侵入


「(じんさん)」


銀鏡小綿は長峡仁衛を想う。

あの時、肉体の疲弊によって彼を追う事が出来なかった。

それが幸いして、霊山禊は、銀鏡小綿を敵視する事は無く、その場から離脱。

長峡仁衛は自分のものだと思っていたが故に、他の方面には意識を向ける事は無かった様子だ。

だから、銀鏡小綿は生かされている。

その事実が、彼女の中で猛烈に、怒りを帯びて、殺意と言う感情を湧き上がらせた。


「(私の、母の、じんさんを、ただひとつ、他の誰でも無い、唯一を、じんさんを…あの様な顔にさせて…そして、私の元から、なんて…あぁ、これが、これが…腸が煮えかえる、という事なのですか)」


銀鏡小綿は、此処まで誰かを憎む事は無かった。

長峡仁衛が霊山家の連中からいじめられても、長峡仁衛が大丈夫だと言ったから、彼女は怒りを覚えても、それ以上の感情を持ち合わせる事無く、長峡仁衛の為に慈愛と奉仕に感情を注いだ。


長峡仁衛と言う受け皿が無くなった以上、彼女は、その感情が溢れてしまい、どうしようも無かった。


ギラギラと燃え盛る炎の様に、銀鏡小綿の中には、男を奪った女に対する執念が燃え盛っている。


「(私の『道理』ですら、あの女性に上塗りされてしまった…であれば、それ以上の術式を使い対抗する他ありません…転生術式、奥義中の秘奥義…〈真我万象〉を)」


転生術式には、段階が存在する。

初期段階である〈自我継承じがけいしょう〉。転生術式を所持した術者が発動する事で、前世の自身の技能や経験を引き継ぐ事が出来る。

第二段階である〈唯我顕彰ゆいがけんしょう〉は前世の肉体の一部と、生前使用した記憶に残る武器や現象を引き出し、それを己の力として誇示する術式。


その他にも、世界そのものを空間に転生させる『道理』の他、己の魂を物質として引き出す事が出来る〈無我結晶むがけっしょう〉などが存在する。


銀鏡小綿が使用しようとしている転生術式、最終段階に至る〈真我万象しんがばんしょう〉。

それは、前世の己を、この世界に完全顕現する事が出来ると言うもの。

自身の存在を希釈し、前世の己へと変動させる。


そうすれば、前世の力を十全に引き出す事が出来る。

転生術式の真髄。しかし、その術式を使ったとすれば、デメリットも生じる。


「(…もしも、これを使用すれば…私は、もう、人間には戻れない)」


それこそがデメリット。

例外を除き、〈真我万象〉によって転生した術師は、魂によって肉体が書き換えられてしまう。

故に、一度前世の己を転生させてしまうと、二度と戻る事は出来なくなる。


少なくとも、長峡仁衛が知る銀鏡小綿の姿は無くなってしまうのだ。


「(じんさんが、生きてくれるのなら…私は、この世を去る準備は出来ています)」


覚悟は十分だった。

銀鏡小綿は、秘奥義を使う意志を以て、霊山家へと向かっていた。


彼女の歩みに対して、車道から光が溢れ出す。

彼女の姿を映し出して、影が地面に長く伸び出すと、扉を開けて出て来たのは黄金ヶ丘クインだった。


「銀鏡さん、兄様は、…」


銀鏡小綿の方を見ながら、彼女は言った。

銀鏡小綿は、彼女の方を見詰めながら、彼女に伺う。


「黄金ヶ丘さん…どうして此処が分かったのですか?」


幾ら、長峡仁衛と銀鏡小綿が、黄金ヶ丘家に向けて帰る道のりだとしても、そう簡単には見つからない筈だ。

まさか、ピンポイントで、此処に現れるとは、銀鏡小綿は思っていなかった。


「奈波市は私の庭ですもの…監視カメラなんて、至る所に付いてます…ですが、何故か、画面が映されて無かったので…」


黄金ヶ丘クインの屋敷のモニタールームには、町中の至る箇所に設置した監視カメラの情報が集っている。

更に、彼女の術式によって、彼女の脳と連動している為に、何か異常が起これば、頭痛として彼女の脳裏にエラー音が響くのだ。


そこで、黄金ヶ丘クインは、銀鏡小綿と長峡仁衛が映し出された監視カメラを確認。

突如、カメラが暗転してしまった為に、異常だと思って、銀鏡小綿が居た場所へと、車を向かわせたのだ。


「それで、兄様は?」


黄金ヶ丘の言葉に、銀鏡小綿は答える。


「じんさんは、連れてさられました。あれは、霊山家ですが、それではありません」


彼女の言葉に、黄金ヶ丘クインは首を傾げる。


「それは、どういう意味です?」


「…じんさんを連れ去った人間。その肉体は、じんさんの本当の母親である霊山禊様です、ですが。その魂は違う。…あれは、昔一度、感じた事があるもの。何より黒く、邪悪な波動に包まれた魂…推測ではありますが、あれは『不従万神』と言った所でしょうか」


