私のアイドル
古木しき
私のアイドル
私のアイドルは向こうのほうで微笑んでいる。私が手を振れば返してくれるようだ。毎日毎日見ては私の心はドキドキと胸が鳴る。それは彼女もそうに違いない。私が悲しい時には一緒に悲しんでくれるように見える。これは私だけのアイドルなのだ。
彼女は滅多に表舞台に出ない。しかし、私が望めば現れ、私に元気づけてくれる。私の為に歌ってほしい。でもなかなか歌ってはくれない。そんな彼女が大好きだ。
「ねえ、あなたは私が好き?」
そう尋ねてみても向こうの彼女の返事はわからない。でもきっと好きに違いない。私には分かるのだ。これは相思相愛なのだ。
夜、真っ暗の中で向こうを見ても真っ暗なまま、彼女は見えない。明かりをつけるといる。そして私に向かって微笑んでくれる。それに対して私も微笑む。
私の為に歌ってほしい。それだけが今の望み。いや、彼女を私だけのものにしたい。欲張りかもしれないが、それでも彼女は喜んでくれるだろう。
「ずっと一緒にいてほしいな」
そう呟くも彼女は答えない。いや、何かを言っているのだろうが聞き取れない。向こうの彼女は照れ屋に違いない。
彼女のことをもっと知りたいが、知り過ぎたくもない。知りすぎると離れ離れになってしまいそうで怖いのだ。だから今のまま向こうの彼女は私に向かって手を振ったり笑顔を振りまいていく。決して他の誰かの為にではない。これは私に対してだけだ。
ある日のこと、私は街中へ出かけた。そこであの彼女がいた。私は話しかけられなかったが、彼女も気づいたようでにこりと微笑んでくれた。しかし、それは一瞬の事だった。ああ、もっと一緒にいたい。近づきたい。その思いがどんどんと雪のように積もっていく。心の中は弾け飛びそうだ。それは彼女も同じ気持ちであろう。
私の為に歌ってくれたならばどんなに幸せなことであろうか。彼女も歌いたいと願っているはずだ。しかし、声は届かない。このもどかしさにイライラが溜まりに溜まって爆発してしまいそうだ。
6月の雨の降る日、私は決心した。彼女の為に私が歌おうと。私が歌えばきっと応えてくれる。私の為だけに歌ってくれる。向こう側の彼女に向かって、私は静かに歌を歌い出した。
アア、彼女が歌ってくれている! 私だけのアイドル! 私の為だけに! こんなにも素敵な歌を独り占めできるなんて! なんて幸運なのだろうか!
後日、女性は部屋で遺体となって発見された。部屋は荒れており、警察は強盗殺人の線を疑ったが一切証拠となるものはなかった。女性は割れた鏡の前で血だらけになって倒れていた。女性を知る人からの証言では、彼女は鏡を見てはニヤニヤとした顔をしたり、鏡に向かって話しかけていたことが頻繁にあったのだという。
終
私のアイドル 古木しき @furukishiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます