6 「大人しく殺されるつもりでしたが、気が変わりました」


「――ヴィクトールの暗殺に失敗しただと?」

 部屋で報告を受けたアレックスは眉間に皺を刻んだ。


 分厚いカーテンのせいで月明かりも入らない第一皇子の部屋では、側近が頭を垂れ、主の怒りに震えていた。


「グズどもめ、仕留めそこなったのか!」


「そ、それが、そのう、あの聖女が邪魔をしたそうで……」


「あの娘がヴィクトールを治したのか。馬鹿兄弟には聖女を引き離しておくようにあれほど言ったというのに」


「いえ。治したのではなく、戦闘に加わろうとしたのだと。馬で突撃し、剣を振り回して攻撃を防いでいたとかなんとか……」


「あの娘がか⁉」


 普通の女は剣など扱えないはずだ。

 ここまで移送してきた兵もそんなことは一言も言っていなかった。


「とんだじゃじゃ馬聖女のようだ。田舎の出だと言っていたが出自をよく調べておけ。それから、使い物にならない奴らは処分しておけよ。ヴィクトールが探りを入れてきたら面倒だからな」


「……その必要はありません、殿下。私の元に戻ってきたのはただ一人。残りは全員、ヴィクトール様の手の者が道中、待ち伏せていて……、逃げ切れないことを悟り、自害したと……」


「は……?」


 どういうことだ。

 ヴィクトールの襲撃に失敗したのは二日前。


 アレックスはその報を今聞いたばかりだというのに――ヴィクトールは連れて行った騎士たち以外にも伏兵を忍ばせていたのか?


 それに、これまでのヴィクトールであれば暗殺者を迎撃はしても、追い詰めまではしなかった。そこまでの気概はあれにはなかったはずなのに……。


「お、お待ちください! ヴィクトール殿下!」


 なにやら廊下が騒がしい。

 と思ったら、勢いよく扉を開けて入ってきたのはヴィクトールだった。髪や顔はうっすらと土埃で汚れ、遠征用のマントも身に着けたままだ。


「ごきげんよう、兄上」


 にっこりと微笑むヴィクトール。

 アレックスは苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「ヴィクトール……⁉ 貴様、なぜ城にいる⁉」


「不測の事態が発生したため、やむなく遠征を取りやめ、急ぎ城に戻ってきたのです。兄上がまだ起きていらして良かった。一言、お礼を申し上げたくてやってきたのです」


「礼だと?」


「はい。此度の遠征にユーフェ……、聖女を同行させてくださったこと、本当に感謝いたします。彼女のおかげで危ない場面を切り抜けられました」


「…………。そうか、それは何よりだ」


「つきましては、これまでの兄上のに報いたいと思いまして……、近いうちに皇帝陛下父上の名のもと、兄上に対する査問会を開かせていただくつもりです」


 アレックスは鼻で笑った。


「はあ? 査問会? 何のだ」


 まさか、ヴィクトールに刺客を差し向けた件でというわけではあるまい。

 ヴィクトールの部下が丸めた書状を献上した。


「どうぞ、兄上」


 ヴィクトールに言われたアレックスはいぶかしみながら書類を手に取る。

 そこに書かれていた内容を見て唖然とした。

 アレックスの名前で、この国の領土の一部を他国へと売り渡すことになっている書類だ。なぜこの書類がヴィクトールの手に?


「第一皇子派のエライヒトスキー公爵家、ナガイモノニマカレーロ侯爵家と協力し、国土の一部、そして利権を手放す代わりに、北のルーセル王国から武器を大量輸入する計画を立てていたという証拠です。父上に売国奴と罵られるだけで済めば良いですが、そういうわけにもいかないでしょう」


「……っ、ふ、ふざけるな! こんなものいくらでも偽装できる!」


 アレックスは書類をびりびりに破く。


「ええ、おっしゃる通り、それは偽物です。本物の証拠は全て貴族院に提出させていただきました。もちろん、父上にも報告済みです。これは三か月後の次期皇帝選定の儀にも大いに影響すると思われ――」


 ガシャン!

 アレックスの投げたティーカップがヴィクトールの背後で粉々になった。


「なんのつもりだ、ヴィクトール。木偶人形だったお前がよくもこんな真似を……!」


 ――皇帝の血を引く皇子は生まれながらにして茨の道を歩かされる。


 常に完璧に。人を信じるな。狡猾に。打算に。

 施される帝王学をアレックスは嬉々として受け、ヴィクトールは死んだような冷めた目で聞いていた。


 皇族らしく振る舞うアレックスが称えられる一方、言われたことをこなすだけしか能がなかったヴィクトールは皇帝になる資質なしと囁かれてきたのに……。


 いつも自分の一歩後ろで、「第二皇子の仕事」を粛々とこなしていた弟。


 アレックスが刺客を差し向けても決してやり返すこともなく、その地位と境遇に甘んじていた弟が……。


「……大人しく殺されるつもりでしたが、気が変わったんです。欲しいものができたので、皇帝の座は俺がいただくことにします」


 ぞっとするほどの美しい笑みを湛えて言う。

 まるで、無垢な小さな子どもが悪気なく兄のおもちゃを奪い取るように。


 ◇


「……ヴィクトール様、どうなさるおつもりなのかしら……」


 軟禁部屋、もとい、アレックスが用意した部屋のベッドに寝転がりながらユーフェは息を吐いた。


 ――襲ってきた賊を倒した後、ユーフェたちは強行軍で王都へと帰ってきた。


 行きは野営のポイントや体力を考えながらだったが、帰りはただ帰るだけなので楽なものだ。元々一週間以上かかる行程だったが、三日で引き返すのだから兵も馬も体力はじゅうぶん残っている。


 途中の休憩ポイントではヴィクトールは部下たちに何やら指示を出していて忙しそうだった。護衛の人数は急に増えたし、筋肉兄弟はいつの間にか離脱していた。


『ちょっと兄上と話をつけてくるから、きみは部屋で待っていてくれる?』


 帰城後、ヴィクトールに指示されて部屋に戻ってユーフェは素直に湯あみをし、柔らかいベッドでぐーぐー寝た。そうしてぼんやりしながら今後の事を考える。


(きみが欲しい、か……。ヴィクトールがアレックスの下から引き抜いてくれるのなら万々歳だけど、あの俺様が素直に頷くかしら?)


 今のところヴィクトールはユーフェに好意的だ。

 聖女としても役に立てるし、遠出をするときも足手まといにならない。

 このまま信頼関係を築ければ良い「情報源」になってくれることは間違いないだろうし、「お兄様に会いたいんですう~」とでもおねだりすればノクトとも合流できそうだ。


 さてどうなるか……。

 食事を食べて再び眠り、翌日の日が高く昇る頃――


「ユーフェ。迎えに来たよ」


 ノックの音と共に、ヴィクトールの声がした。

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