守護


混濁とする意識の最中。

まるで、体が深海へと沈んでいく様に、体が重たくなる。

段々と沈んでいく体、下に落ちてしまえば、不味いと思ったのだろう。

長峡仁衛は、もがき始めた。

何故か残っている腕を振り乱しながら、長峡仁衛が空気を目指した時。


彼の体を掴む手が伸びた。

その手に掴まれて、長峡仁衛は浮上する。

空気が肺を満たしていく、長峡仁衛は深呼吸を繰り返して、周囲を見回した。


「ここは…」


何時か、来たことがあるような景色だった。

青い空と茶色の地面を繋ぐように、地面から生えた鎖が天を留めている。


「仁衛」


長峡仁衛は呼ばれて振り返る。

白い髪に、白濁の瞳が、長峡仁衛を見ていた。

其所には霊山禊がいた。

彼女の姿を見て驚愕したが、即座に、長峡仁衛は納得する。


「あんたは、いや、そうか、じゃあ、あんた」


彼女は霊山禊だ。

しかし、長峡仁衛を傷つけた霊山禊ではなかった。

むしろ、彼女こそが、霊山禊、本人なのだろう。

彼女は頷く。


「えぇ、私は、…霊山禊。貴方の母親だった人間です

今は、私は、貴方の母親などと、名乗れる資格は、ありません。ずっと、ずっと謝りたかった…」


目を臥せて、霊山禊は頭を下げた。


「ごめんなさい、私があれを、制御出来ていれは、貴方は、こんなにも苦しい思いをしなくても良かったのにっ」


謝罪をする霊山禊。

長峡仁衛は、彼女の姿に、恐怖など感じなかった。


「…そうか、なんとなく思い出したよ。俺に暴力を振るっていたのは、あいつ、だったのか」


記憶を巡らす。

彼に暴力を振るっていたのは、彼女ではない。


「『不従万神』、私が討伐して、体に宿っていた禍憑まがつきです」


霊山禊に憑いていた『不従万神』。

それが、あの霊山禊の正体だった。


「神を封じ、その力を使役しようとしていた訳ではありません、ただ…私は、あの神に同情してしまった、それが良くなかったのです」


淡々と己の罪を口にする霊山禊。


「私と同じ人間を愛した…八峡義弥、あれは、あの人を追い続けている、そして、その代替品として、貴方を愛していた…同じ、彼の遺伝子を持つが故に」


長峡仁衛の父親。

八峡義弥の残影を追い続け、そして握ったのが長峡仁衛だったのだ。


「私の精神を侵蝕し、肉体を乗っ取ろうとした、けれど私は、意識のある内に神との分離を行った…成功はしましたが、それがいけなかった」


一度は、神との解離が出来たらしいが。

その後が、問題であったのだと、霊山禊は言った。

その問題とは、なんであるのか、長峡仁衛は喉を鳴らした。


「霊山柩…私の、年の離れた妹に、神が憑いたのです」


彼女が死んだ原因。

それが、霊山柩に関連していた。

霊山禊は、会話を進めていく。


「歳の離れた姉を慕い、私の様に成りたいと思っていた。私が剥離した『不従万神』を、私が所有する霊庫に封じ込めた、決して誰にも取り出す事の無い様に…」


霊山禊が持つ霊庫には結界が敷かれていた。

人が入る事が出来ない、畏霊が放つ瘴気を最大面に展開させ、人に忌避感を覚えさせる。

『祓巫女』である霊山禊で無ければ、足を踏み入れる事は出来ないだろう。

だが、霊山柩は、その中へと侵入して、匣を手に入れた。


「けれど、あの子は、私も知らず、術式を開花していた…屍を操る力を、それを使い、人が入る事の出来ない霊庫へと入り、神を封じた匣に手を出した」


〈封緘術式・棺〉

屍を操る術式を使い、霊庫へと入った。

人間が忌避する空間内、死んだ生物ならば、中に入っても影響は無いのだ。

だから、霊山柩は死んだ動物でも使用して、霊庫へと入らせて、匣を奪ったのだろう。


「運命というものなのでしょう…私が神を封じた即に、妹は神に体を乗っ取られてしまった。私がそれに気が付かなかったのは…ただ、貴方に謝りたい一心だったから…」


ただ、人であろうとした。

神に体を使われて、長峡仁衛に暴力を加える日々。

それをどうにかしたくて、彼女は『不従万神』との乖離、封印する事に尽力した。

真っ白な体になって、長峡仁衛に謝りたかったのだ。

だから、神を封じた時、霊山禊は浮かれてしまった。

だから、妹が神に呪われた事に気が付かなかった。


「そして、事件が起きた。私を殺して、貴方を独り占めしようとしたのです」


