終局

長峡仁衛は彼女の元へ向かう。

肉体は既に鋼、人肌どころか人間の器ですらない、人の心もあるのかすらも分からない状態の彼女に向けて、長峡仁衛は手を伸ばして、そして触れる。


「小綿ッ」


叫ぶと共に、長峡仁衛の意識は途絶えた。

自らが全力を出した結果、彼の意識は再び、肉体から外れていき、内側へと移動していった。


精神世界。

そこで、長峡仁衛は目を覚ます。

目の前には、銀鏡小綿が居た。


長峡仁衛が大切な彼女が、人間のままの姿で其処に立つ。


「小綿…あぁ、小綿だッ」


長峡仁衛が駆け寄る。

彼女は、暗い表情のまま、手を挙げると、近づいてくる長峡仁衛の頬を打った。

乾いた音が響き、長峡仁衛の頬は赤く灯る。


「何故来たのですか、じんさん。すでに、さよならはしたじゃないですか」


彼女の言葉に、長峡仁衛はじっと銀鏡小綿を見詰める。


「お前を、迎えに来たんだよ」


「必要ありません…じんさん、貴方は、もう自立の時期です。母を…私を必要としなくても、良いのです。子は何れ親から離れるもの。親離れは、早い内で無ければ…いつまでも、依存してしまう。じんさんあなたはいつまで私に世話を焼かせるつもりですか?」


