式神
肉体に絡み付く紙、それをどうにか払い除けようとして、長峡仁衛が神胤を放出して式神を召喚しようとした。
「ッ」
だが、式神が召喚出来ない。
それどころか、彼の肉体に蓄積された神胤が、彼の肉体から放出する事が出来ない。
封緘術式を間近に受けた長峡仁衛は、自らの術式が使えない事に驚いた。
「(クソ、ふざ、けんなッ、こんな、こんな能力、無くても良かったんだ、だけど、小綿が、守れるのなら、それなら、受け入れたのにッ…使えなかった、意味なんか、無いじゃないかよッ!!)」
長峡仁衛は必死だった。
何も出来ずに、銀鏡小綿を失ってしまう。
その後の人生を、長峡仁衛は生き続ける事など出来ない。
「くッ、そッ…あ、あああッ!!」
長峡仁衛は、体を起こす。
神胤を使役しての肉体強化ではない。
それは、長峡仁衛の意思、気概によって、肉体を奮い立たせて体を起こしたに過ぎない。
歯を食いしばりながら、長峡仁衛は、地面を蹴る。
しかし、それを遮る様に、祓ヰ師たちが、長峡仁衛の邪魔をする。
「止まれ」「御当主様の命令だ」「貴様を足止めする」「大人しく封印されろ」
その言葉の数々。
どの様な冷めた言葉を受けても、悲しみしか生まれなかった長峡仁衛にとって、これほど腸が煮え繰り返る事も無いだろう。
大事な人を目の前にして、何も出来ないなど、その様な苦痛、受け入れられる筈がない。
腰に携えた刀を抜く祓ヰ師たち、長峡仁衛を脅す様に刃を向ける。
「…ロロ」
辰喰ロロに、黄金ヶ丘クインが声を掛ける。
長峡仁衛は、黄金ヶ丘クインに一筋の希望を見せた。
彼女ならばきっと、この拘束を解いてくれると信じて。
けれど。
「…悪いな、長峡」
「ッ…どう、どうして、だよッ!お前たちまで、小綿を見殺しにするのかッ!?」
「いいえ、兄様、私は、兄様を救います」
黄金ヶ丘クインは悲痛な表情を浮かべている。
彼を救う為に、自らが敵に回らなければならない。
かと言って、長峡仁衛を野放しにしてしまえば、確実に長峡仁衛は死ぬ。
であれば、長峡仁衛を生かす決断をしたが…どちらも苦渋を呑むものだった。
「兄様、決断をして下さい、このまま、不従万神を野放しにして起こる被害、それを止めた事から生まれる被害…どちらが、人類に対して有益かを」
何時までも、個人的感情で動くなと、そう言われているみたいだった。
長峡仁衛は、段々と体を鎮める、大人しくなった長峡仁衛に、祓ヰ師や霊山蘭も安堵の息を漏らす。
「どちらを選ぶ…なんて、決まってる」
長峡仁衛の優先順序は既に確立している。
長峡仁衛は、近くの祓ヰ師に向けて突っ込んだ、そして、長峡仁衛の胸元に、刃が突き刺さった。
「…ぐ、ふっ…あぁ」
黄金ヶ丘クインも、辰喰ロロも、声を失ってしまう。
祓ヰ師たちも、馬鹿な真似をしたと思っているが、中には、蒼褪めているものも居る。
霊山蘭は、声を荒げた。
「長峡仁衛から、離れろッ!貴様らァ!!」
その声、感情に感化された祓ヰ師たちは、長峡仁衛から退避。
黄金ヶ丘クインの方を見る長峡仁衛は、悲哀の目を向けて、申し訳なさそうに言う。
「わ、るいな…めいわく、かける」
その言葉と共に。
長峡仁衛は、死んだ。
『封緘術式』は、殺す術式ではない。
対象をこの世から切り離し、別世界にて保管する。
生命維持と外界からの遮断。
半永久的に生き続ける事が可能なこの術式は、ある種、尤も優しい術式とも呼べるだろう。
死期の近い術師、式神や封緘術式持ちで畏霊を封緘した術師は、死後、その肉体に宿る式神は体外へと排出されてしまう。
故に、死期が近い術師を、封緘術式にて封印する事が主流となる。
死の直前、長峡仁衛は考えた。
能力など、術式など要らぬと。
其処から、長峡仁衛はある結論に至る。
少なくとも、長峡仁衛にとって、彼の行動を邪魔するものは全て敵だ。
術式を封印された以上、長峡仁衛には成す術が無くなる。
だから、長峡仁衛は死を選んだ。
自らの術式を、暴走させる為にだ。
『封緘術式』
術師が死亡した場合、術式の系統によるが、所持している式神の封印が解かれ、現実世界へと弾き出されてしまう。