あの夜。

燃え盛る我が家、霊山禊が死んだ日。

その原因が、霊山柩…神である事。

しかし、長峡仁衛の記憶は違う。

彼女、銀鏡小綿が口にした内容と食い違っている。


「…あんたを殺したのは、小綿だった筈だ。矛盾している」


銀鏡小綿が、長峡仁衛の母親である霊山禊を殺害した。

その悔いを覚えていた銀鏡小綿は、長峡仁衛の母親としてその役割を得たのだ。

だがそれは違うと、霊山禊は首を振る。


「いいえ…彼女はそれを覚えていないだけでしょう。むしろ、貴方を妹の手から救ったのが、彼女なのですから」


長峡仁衛は驚いた。

銀鏡小綿が、長峡仁衛を救ったのだと、そう言われて。


「幼い身でありながら、転生術式、〈唯我顕彰〉を使い、『不従万神』を撃退した…あの子は、世界そのものを壊した転生者…彼女が貴方を守り続けたから、『不従万神』は貴方に手を出す事は出来なかった」


世界そのものである『不従万神』。

その世界を崩壊する事が出来た銀鏡小綿。

真面に戦えば、負けるのは『不従万神』であると、悟ったのだろう。

だから、それ以上の追撃はせずに、逃げ出した。

銀鏡小綿が居てくれたから、長峡仁衛は、『不従万神』に手を出される事は無かったのだ。


「不完全な状態だった『不従万神』は、何れ、『無限廻廊』に眠る私の体を欲した。あれが全力を出せるとすれば、私の体以外には在り得ないから…だけど、無限廻廊は座の試練」


『不従万神』は、また別の力を欲した。

それは、霊山禊の体。

彼女の体を手に入れる事が出来れば、慣れ親しんだ体であれば、力を十全に奮えると思ったのだろう。

霊山柩の体は隠れ蓑として最適だった。まだ自我が形成される前の年齢なのだから、『不従万神』として性格面を出しても、怪しまれる事は無い。

ただその代わり、肉体が不十分であり、全力を出す事が出来ない。

それでも、肉体が『不従万神』に慣れる為に、色々と駆使した様子だ。

結果的に、霊山禊は武術面は最強と言う具合となった。


それでも足りない。

『不従万神』は、霊山禊の体を欲した。


「お父様が開かぬ限りは、無限廻廊へと続く道は現れない。だから、『不従万神』は待ち続けた、扉が開くまで、ずっと…」


霊山蘭が作り出す無限廻廊は、次期当主候補が集い、座を受け継ぐ試練の会場。

自身が衰え、座の交代を認識するまでは、開く事は無かった。

だから、この年齢になるまで、『不従万神』は大した行動に移らなかった。


「そして、現在に至ります。『不従万神』は私の体を使い、全盛期を迎えています」


無限廻廊にて、彼女が用意した複数のプラン。

その内の一つが、無限廻廊に葬送された霊山禊の体を奪う事だった。

全ての顛末を耳にした長峡仁衛、霊山禊は、長峡仁衛を見て、深々と頭を下げる。


「…私が、いくら謝っても謝る事は出来ない、それでも、貴方には、謝らなければ…あの?」


顔を挙げて、長峡仁衛の顔を見る。

彼は、恥ずかしそうに顔を染めながら、嬉しそうにしていた。


「え?あぁ」


これを言うのは、なんとなく、恥ずかしいとは思っている。

けれど、此処は言わなければならないだろう。

長峡仁衛にとって、この状況、この話は、とても嬉しい事であったから。


「いや、なんつーか。ずっと俺の事を、小綿が守ってくれたって」


長峡仁衛が生きてこれたのは。

不従万神から、魔の手を救ってくれたのは、銀鏡小綿だ。


「うわ、それなんか、スゲェ、嬉しいって思って…あぁ、俺は、小綿に生かされて来たんだなって思うと…ははっ」


長峡仁衛は、銀鏡小綿が傍に居たから生きて来れた。

その事実が、たまらなく嬉しいのだろう。


「俺の人生、もう小綿のモンじゃないすか、これ」


長峡仁衛の笑みに、霊山禊は、儚げに笑う。


「余程、好きなのですね。…彼女の事を」


大切な人が居てくれると言う事実。

それを言われた長峡仁衛は二つ返事で肯定する。


「そりゃあ…長年、俺の傍に居てくれた」


彼女との思い出。

胸に刻まれた忘れる事の無い日々。

辛い時も苦しい時も悲しい時も、離れる事無く長峡仁衛の傍に居てくれた銀鏡小綿を想う。


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