『不従万神』と言う言葉に黄金ヶ丘クインは声を出そうとして、咄嗟の所で殺す。


「…確証はあるのですか?『不従万神』など」


「私の眼がそうであると告げていますので…間違いはありますが、それでも、確かではあります」


推測、から、確信に変わる銀鏡小綿。

転生者は稀に、その魂のカタチを見る事が出来る先天的能力を持つものが居る。

銀鏡小綿は、極限の状態で無ければ、その力を発揮する事は出来ないが、『外法』を扱う者がいるとすれば『不従万神』くらいしか居ないだろう。


「では…私は、行きます」


「行きますって…一体、どちらに行かれるおつもりで?」


彼女の言葉に、銀鏡小綿は当たり前の様に言う。


「勿論。じんさんの元です。元より、私にはじんさんしか、道は無いのです」


そう告げて、銀鏡小綿は歩き出した。


銀鏡小綿の歩きに対して、歩道側から黒塗りの高級車がゆっくりと移動している。

窓を開けて、銀鏡小綿を眺める黄金ヶ丘クインは、苛立ちながら彼女の歩行を見ている。


彼女は前を向いて歩き続けているので、黄金ヶ丘クインの方に顔を向ける事は無かったから、黄金ヶ丘クインは根負けする様に銀鏡小綿に声を掛ける。


「ねえ?乗らないのかしら?」


その様に声を掛けると、其処で銀鏡小綿は初めて、黄金ヶ丘クインの方に顔を向ける。


「…黄金ヶ丘さん。何かご用ですか?」


その言葉に、黄金ヶ丘クインは軽く息を吐いた。

彼女とは、どうにもそりが合わない。

それもそうだ。


銀鏡小綿は、黄金ヶ丘クインに取って、自分の大切な人を奪い、あまつさえ、傷ついた心を癒した人間である。

幼少の頃に長峡仁衛が黄金ヶ丘邸へと引き取られた際、黄金ヶ丘クインは長峡仁衛を兄の様に慕っていた。

そして、彼の心の傷を癒す為に、黄金ヶ丘クインは尽力した。

彼が霊山家へと戻った後でも、長峡仁衛を黄金ヶ丘邸へと戻す為に、努力を続けて来たのだ。

それなのに、長峡仁衛は、既に立ち直り、その原因は、銀鏡小綿に他ならない。


彼女がずっと傍に居てくれたからこそ、生涯まで引き摺る様な心の傷が癒されたのだ。

黄金ヶ丘クインが、ずっと。長峡仁衛を癒したいと思っていたのに、それは全て、無駄に終わってしまった。

気に入らないのだ、黄金ヶ丘クインは、銀鏡小綿を。

それでも。


「貴方が大切な人は、私だって大切な人、急ぐのなら、車の方が早いでしょうに…早くしなさい。助けたいのでしょう?兄様を」


「…そう、です。そうです、私は、じんさんを、助けに行かなければ、なりません」


銀鏡小綿は、首を縦に振って、車に乗車すると、黄金ヶ丘クインの隣に座る。


「ありがとうございます、黄金ヶ丘さん」


感謝の言葉を伝える銀鏡小綿に、黄金ヶ丘クインはそっぽを向いた。

別に、感謝をされる程の中ではない。

何故ならば、銀鏡小綿は長峡仁衛を奪ったのだ。敵である、だから、敵とは慣れ合う気など無い。

けれど…彼女を連れて行かなければ、きっと、長峡仁衛は悲しむだろうと、黄金ヶ丘は思っていた。


「(この感情を、感付いては、ならない…その感情の意味を理解すれば…私はきっと)」


