものじゃなく一瞬にして俺達の脳をパニックにさせた。


「いきなりで申し訳ない。みんな飲み込めないだろうが端的に言う。この野球部が、廃部になった、。」


事情としては野球人口が減ったことによる各地の野球場の解体と、野球連盟の衰退が理由らしい。しかしいきなり廃部とは、。


そこから先生はいかにも最後らしい話を俺たちに聞かせた。


「野球をやりたかったお前らには本当に残念なことだろうと思う。俺もお前らともっと野球がしたかった。だけど時世がそれを許してくれなかった。」


そこから話は続き最後にこんなことを言った。


「こんなことを今言うのは適切かわからないが、お前達はこれからたくさん迷う。でもきっと答えは見つかる。だから自分に正直に生きろ。それが誠実に生きるということだ。」


その時は意味はわからなかった。


けれどなんだかその言葉だけがずっと俺の心の底に糸を引くように残り続けた。

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帰り際、あいつらとも別々になった後、1人で歩く道で俺は未だ事態をよくわかっていなかった。


けれどなんだか解放されたような感覚にもなった。


残念だ。


責任から解き放たれた喜びより野球ができなくなって悔しい、という気持ちが先に来て欲しかった。そういう野球人でありたかった。


今日の信号はいつになく長い。いや、長く感じるのか。目の前に光る赤のランプはまるでグラウンドから離れる俺を引き留めているようだった。


これからどうしようか、どう過ごそうか、全く考えられなかったが青に変わった信号はまるで俺に前へ進めと急かすかのように音を鳴らし始めた。

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部活がなくなって2ヶ月が過ぎた。何もないとわかっているのに今日も孤独と手持ち無沙汰が無意識に右手にスマホを握らせる。最近はずっとこんな感じだ。


最初こそみんなで色んなところに遊びに行ったりして自由を謳歌したものだ。しかしそんな時もすぐ終わり、部活によって交友の場が担保されていたことを痛感させられるような孤独で退屈な日々が続いた。


けれどこの感覚はきっとそれだけじゃない。


俺の心は確実に他の何かを欲していた。責任から解放されて自由を与えられたはずのあの日以来、俺はどっちへ進めばいいのかもわからず、皮肉なことに与えられた自由に縛られて動けなくなった。


そんな日々に焦った俺はとりあえず外へ出かけようと、あてもなく電車に乗り込んだ。


一度も行ったことのない場所へ行こう。


やがて来たことのない場所に辿り着いた。


とりあえず歩いてみよう、自分と向き合う時はいつも俺は歩いていた。登校、下校、散歩。今の俺にはきっと自分との対話が必要だった。


 少し歩いたところで俺の足は自然と止まった。目の前の現実を飲み込めず体が活動を止めた、と言った方がいいだろうか。


とにかく信じられなかった。なぜ、なぜなんだ。どういうことだ。


なんであの北穂志選手がここにいるんだ。


ついに頭がおかしくなったのかと疑った。しかし違った。目の前にいるのはあの世界の北穂志だ。野球をやる全ての人の憧れと言っていいだろう。


そんなあの人が、ここにいる。


その瞬間俺は思い出した。キャプテンをやり始めてすぐの時に観に行った試合のことを。


 レッドスターズの試合だった。家族で観に行った。その日も俺は駆け出しのキャプテンとして先生からぼろぼろに怒られて正直言って野球を嫌いになりつつあった。


しかしその日の試合はそんな俺を野球の世界へ引きとどめるものだった。


一点ビハインドで迎えた最終回のレッドスターズの攻撃。ランナー2塁でバッターは北穂志へと回った。追い込まれてからの3球目、彼の打球はバックスクリーンへ大きな弧を描いて吸い込まれていった。


劇的サヨナラホームランを放ちダイヤモンドを周る彼を見た時、俺は彼に純粋な憧れを抱き、同時に野球に再び魅せられた。


その日から俺の中で彼はどんな時でも見えるところに居て、見えるように強く輝いて、自分の行く道を示してくれる存在となっていた、はずだった。


なのに今の俺はどこへ行けばいいのかも、どう変われば良いのかもわからずにただ浮ついた気持ちとなけなしの小遣いを持ってあてもなく歩いている。


相変わらずもやもやは晴れなかったけれど今はとにかく目の前の偉人に礼を伝えたかった。


自分に野球の楽しさときらきらした世界を見せてくれてありがとう、と。


「あ、あの、北穂志さんですか、?」


話しかけてみるととんでもなく緊張する。これがオーラというものなのか。しかしそれでも負けずになんとか握手をしてもらい、伝えたい気持ちを必死で紡いだ。


「僕、野球が嫌いになりそうだったんです。でも、球場に見に行ったときに、北穂志さんがホームラン打ってて、僕なんか熱くなったんです。上手く言えないですけど、僕、あの試合見に行ってほんとに良かったです、!」


