13 プロポーズ

 ガウンを着たユーフェはそっと部屋を抜け出した。

 ヴィクトールはいつも遅くまで起きているらしいし、ユーフェが突然訪ねていっても受け入れてくれるだろうという自信がある。


 執務室をノックすると、従者のロバートが顔を出した。


「聖女殿? どうなさったのです、こんな時間に……」


「遅くにごめんなさい……。あの、ヴィクトール様は起きていらっしゃいますか?」


「……起きていらっしゃいますが……」


 非常識な訪問に渋い顔をするロバートに部屋の中から声がかかった。


「ユーフェ? どうしたの?」


 ヴィクトールに招き入れられる。

 少しだけ話がしたいというとヴィクトールはいともたやすく了承してくれた。ロバートに飲み物を持ってくるように命じ、警護の兵士も部屋の外に追い出す。


 二人きりだ。好都合。


「……ごめんなさい、ヴィクトール様。こんな遅くに……」

 ユーフェはうなだれ、申し訳なさそうな芝居をした。


「そんな様子のきみを追い返したりできないよ。こっちへおいで」


 ヴィクトールはユーフェを手招いてソファに座らせた。隣に座るヴィクトールに、ユーフェはおずおずとノクトからの手紙を差し出す。


「兄がこんな手紙を……。聖ポーリア王国が攻めてきたりしたら、ノルド村のようなことが起こってしまうのでしょうか。わたしたち兄妹のような人が増えると思うと、なんだかわたし、いても経ってもいられなくて……」


 ヴィクトールの顔色を窺う。

 当然彼はこの手紙をチェックしているはずだ。

 ユーフェが出した手紙も機密が漏れていないかどうかのチェックがされた上でノクトに届いているはず。


「ユーフェたちは辛い思いをしたんだもんね。……ごめんね。ワトレー村の人たちにはできるだけ早いうちに避難してもらおうと思ってる」


「……じゃあ、やっぱり、戦になるんですね……」


「あの村は森林地帯を抜けたら聖ポーリアとの国境だ。どうしても防備に力を入れなくてはならない」


「わたしにできることはありますか?」


「……俺はね、ユーフェを戦地に連れていくつもりはないよ。確かにきみの力はすごい。怪我が治せたら戦況だって覆るかもしれないし、兵たちの指揮も上がるだろう。だけどね、……きみを便利な道具扱いしたくないんだ」


 ヴィクトールは甘い声音でユーフェの髪を撫でた。


「使ってください。わたしはヴィクトール様を守るためにここにいるんですから」


 ヨハンならユーフェを遠慮なくこき使うだろう。

 だけど、それで良いのだ。使われれば使われるほど、役に立てていると実感できるから。


「じゃあ、俺の帰りを待っていてくれる存在であって欲しい。言っただろう? きみがいるだけで俺は変われる――頑張れるんだ。俺はきみが好きだから」


「…………」


 この流れで愛の告白をされるとは思わず、ユーフェは言葉に詰まる。


「好きって……」

「僕と結婚して欲しいって意味だよ」


 結婚?


 息をするように紡がれた言葉に淀みはなく、聞き間違いかとすら思う。

 しかしヴィクトールは真剣な顔だった。

 口調こそ穏やかだが、熱のこもった目でユーフェを見つめている。


「返事は? ユーフェ」


「そ、そんなの、無理ですよ。えっと……わたし、貴族じゃありませんし、田舎から出てきたばっかりで……」


「関係ないよ。きみは『聖女』だ。特別な力を持つきみを妻にしたいと望んでも大きな反対は起こらない」


 ヴィクトールはユーフェがスパイだと気づいていない?


 気づいていたら――求婚なんてしないはず。だって、いつ寝首を掻かれるかわからない相手と同じベッドで眠れるはずがない。


(これまでの言動はわたしを篭絡しようと目論んでいたわけじゃなく、まさか本気で口説いていたの?)


 だとしたらなんておめでたい男なんだろう。


 口ごもるユーフェに、ヴィクトールは「考えておいて」と囁く。

 ロバートがあたたかい飲み物を持ってきてくれたが、ユーフェは飲まずに、逃げるように部屋を後にした。



 ◇



 ヴィクトールがワトレー村辺りの防備を固めると言うのなら、森林地帯から聖ポーリアに攻め入ることになるのは堅そうだ……、というのは有益な情報だろう。


 一度、馬鹿正直にヴィクトールから聞いた話をそのまま便箋にしたためてみると、ロバートが「こちらは機密になるので出せません」と戻しにやってきた。


 もちろん、ユーフェはわかってやっているので「ごめんなさい」と素直に謝り、当たり障りのない文章を書いた。『お兄様がセージの花を覚えていてくれて嬉しいです。わたしのことは心配しないで』。ロバートは不審に思わなかったが、相手の文章の一部を繰り返して書くことで肯定の意を伝えたつもりだ。もしも情報が違っていたら、『セージじゃなくてツツジでしたね』とでも書く。



 数日後、ユーフェはネリを誘って城下に降りた。


 今回はお忍びではないので護衛も何人か付く。街を見て回ったところで、ノクトと出くわした。


「ユーフェ!」

「お兄様!」


 少しだけ兄妹水入らずで話がしたいと言い、噴水広場のベンチに座って話をした。


 ネリや護衛が少し離れた場所にいるものの、じゃばじゃば音を立てる噴水の音や子どもたちのはしゃぎ声がちょうど良いノイズになってくれる。


 ノクトは顔だけは笑顔のままでこういった。


「撤退しろ。お前、勘づかれてる」

「え……」

 ユーフェは慌てて笑顔を作った。


「お兄様、どういうこと?」


「ワトレー村の件は俺がでっち上げた噂だ。あいつが兵を向かわせているのはヘイブリー地方。あの男は誤情報を肯定したんだよ。撹乱するためにな」


「そんな、じゃ、ワトレー村は……」


「平和そのものだ」


 ――ワトレー村の人たちにはできるだけ早いうちに避難してもらおうと思ってる。

 ……ヴィクトールはそう言った。

 本当に、申し訳なさそうな顔でそう言ったのだ。


(嘘だったの?)


 ユーフェが情報を漏らすだろうと読まれていたのだ。


「待って。もう一回探ってみるから……」

「もういい」


 ノクトはにこにこしながらユーフェの頭を撫でたが、その温度差が恐ろしかった。


「こっちの情報を引き出される前にお前を連れて戻る。明後日の日暮れ前、どうにかして北門まで来られそうか」

「…………ええ」


 ヴィクトールが教えてくれた地下通路がある。


「じゃあ、俺は仕事に戻るな!」


 ネリたちにも聞こえるような声で言ったノクトは、片手をあげて去っていった。仕事。彼は今からアンスリウム国からの脱出の準備を始めるのだ。

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