きっと。

後悔するだろう。

きっと。

大声で泣き出してしまうだろう。

今はまだ、その感情を、思いを、名前の無いナニカで通しておかなければならない。

でなければ、黄金ヶ丘クインは、銀鏡小綿に募らせる感情全てが意味のないものに変わってしまうと確信していたからだ。


銀鏡小綿と黄金ヶ丘クインが霊山家へと到着する。

そして、霊山家の在住する白純大社へと足を踏み入れる三人。

すると、二人の姿を確認した霊山家の祓ヰ師たちが、彼女たちを取り囲む。


「黄金ヶ丘家の、何がご用ですか?」


その中から、霊山雪継が出て来ると、三人に話を伺う。


「じんさんを、返してください」


その様に答える銀鏡小綿。

霊山雪継は、銀鏡小綿を見詰めて、首を傾げる。


「仰る意味が分かりません、既に、長峡仁衛は解放されている筈ですが?」


その言葉に、銀鏡小綿は祓ヰ師たちが銀鏡小綿を囲っているのにも関わらず、前に体を出して、霊山家の屋敷の方へと向かおうとした。


「貴方がたには聞いては居ません…出さないと言うのであれば、容赦はしません」


その様に呟いたと共に、銀鏡小綿は庭間の奥に設置された地下通路に続く道に顔を向ける。

其処は、隠されていたが、銀鏡小綿は血痕を見詰めている。

長峡仁衛の四肢が切断された事によって、長峡仁衛の切断面から漏れた血が、足跡を築いていた。


「退いて下さい、貴方がたに用はありません」


足跡を辿る銀鏡小綿。

しかし、それを良しとしない霊山家の人間が、銀鏡小綿の邪魔をする。


「此処は通せません、貴方がたは、既に部外者なのです。その部外者を通すわけには行きません」


霊山雪継の言葉。

銀鏡小綿が何か言おうとしたと同時、彼女の後ろから紫電が発生する。


「貴方の言い分は了承しましたが…私もまた、言わせて頂きます…兄様を奪っておいて、それ以上の言い訳は、堪忍袋の緒が切れそうです」


冷めた表情を浮かべながら、黄金ヶ丘クインの頭部から角が出現する。

既に戦闘態勢に移る黄金ヶ丘クインに、祓ヰ師たちは警戒する。


「先に行きなさい、銀鏡さん」


銀鏡小綿を優先して、黄金ヶ丘クインが言う。


「…ありがとうございます、黄金ヶ丘さん」


感謝の言葉を告げると共に、銀鏡小綿が無限廻廊に続く地下通路の階段へと向かう。


「良いのですか?お嬢様」


辰喰ロロが、去り行く銀鏡小綿を見ながら言う。


「言い訳ないでしょう…敵に塩を送る様な真似をしているのですから」


だが、彼女には判っている。

この先は、自分よりも、銀鏡小綿の方が適任であると。

ほんのりと、頭の片隅に浮かぶ言葉を、間違いを発見したテストの答案用紙に消しゴムをかける様に忘れると、黄金ヶ丘クインは、祓ヰ師たちに、地面から引きずり出した砂鉄を形成して、一振の刀へと変える。


「巻き込まれたくなければ下がっていなさい」


その様に、彼らに最後の慈悲を与えたつもりだった。

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