頭が真っ白になるとはまさにこのことだ。自分の咄嗟の語彙力の悲惨な様に内心嘆いていると、北穂志選手は俺にこんなことを言った。


「ありがとう。君のような野球を大好きな青年がいてくれることが本当に嬉しい。これからも野球を好きでいてくれ。」

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その後北穂志選手と別れた俺の足はまっすぐに家へと向かっていた。


きっと探してた答えはとても簡単な物だった。けれど今の今までそれを見失っていた。


必死で自分を守ることばかり考えていたからだ。


みんなのためにキャプテンとして頑張るよりも先に、可哀想で1人で頑張っているキャプテンという虚像を自分の頭の中で作り上げて同情の言葉や労いの言葉ばかりを周りに求めていたんだ。


本当に辛いことなんてしていなかったのに、だ。


北穂志選手に言われて気づいた。俺はまだ野球が大好きなんだと。


この浮ついた心は多分ずっと仲間みんなと野球をすることを渇望していたんだ。


失ってから気づいた。失ったから気づいた。それじゃもう遅いんだ。


俺はあいつらに、キャプテンとして何もしてあげられなかった。全然良いキャプテンじゃなかった。そんな押し寄せる後悔の中、俺はスマホを取り出して連絡を取った。


あいつらに会いたい、あいつらとまた野球がしたい。会って謝りたい。帰りの電車に乗り込んだ。帰ったらまずは母さんに遅くなったことを謝らないとな。

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パシッ シュッ


ボールがグラブにおさまる心地よい感触を感じながらスナップをきかせてボールを投げる。仲間と交わすこのボールのやり取りが本当に楽しく心地よかった。


「久しぶりだなー野球。もうどんくらいやってなかったかな。」


亮介がそう言うと友樹も同調した。


「あぁ、ほんとだな。信じらんないくらいなまってるわ。」


笑いながらお互いにボールを投げ合う時間はとても幸せだった。


その後も俺達は時間を気にせずひたすら野球をした。気づけばリリースする腕と太陽が被るような時間になっていた。


なんて時間が経つのが早いんだろうか。みんなで帰る支度をする中、俺は躊躇いながらもずっと伝えたかったことをやっとの思いで吐き出した。


「お前ら本当にごめんな。俺はぜんぜんろくなキャプテンじゃなかった。何もしてないくせにお前らに嫌味っぽいことばっか言って、本当にどうしようもなかった。今更こんなこと言っても仕方ないけどさ...俺ほんとにお前らに申し訳ない事したよ...。」


これが俺がやっと吐き出せた本音だった。


許してくれなくても良いと思っていた。けれどあいつらの口からは予想外の言葉ばかりが飛び出した。


「なんだよ、そんなこと気にしてたのかよ。」


「俺らだってもっと寄り添ってやれば良かったんだよな。お前だけがそんなに気に病む必要なんてないだろ。」


「あぁ、忘れんなよ。俺らのキャプテンはお前しかいない。」


なんで、なんでそんなこと...。不意のことに視界が揺らいでたまらず目を覆った。こんな良い仲間とこんなに楽しい野球をしていたのか、俺は。


「野球、続けねーか?それぞれの進路でさ。」


慎也がそんなことを言う。今のみんなは迷うことなく頷いた。


こんなに楽しい野球を見つけたから。

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夕陽がもう沈みそうだ。横から差してくるオレンジの光に包まれながら自転車でみんなと別れる。


「じゃあな。」


「またいつか野球しようぜ。」


「あぁ、その時まで野球のルール忘れんなよ!」


「忘れるかよばか。」


みんなで笑いながらお互いに大きく手を振った。みんなして片手運転か。悪い奴らめ。


片手で手を振りながら遠ざかっていくあいつらの後輪を見つめた。


やはりとても寂しい。


でも大丈夫、絶対にまた会えるから。そう言い聞かせながら自分の帰路へと向き直った。きっとそれが進む先への第一歩だ。

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そして俺は高校に進学した。

野球部のある高校を探すのも少し大変なほどにどの高校からも野球部は消えていた。それでも俺は野球部のある高校へと進学した。


なんだかんだ今は野球が楽しい。その思いはずっと憧れの野球選手と最高の仲間の顔と共に俺の頭の中にある。そして今日から先輩が引退し、俺たちの代だ。


「新キャプテンは...貴浩!お前にやってもらう!しっかりチームまとめてくれ。」


「はいっ!」


勢いよく返事をする。もう迷いはない。きっと良いチームにしてみせる。


それが今の俺なりの勝手なあいつらへの報いであり、野球への恩返しだ。


空は快晴、グラウンドには一球もボールは落ちていない。

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