16 隣同士の寝室で

「ユーフェ様! お部屋にいらっしゃらないので心配しました。ヴィクトール様とご一緒だったのですね」


 ヴィクトールに肩を抱かれて書庫を後にすると、走り回っていたらしいネリと会った。ユーフェの姿を見て彼女はほっと息を吐く。


「ネリ。ユーフェの寝室だけど、今日から俺の部屋の隣に移すから」


 え。

 言葉を失うユーフェとは反対に、ネリの方が顔を赤らめた。


「まあっ! か、かしこまりました!」

「今から準備してもらってもいいかな? その間、俺はユーフェと一緒に食事をとっているね」

「…………」


 ヴィクトールに誘導されるがままユーフェはどこかの部屋に連れていかれ、程なくして食事が運ばれてきた。

 小さなティーサロンのような部屋で、丸テーブルには気取らないリネンのクロスが掛けてある。皇子の食事をとる部屋にしてはあまりにも簡素だ。


 ヴィクトールはいつもここで食事を?

 それとも今はユーフェがいるから違う部屋に連れてきたのだろうか。


 ヴィクトールは向かいではなく、ユーフェに手が届く距離に座り、テーブルの狭さを考慮してか使用人たちが運んできた料理の器も少なくまとめられていた。


「食べよう」


 食前酒を口にしたヴィクトールは上品に食事を始める。

 ユーフェの方はと言うと食欲は全く湧かなかった。


(これは何? なんの罠?)


 あまりにもヴィクトールが普段通りに振舞うものだから、どうしていいのか全く分からない。勝手に出て行こうとしたことを責められたり、疑われたりするのならそれなりに立ち回るのに、彼が怒っているのかすらも読み取れずにいた。


「ヴィクトール様、あの、」

「食欲、ない?」


 遮るように問いかけられ、ユーフェは戸惑った挙句に頷く。


「そっか。じゃあ、こっちにおいで」


 手招かれて立ち上がる。

 座って、と言われたのはヴィクトールの膝の上だったのでぎょっとした。


「あのっ」

「座って」

「…………」

「…………」


 座るしかない。

 無言の圧力に負けたユーフェはちょこんとヴィクトールの膝に座った。


 スープを掬ったヴィクトールはユーフェの口元へと運ぶ。……これを食べろと言いたいらしい。


「食欲がないかもしれないけど、せめてスープくらいは口にしないと」

「じ、自分で」

「俺がきみに食べさせたいんだよ」

「…………」


 拒んだらこの場で殺される?


 ユーフェは恐怖に慄きながら大人しくスプーンに口を付けた。


「ん、いい子」


 愛玩動物ペットに食事を与えるように、もう一匙。


「ふふ、食べさせるのって難しいな」


 ヴィクトールの指先がユーフェの唇の端を拭う。

 まるで生殺与奪権を握られているかのようだ。


「ヴィク、トール、様」

「なに?」

「怒っておいでですか?」

「怒ってるよ」


 スプーンを動かす手が止まった。


「……わたしが、勝手に出て行こうとしたからですか」


 どこまでバレているのかわからないため、言葉を選びながら慎重に問う。


「そうだよ。荷物までまとめて、窓から逃げる気だったんだろう? ひどいじゃないか。何も言わずに俺の前からいなくなろうとするなんて」


 ヴィクトールも、ユーフェがボロを出すのを誘っている。

 あくまでも「プロポーズまでした相手が勝手に出て行こうとした」ことで怒っている態で話しているが、封鎖された通路やタイミング良く現れたことを考えると、ユーフェの素性が怪しいことに気づいているのは間違いがなさそうだ。


(ノクトは無事に脱出したかしら)


 ユーフェが来ないとわかったら、彼はユーフェを裏切り者とみなすだろうか。それとも――何かあったかと心配してくれたり……しないか。そこまでの仲間意識はユーフェとノクトの間にはないし。


「また考え事?」


 ヴィクトールが冷ややかな声を出す。


「ごめんなさい」


「そんな子には罰を与えようか?」


「ヴィクトール様のお気持ちが晴れるのならそうしてください。鞭打ちでも投獄でも、お好きなようになさってください」


「そんなことしないよ」


 ヴィクトールはびっくりした顔をする。


「ユーフェは罰を与えられたいの? 痛くされたいってこと?」


 このまま飼い殺されるような状況が続くなら、拷問でもされたほうがましだと思っただけだ。


 そうしたら――ユーフェは絶対に口を割らないつもりだから、心をヨハンに捧げたまま死ねる。こんなわけのわからない恋人ごっこから解放される。


「そんなことするわけないじゃないか。聖女相手に皇子が鞭をふるうなんてどうかしているよ」


「……そうですよね。鞭で打っても、わたしなら自分で治せてしまいますものね」


 ユーフェが皮肉を言うと、ヴィクトールははっきりと気分を害したようだった。


「俺はきみを傷つけたりはしない」


 食べなさいと冷ややかに命じられ、ヴィクトールの膝の上で、彼から食事を食べさせられる行為は皿が空になるまで続けられた。


 拷問のような食事を終えると寝室に連れていかれる。


 ヴィクトールが使っている寝室の隣の部屋だ。部屋同士は中扉で繋がっており、鍵もないので自由に行き来ができる。奥方のための寝室だ。


「お帰りなさいませ」


 ネリが深々と頭を下げて待っていた。


(ああ、つまりそういうこと)


 鞭打ちなどの拷問ではなく、寝台の上で拷問にかけると。

 確かに、身体に直接傷をつけるようなやり方よりも、ユーフェの心を傷つけられるだろう。


 唇を噛み、ベッドから視線をそらしたユーフェのつむじに、ヴィクトールはキスを落とした。


「おやすみ、ユーフェ」


(え?)


 拍子抜けしてしまう。


「俺はまだ仕事があるから、きみは先に休みなさい。心配しなくても、夜中に勝手にドアを開けてそっちに行ったりはしないよ」


 そう言って隣の部屋に行ってしまう。


(え? じゃあ、なんのつもりでこの部屋に連れてきたの?)


 監視のため?

 ヴィクトール直々に見張るとでもいいたいのか。


「ふふふ、ヴィクトール様は紳士ですから安心なさってくださいませ。……でも、女性からしてみたら強引に迫られるのが嬉しい時もありますわよね?」


 茶目っ気たっぷりにウインクしたネリは――何も知らない?


 ユーフェが困惑しているのもただ照れているとでも思っているようだ。

 いつも通りに丁寧に寝支度を整え、いつも通りにユーフェに優しく接してくれる。


 その夜、ユーフェは悪夢を見た。


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