14 「きみは役立たずなんかじゃない」

(……そっか。やっぱりヴィクトールはわたしを騙してたんだ)


 おかしいと思ったのだ。ヴィクトールが接してくる距離はやたらと近く、会って間もないのにプロポーズまでしてくるなんて。


 この人はまさか本気でわたしのことを? ……なんて考えてしまった自分が馬鹿らしくて恥ずかしい。ユーフェはずっとヴィクトールの手のひらの上で転がされていたのだ。

 そう考えると何もかもが疑わしく思えてくる。


「ユーフェ様、少し元気がないようですが大丈夫ですか?」と尋ねてくるネリは、ヴィクトールの命令でユーフェを見張っているに違いないだろうし、部屋まで届けてもらえる食事にもいつ毒が混ぜられるか分かったものではない。


(やっぱりわたし、役立たずだ)


 ヨハンはユーフェに失望するだろうか。

 いいように騙されて馬鹿だなあと言うだろうか。


 首から下げているカメオにはヨハンが持たせてくれた毒薬が入っている。ヴィクトールに甘い言葉を囁かれて赤面していた自分が愚かすぎて、恥ずかしくて、いっそ服毒して消えたい衝動に駆られるが……、部屋でユーフェが服毒死していたら、わたしは怪しい人間でしたと自白しているようなものだ。この毒薬は本当にどうにもならなかったときに使うべきもので、安易に使うものではない。


 とにかくここを出て行くことは気取られないように、いつも通りに過ごさなくては。


 ユーフェは何食わぬ顔で城に帰り、ヴィクトールとの定例のお茶会で他愛のない話をし、ネリに身の回りの支度を任せ、夕食もいつも通りに食べた。


 ――明後日、ここを抜け出す。


 ノクトが夕暮れと指定したのは、城下の門が閉まる直前に外に出ようと言う目論見なのだろう。夜間に街の外に出るのは難しい。


(こっそり部屋を抜け出して、地下通路を通って外に出よう。幸い、この間のお忍びの時に買ってもらったスカーフがある。目立つドレスはスカーフで隠して、すぐに着替えを調達して……。長い髪も切ってしまおうかな)


 ベッドに横になりながらぐるぐると考え込むユーフェの耳に、控えめなノックの音が届いた。


「……夜半に申し訳ありません、ユーフェ様。起きていらっしゃいませんか?」


(ロバート?)


 ヴィクトールの従者だ。

 ユーフェは警戒した。


「どうしたんですか、ロバートさん」


 扉は開けないままに尋ねる。

 ユーフェからの返事があったことにロバートは明らかにほっとしたようだった。再び申し訳ありませんと謝り、事情を説明しだす。


「実は……今朝がた、ヴィクトール様は何者かに襲撃されて怪我を負いまして……」

「えっ……、でも」


 ヴィクトールとは午後のお茶を共にしている。

 その時の彼は普段と変わりがないように見えた。


「ユーフェ様とお茶をした時はかなり無理をしていらしたのです。今も痛みが引かないようで……、どうか癒していただくことはできないでしょうか?」


「…………」


 罠、じゃないわよね?


「わかりました。すぐに行きます」

「本当に申し訳ありません」


 上着を羽織り、ロバートに連れられてヴィクトールの部屋に向かうと、ヴィクトールはやっぱりいつもと変わりがないように見えた。しかし、勝手にユーフェを連れてきたらしいロバートに咎めるような顔をする。


「ロバート、どういうつもりだい?」


「申し訳ありません、ヴィクトール様。私の独断でユーフェ様に事情を話し、お連れしました」


「……ロバートは気にしすぎだよ。よくあることじゃないか」


 よくあること?

 怪我を負うことが?


「あの……、わたしもヴィクトール様が心配で来たのです。見せていただけませんか?」


「…………」


 ヴィクトールは諦めたようにソファに座ると、ウエストコートのボタンを外し、黒いインナーの裾を捲った。鍛えられた腹筋とぎゅっとしまった臍、その左側は大きなガーゼで覆われており、未だ血が滲んでいた。


「……ごめんね、汚いものを見せてしまって」

「汚くなんてありません」


 ユーフェはヴィクトールの隣に座ると、ガーゼの上から手をかざした。


 手のひらからあたたかい光が溢れ、ヴィクトールの身体に消えていく。彼がガーゼを剥がすと、傷があったと思しき場所はすっかりきれいになっていた。


「わあ、すごい。さすがユーフェだね!」


 ヴィクトールは嬉しそうだったが……。


「……ごめんなさい……」


「どうして謝るの?」


「まだ痛いですよね? 確かに傷は塞がりましたけど、腫れや痛みはとれていないはずです」


 直に触ると肌が熱を持っている。

 ユーフェの治癒能力が低いせいだ。傷ついた組織は修復できるが、痛みを伴う熱や腫れは取り去ることができない。見た目だけはきれいだ、でもこれでは傷口を縫合したのと変わらない、と聖ポーリアでは言われ続けてきた。


「ごめんなさい、役立たずで」

 他の聖女だったら痛みや苦しみを取りされるのに。


「きみは役立たずなんかじゃないよ」


 ヴィクトールはユーフェの手を握った。


 彼の袖口からブレスレットがちらりと覗く。

 城下で買ってくれた、ユーフェとお揃いの品だ。皇子が持つにはやはり少々安っぽすぎる。


「傷が塞がってすごく楽になった。ユーフェの癒しの力はとてもあたたかくて優しいね」

「…………」

「ありがとう。きみがいてくれて良かった」


 ぎゅっと唇を噛んでしまう。


 ヴィクトールはユーフェを騙そうとしているのだ。ワトレー村の事も嘘だった。空っぽの執務机の引き出しはユーフェを警戒してのことだった。


 彼を信頼してはいけない。


 頭ではわかっているのに、優しい言葉のひとつひとつがユーフェの心をぐらつかせる。


「なにか疑ってる? 本心だよ」


 指先を絡めるように手を繋がれ、ヴィクトールの右手とユーフェの左手に嵌められたブレスレットが触れ合った。


「……こうやって襲われるたびにさ、俺って生きていていいのかなって思うんだよね。『邪魔だ』『死んでしまえ』って思われるほど嫌われてたのかなあって……、俺がいない方が案外世の中が上手く回ったりするんじゃないかって思うよ。でも」


 ヴィクトールの瞳がユーフェを映す。


「きみは今、俺の傷をうまく癒せなかったことがもどかしくて、悲しい顔をしてくれてる。こんな俺のことを心配してくれる人がいるんだって思うと嬉しくてたまらない」


「……ヴィクトール様のことを心配してくれる人はたくさんいます。ロバートさんやネリ、騎士団の人たちだって、ヴィクトール様に何かあったら悲しみます」


「そうだね。でも俺は、一番にユーフェに心配されたい。……わがままかな?」



(ヨハン様)



 ヴィクトールがユーフェを見つめる中、ユーフェは自分を拾ってくれた主の事を考えていた。


 ヨハンに叱責されたくてたまらない。


 優しくされて喜ぶなんて馬鹿だなあと。こんな言葉で勘違いしそうになるなんてまぬけだと。徹底的に罵られて、貶められて、無価値な人間であることを確信して、安心したい。


「何を考えているの? 今は俺だけのことを考えて?」


 ヨハンに必要とされること。

 それがユーフェのすべてだった。


「好きだよ、ユーフェ」


 壁に映る二人の影が重なった。


 ヴィクトールの深いキスには翻弄されていく。

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