契約の破棄。
それによって式神は畏霊へと戻る事を、暴走と称される。
長峡仁衛は、封緘術式で完全に封印される前に、自死を選んだ。
これにより…長峡仁衛の中に眠る式神との契約が破棄される。
長峡仁衛の中には、一流の祓ヰ師ですらも手古摺る式神がデフォとして存在する。
中には『禍霊』などと呼ばれる、封緘術師が封印する事が出来ずに無限廻廊にて野放しにした式神が、この空間内に召喚される。
「長峡仁衛ェ…貴様ッ!!」
霊山蘭が叫ぶ。
長峡仁衛の死によって、多くの式神が畏霊と化して、周囲の人間を襲い始めた。
長峡仁衛の死後。
その肉体に宿る臨核へと意識が移される。
生と死の狭間、この場所で、長峡仁衛は目覚めると、目の前には霊山禊が立っている。
「…仁衛、あなたは。どうして其処まで…」
極端であるのか、直情であるのか。
それとも、どうして、其処まで出来るのか、そう思っているのだろう。
長峡仁衛は立ち上がる。
霊山禊の方を見て、言う。
「…俺は小綿が好きなんだ。…いや、違うな、小綿が居ないと、ダメなんだ。…小綿は、俺に依存している様に見えるけど…逆なんだよ。俺の方が、小綿に依存している、小綿が居ないなんて、考えられない」
「…だからと言って、自分が死んで良い筈が無いでしょう?」
窘める言葉に、長峡仁衛は頷いた。
「…幼い頃、あいつの名前、由来を聞いた事がある。…小綿は、蒲公英の綿毛、その花言葉は別離。…そう小綿は聞かされて、顔には出さなかったけど、傷ついていたと、思う、俺は…」
彼女に言ったのだ。
「だったら、そうならない様に、俺が繋ぎ止めるって…だったら、俺は、この命を懸けて約束を守る、…誰を犠牲にしても」
その考えは自己中心的だ。
他の人間の迷惑を顧みない。
いや…他の人間の事を考えてこその、その解答なのだろう。
「死んだら、意味など無いじゃないですか」
「俺が死んでも…未練が残る、祓ヰ師は呪いを残す、死んでも、銀鏡小綿を助けろという呪いを」
長峡仁衛が死んでも、銀鏡小綿が救われる様に。
「…では、仁衛。あなたにとって…銀鏡小綿とは、何ですか?」
霊山禊の突然の言葉。
長峡仁衛は考えるまでもなく、告げる。
「大切な家族だ…異性としてでも、母親としてでも、家族である事に変わりない、俺の居場所、帰る場所が、其処なんだ」
その言葉を口にした時。
霊山禊は、肉体が自壊していく。
光と化す肉体が、長峡仁衛を見詰めていた。
「であれば…解呪の時ですね…仁衛」
そういった。
「私が貴方の禍憑としていられたのは、長峡仁衛は『家族を作らなければならない』と言う呪いを与えた為です…霊山家では、貴方を家族として扱って貰えませんでした。銀鏡さんも、ご友人たちも、貴方自身が何処か一線を引いていた様に思えたから…けれど、此処で、その言葉を聞いて、今、本当に『家族を作れた』のだと、認識しました。…仁衛、解呪は、被呪者に恩恵を齎す、…私の、莫大な呪いが神胤となり、貴方の心臓として、命を吹き返す事を約束しましょう」
霊山禊の言葉に、長峡仁衛は、彼女の方に近づくと。
「…じゃあ、今生の別れか、これが」
「元々、あの時に、私は死んでいた、微かな時間、貴方の成長を見られて良かった」
霊山禊が、手を広げる、腕を広げて、長峡仁衛を抱き締める。
長峡仁衛もそれに返す様に、霊山禊を強く抱き締めた。
「…強い体になりましたね、ようやく、安心して逝けます」
「…母さんがくれたものだ。ありがとう、俺を、強い体に産んでくれて」
感謝の言葉、それと共に、霊山禊は消える。
長峡仁衛の意識も、次第に、外界へと向けて伸びていき、騒がしい音と共に、目覚めた。
長峡仁衛が体を起こす。
時間は、僅か三十秒ほどに満たない。
その間で、周囲の人間は、長峡仁衛が死んだ事によって暴走した畏霊に対処を行いつつあった。
「…よし」
長峡仁衛は立ち上がる。
胸元の血は止まっている、霊山禊の解呪によって、治った。
地面を強く踏みしめて、長峡仁衛は銀鏡小綿の元へと走り出す。
「今いく、小綿ッ」
長峡仁衛が、走り出す。