彼女の言葉に、長峡仁衛は喉を張り上げて言う。


「そんなの、何時までもだ。親離れとか、子離れとか、そんなのどうでもいいんだよ。俺には、お前が必要だから、だからこうして、此処まで来たんだ」


「誰が頼んだのですか?私は、貴方には生きてほしかった。だから、私は、私の命を犠牲にしたのですから…もう、話す事はありません、帰って下さい、じんさん」


冷たく、銀鏡小綿は長峡仁衛に背を向ける。


「小わッ」


「来ないでッ!!」


柔らかな口調とは違う、彼女の怒声。

それに、長峡仁衛は驚いて、歩みを止める。


「来ないで、下さい、じんさん」


銀鏡小綿は、長峡仁衛に背を向けながら、彼女が目を向ける方向に指をさす。


「私は、戻ります、じんさんは、あちらから、お戻り下さい、決して、交わる事の無い様に」


そう告げた。

長峡仁衛は後ろを振り向く。

明るい道が、長峡仁衛を照らしていた。

おそらくは、其処が出口なのだろう。

対して、銀鏡小綿の方は、暗い水の底のような空気が漂っている。

其処に向かえばどうなるかなど…考えたくもない。

長峡仁衛は、追おうとする、しかし、体が、光の方へと引っ張られる。


「待てよ、小綿」


長峡仁衛の体には、優しい手が、光の道から出現すると、彼の体を掴んで、出口へと引き摺ろうとしている。

これで、お別れなのだと、銀鏡小綿は思ったが、長峡仁衛は、それは嫌だと、叫んだ。


「なんでそんなに、さよならとか、お別れだとか、消えるとか、居なくなるとか言えるんだよ…」


彼女の身勝手か、長峡仁衛の身勝手か。

そんな事はどうでもいい、彼女は自ら死へと向かおうとしている。

それが、長峡仁衛の導火線に火を点けた。

あとは、なんであろうとも…、長峡仁衛は、彼女に向けて叫び出す。


「ずっと一緒だったじゃないか、これからもそうだったんだろうがッ」


長峡仁衛に絡まる手。

視界が遮られ、その手を退かすと、彼女の姿は、中学生の頃の少女に変わっていた。


「世界を壊す神様が相手で」

「お前の命一つで世界が救えるなら」

「俺の命が救えるなら」

「なんて…そう考えて命を投げ出すなんざ」

「そんなのは俺が許さない」

「誰が許しても」

「俺だけは絶対に許さないッ」


長峡仁衛も、姿は変わり、彼女と同じ年齢に、中学生の頃へと、姿が変わる。


「お前を犠牲にして」

「お前が消えるくらいなら」

「俺も一緒に連れていけッ!」

「何処でも一緒だ」

「死んでも」

「死んだ後でも」

「ずっと付き纏ってやる」

「迷惑だろうが」

「ストーカーだろうが」

「知ったこっちゃない、俺はッ」


今度は景色が変わる。

長峡仁衛と銀鏡小綿が見てきた景色が混ざり合う。

雪の様な銀世界、辺り一面が銀色になると、空は青く、桜の花が舞い散った。

長峡仁衛は小学生の姿となり、銀鏡小綿も、同じように小学生の様な姿に変わる。

子供の頃の声で、長峡仁衛は、涙を浮かべながら、彼女に訴える。


「俺はッ」

「お前が居ないと駄目なんだよッ!!」

「なんで分かってくれないんだよ」

「分かれよッ、分かってくれよォ!」


子供の姿で長峡仁衛は泣き出した。

その姿を見た銀鏡小綿も、涙を浮かべている。

泣きじゃくりながら、長峡仁衛は彼女を求めた。


「俺は弱いんだよッ」

「お前が傍に居てくれないと何も出来ないんだよ」

「お前が居ないと」

「俺はずっと弱いままの俺なんだよ!」

「お前が傍に居てくれるから」

「居場所を作ってくれたからッ!」

「俺は…」

「どんな辛い時でも」

「苦しい時でもッ」

「小綿が居てくれたから」

「頑張れたんだッ」


長峡仁衛の人生には、銀鏡小綿が居たから成り立った。

彼女が居なければ、長峡仁衛は、とっくの昔に死んでいた可能性もある。

銀鏡小綿に向ける言葉、長峡仁衛が欲する言葉。銀鏡小綿が飲み込んだ言葉。

それが、喉奥にまで出かかる。


「それ」

「それでも」

「良いのか」

「小綿ッ!」

「泣くぞ」

「お前が消えたら泣いて」

「泣いて」

「泣きまくってッ!」

「そんでお前の後を追ってやるッッ!」

「それが嫌ならッ!」

「それが駄目ならッ」

「一緒に生きてくれよ!」

「手を伸ばして」

「腹の底から」

「俺と生きたいって言ってくれよォ!!」

「小綿ァああ!!」


手を振り切る。

大切な人の元へと走り出す。


「じん」

「じんっさ」

「…ッ」

「じんさんッ!!」


銀鏡小綿は溜まらず長峡仁衛に手を伸ばす。

そして、小さな二人は抱き締めて、そして肩に顔をくっつけるように、泣き出した。






















「帰ろう、一緒に」























長い夢でも見ていたかの様だった。

倦怠感が長峡仁衛の体に重く圧し掛かる。

体が限界を迎えていて、指先一つ、動かすのもやっとの状態。


無限廻廊、作られた大広間。

長峡仁衛の前には、『不従万神』である霊山禊が長峡仁衛を見詰めていた。


現実世界には、『銀月失遂』など、存在しない。

何処かへと消え失せたかの様に、存在丸ごと、消え失せてしまった様子だ。


長峡仁衛は自らの掌を見詰める。

消えた彼女を思うと、寂しい感情など、吹き飛んでしまう。

霊山禊が、長峡仁衛に向けて、手を伸ばした。


「八峡さま、八峡様、愛して、愛して?」


子供の様な継続する言葉。

長峡仁衛は霊山禊の方を見て立ち上がると首を左右に振る。


「…嫌だね。お前は、其処で一人、俺とは違う場所で、さよならをするんだ」


その言葉に、霊山禊は、冷めた視線を向けながらも、長峡仁衛を欲していた。

手を伸ばして、世界を侵食させる『外法』を生み出す。


「…帰ろう、帰ろうよ、小綿。もう、終わりにして…俺たちの家に帰ろう」


長峡仁衛が呟く。

外法が世界を侵食していく。

長峡仁衛から漏れ出す神胤。

手を叩く、膨大な神胤から出現するは、銀色の少女だった。

三つ編みを解き、銀髪が周囲を舞いながら、長峡仁衛の体を強く抱き締める。


「小綿」


名を呼ぶ。

それに答える様に、長峡仁衛の式神…銀鏡小綿が答える。


「はい、じんさん」


転生者として真我万象へと至った存在は人間ではなく、外界の来訪者として扱われる。

便宜上は人間外、故に術式対象に移った。

長峡仁衛はそれを知らない。

ただ銀鏡小綿を掴みたかっただけだ。


真我万象によって作り替えられた体。

その莫大な量により、長峡仁衛は本来銀鏡小綿を召喚する事も出来ない。

だが、式神を召喚する際に、制限を掛ける。

『禍霊』を限定的に使役する為に、条件を付ける事で能力を削ぎ落し召喚を可能にする、限定召喚。


膨大な量を持つ〈銀月失遂〉から、〈真我万象〉と言う能力の使用不可を行う事で、銀鏡小綿の魂の大部分を長峡仁衛の中に残し銀鏡小綿の召喚を可能にした。


周囲を包み込む闇の胎動、『外法』に対して長峡仁衛は、握り拳を固める。


「これで、終わらせる」


長峡仁衛が呟くと共に、銀鏡小綿の力が放出される。


「〈人間道、封陣の理〉」


それは、転生者の道理。

長峡仁衛は銀鏡小綿を召喚した事でそれが使役出来る。

本来、転生術式は転生者のみしか使えない。

それは魂が前世を経験している事が条件でもある。


だが、長峡仁衛の中には、転生者としての前世を持つ銀鏡小綿の魂を肉体に宿している。

肉体に融解する様に、長峡仁衛の魂、その心の在り方、臨核の記憶を、銀鏡小綿を経由して発動した。


「〈銀姫収斂ぎんきしゅうれん〉」


外法と対抗する道理が、世界を喰らい合う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る