5 不遇に甘んじていた第二皇子

 ――あなたのせいではありませんから……。

 ヴィクトールの意味深な言葉に妙な胸騒ぎを感じる。


 遠征はアレックスの差し金。

 第二皇子の周囲を固めるには少ない騎士。

 何もかも諦めたようなヴィクトールの顔。


「……ッ!」


 ユーフェはテインから手綱を奪い取ると強く引いた。


「あっ、おい! お前っ」


 驚きで嘶いた馬は上体を高く上げる。重たいテインはバランスを崩し、後方に落馬した。


 馬を操り、ユーフェは来た道を引き返す。

 テインがいなくなったので馬のスピードはぐんと上がった。


「待てっ!」

「追え、ポリス!」


(待つわけないでしょ!)


 筋肉兄弟に逆らったらアレックスに罰せられるかもしれないが、もしもここでヴィクトールの身に何かあった場合、「一緒にいながら役に立たなかった聖女」として吊るし上げを食らう方が困る。


 ユーフェの聖女としての信用は地に落ち、ただの回復要員として幽閉されてしまう可能性だってある。


 沢の方へと降りると、あちこちで騎士たちが魔獣と戦っていた。

 狼よりも大きな獣たちと戦う中、ヴィクトールの姿はない。


「ヴィクトール様は⁉」


「せ、聖女様……、なぜ戻ってきたので……ぐわあっ!」


 騎士の一人が肩に噛みつかれて剣を取り落とす。ユーフェは馬から飛び降りると剣を拾った。襲い掛かってきた魔物を横薙ぎに切り捨てる。


「怪我を治すわ!」


 ユーフェは怪我をした騎士の肩に触れた。

 あたたかい光がみるみるうちに傷口を癒す。


「あ、ありがとうございます……!」

「聖女様! ヴィクトール様は西の方です!」

「すぐに追います!」


 剣を返そうとしたが、騎士は「自分は弓があるので剣は聖女様がお持ちください」と鞘を寄こしてくれた。ありがたく受け取ったユーフェは馬に飛び乗り、西の方へと向かう。


 ヴィクトールはすぐに見つかった。


 やや開けた土地で側近の男と背中合わせに立っており、周囲を囲んでいるのは賊だ。


 皆、覆面や目隠しで顔を隠し、手には暗器を持っている。


 緊迫した空気の中、ユーフェは大声を上げて馬を走らせた。


「ヴィクトール様! 助けにまいりました! アレックス皇子がつけてくれた護衛もすぐに来ますからねーっ!」


 いずれ追いつくであろう筋肉兄弟のことだ。

 ヴィクトールを囲んでいた賊は僅かに反応する。


「アレックス皇子の……?」

「はったりだ、構わん。やっちまえ!」


 リーダー格の男が指示したので、ユーフェは馬の勢いを殺すことなく場に突っ込んだ。

 輪は乱れ、混戦状態になる。

 ペースを乱されたリーダー格の男はユーフェに怒鳴った。


「このクソアマ!」


 飛んできた矢が馬に刺さり、ユーフェは地面に振り落とされる。

 が、ユーフェは軽々と受け身を取った。

 借り物の剣を抜く。


「ユーフェ殿!」

「自分の身は自分で守れますのでご心配には及びません!」


 襲い掛かってきた男の刃を受け止めながらユーフェは応える。

 攻撃を防ぐことしかできないが、それで十分だ。すぐに騎士たちが駆けつける。


「――ヴィクトール様っ! 聖女様ぁっ!」

「賊だ! ヴィクトール様をお守りせよ!」


 魔獣を倒した騎士たちが続々と集まってくる。

 怪しい男たちは不利を悟ったのか、素早く去っていった。


 もう安全だ。ユーフェはヴィクトールに駆け寄った。


「ヴィクトール様、大丈夫ですか? あっ、ここお怪我をなさってますよ!」


 左手の手袋が破れ、手の甲に切り傷がある。こんなものすぐに治せる。


 ユーフェが傷を治すさまを見ながら、ヴィクトールはやや放心状態で呟いた。


「ユーフェ、きみ、戦えるの?」


「あっ、ハイ。田舎では兄たちのチャンバラごっこに付き合わされましたので」

 祖国では訓練と称してぼっこぼこにしごかれて育ちましたので。


「乗馬も見事なものだね」


「田舎育ちですから」

 長らく王都暮らしだがヨハンの配下の者たちに仕込まれた。


 山まで連れて行かれて置き去りにされたり、崖から突き落とされたり、気絶するまでひたすら受け身の訓練をさせられたこともあった。


 当時は、訓練にかこつけてヨハンは自分を始末したいのではないかと思ったものだが、そのたびにしぶとく生き残り、そして今、その経験が割と役に立ってしまっている。


「そっか……。田舎育ちだからね……。へえ、そう……」


 ヴィクトールは肩を震わせていた。


 儚げで爽やかな皇子様は天を仰いで爆笑する。


「ふふふ、あはは、あっはっは! あ、兄上はきみが戦えるって知ってて俺に同行させたの?」


「いえ、アレックス殿下はわたしの聖女としての能力しかご存じなく……」


「そっか。……そうだよね、知っていたら俺の元に寄こすはずがないもんな……。相変わらずツメが甘い……」


 低く呟いた言葉の後半はユーフェには聞こえていなかったが、ヴィクトールは涙を流すほどにひーひー笑いこけていた。


「俺、きみのことが気に入っちゃったな」


 ヴィクトールの手がユーフェの頬に触れる。

 親指でこすられて気づいた。あ、返り血……。


「お、お褒めいただき、光栄です?」


「ねえ。兄上の元じゃなくてさ、俺の側に来る気はある?」


 やった、願ったり叶ったりだ!


「はい! もちろんです!」

 そう口にしようとしたユーフェだが、こちらを見つめる紫灰色の瞳を見た瞬間、言葉に詰まった。


 爽やかで優しそう、性格が良さそうと思っていた第二皇子。

 てっきり押しの弱い美青年かと思っていたが、その瞳はユーフェが知っている王族の人間とそっくりだった。


 有無を言わせない傲慢さ。

 従わなくてはならないと思わせる笑みを浮かべて、彼は言った、


「俺、きみが欲しいな」


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