距離は遠い、神胤を放出して、一気に駆け抜けようとする。
だが、長峡仁衛の前に立ち塞がるは、老獪が一体。
「いい加減にしろ、長峡仁衛ッ!」
その言葉と共に、霊山蘭は拳を構える。
「これ以上、貴様を、霊山家の者を、消すワケには行かんッ、踏み止まらぬのならば、生涯自由に歩けぬ体にしてくれるッ!!」
霊山蘭の静止の声にも、長峡仁衛は聞かずに走り続ける。
「悪い、爺さん、迷惑をかける、通してくれッ!!」
「通さんと言っておるだろうがァ!!」
長峡仁衛に向けて地面を蹴り接近する霊山蘭。
その手が、長峡仁衛に触れる直前、霊山蘭は殺気を感じた。
長峡仁衛ではない、彼は、霊山蘭を憎んではいない。
では誰か、それは…本来、長峡仁衛との契約が破棄された状態だろう。
万を切り裂く刃の畏霊が、長峡仁衛の道を切り開く。
「ッ『斬神斬人』!?」
長峡仁衛との契約は無い。
最早式神ではなく、畏霊として存在する。
それでも、この一瞬で。
術式の契約がなくとも、『斬神斬人』は、長峡仁衛を主として認めたのだろう。
霊山蘭を止める『斬神斬人』。
長峡仁衛は、二人を通り過ぎて、走り出す。
距離が近づく。
彼女との距離は中盤に差し迫った時。
長峡仁衛の前に、黄金ヶ丘クインが前に出ている。
無論、長峡仁衛を止める為だろう。
彼女を前に、長峡仁衛は歩みを止める。
黄金ヶ丘クインと対峙して、長峡仁衛との会話を試みる。
「兄様…私は、兄様の命が大事です」
「知ってる、だから、お前は俺の前に立ってるんだろ?」
「兄様、私は、銀鏡小綿が、嫌いです」
「知ってる…だけど、俺を止める理由は、そうじゃないんだろ?」
彼女を見通す様に、長峡仁衛は言う。
彼女が、長峡仁衛を見ていた様に、長峡仁衛も、黄金ヶ丘クインを見ていた。
「兄様、…私は、兄様を愛しています」
「知って…は?」
だが、それだけはどうにも、鈍かったらしい。
鈍感、というワケではないが、彼女の好感も、傍から見れば、分かり切った様子だった。
「兄様、此処で、もう、止めましょう、私だったら、兄様を、幸せに出来ます。おいしい食事も、生涯を七度も暮らせる裕福を、貴方の為に、尽くすこの体も、すべて、兄様の為に」
張り付いた笑み、黄金ヶ丘クインの言葉に、彼女は自分自身の首を絞めていく。
彼女自身、理解しているのだ。この程度の交渉で、長峡仁衛が揺らぐ筈が無い、揺らいではならない。
彼女が愛した男ならば、彼女の言葉に首を縦に振る筈が無い。
それがわかっていたから、彼女は苦しいのだ。
「…美味しい食事じゃなくても、贅沢な暮らしじゃなくても、まあ、けど。お前が俺の為にって言うのは、素敵だな…だけどごめんな。それでも俺は、小綿を離したくないから」
そうだ。
長峡仁衛は、彼女の気持ちを汲んで傷つけぬ様に言う。
その解答を聞いた黄金ヶ丘クインは、涙を流して顔を俯ける。
「えぇ…知ってますわ。それが、兄様ですもの」
黄金ヶ丘クインの前を横切ろうとする長峡仁衛。
彼女は振り向き、長峡仁衛の肩を掴んで振り返らせると、顔を、長峡仁衛に近づけた。
口先が、長峡仁衛に触れようとした。
だが…彼女は、離れていく。
「…一つ、訂正を」
黄金ヶ丘クインは、長峡仁衛に言う。
「私は、少しだけ、銀鏡さんが、好きです」
長峡仁衛の傷を癒してくれた銀鏡小綿。
其処に、銀鏡小綿に嫉妬し、執念を燃やす反面。
長峡仁衛を助けてくれた、傷を癒してくれた、銀鏡小綿に感謝をしていた。
この状況で、黄金ヶ丘クインは気が付いた。
それによって、もはや、彼女を恨む感情など消え失せていた。
「だから、知ってる」
その言葉を最後に、長峡仁衛は黄金ヶ丘クインから離れていく。
長峡仁衛の背を見続ける。
段々と小さくなっていく長峡仁衛に、彼女は手を伸ばす。
「お幸せに、兄様」
そう呟き、彼女に迫りくる、畏霊の方に顔を向ける。
「さあ…」
彼女の神胤が滾る。
長峡仁衛と、銀鏡小綿が戻る道を作る為に、奮起する。
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