追放

その姿を、長峡仁衛は認識した時。

長峡仁衛は吐気を催した。


「っう、ぐッ」


口元を抑えて膝を突く。

銀鏡小綿が、長峡仁衛を心配して、体を支える。


「じんさん、大丈夫ですか?」


長峡仁衛は、安らぎを求める様に、彼女の肩を掴む。

その行動が癪に障ったのか…霊山禊はつまらなさそうな顔をすると共に、指を振る。

即座に、神胤の流れを認識した長峡仁衛は、銀鏡小綿を突き飛ばす。

同時、銀鏡小綿が居た場所に、長峡仁衛の腕が伸びていて…長峡仁衛の腕が吹き飛ぶ。


「が、ァあああッ!!」


長峡仁衛は悶えながら、その様に叫ぶ。

長峡仁衛の腕がその場に消えて、即座に、霊山禊の手に、長峡仁衛の腕が出現した。


「『八峡』さま、八峡さまぁ…」


嬉しそうに、霊山禊は切断した長峡仁衛の指先を舐める。

喉奥に咥え込んで、発情している猿の様に興奮していた。


「はッ…くッ」


長峡仁衛は脂汗を流しながら、霊山禊の姿を認識する。

銀鏡小綿は、長峡仁衛を傷つけられた事で憤慨した。


「ッ…〈唯我顕彰〉、〈銀月しらづき〉ッ」


その言葉と共に、銀鏡小綿の背中から鋼鉄の翼が生える。

手を真横に伸ばすと、連動する様に、彼女の背中に生える翼が伸びる。

翼の羽根、その先端から、青白い光球が複数浮かぶと共に、霊山禊に向けて放たれる。

超高温を宿す光球は一線となって、霊山禊を穿とうとした。

だが、周囲に居た鎖を付けられた祓ヰ師たちが、霊山禊の代わりに受ける。

皮膚や肉を裂き、血液を蒸発させ、煙が溢れる。


「(ッ、盾にしたのですかッ)」


銀鏡小綿は、霊山禊を睨みながら、長峡仁衛の肩を掴む。

長峡仁衛は体を起こして、銀鏡小綿に縋る。


「逃げよう、小綿」


長峡仁衛はそう言って、銀鏡小綿と共に逃げようとした。

腕を失ったが仕方が無い。長峡仁衛は、自らの腕に見切りを付けてその場から逃げようとする。


だが、霊山禊はそれを許さない。

肉体から漏れ出す、黒い神胤。

それが、世界を侵蝕していき、長峡仁衛と、銀鏡小綿を逃がさない。


「(黒い神胤、いや…これは、そうか、お前は)」


長峡仁衛は、霊山禊を見て、あの時の、霊山新の言葉を思い出す。

世界を侵蝕する事が出来る術師は極めて稀。

畏霊ならば、世界を侵蝕する術式ではなく、世界の狭間に異世界を作る。

世界そのものを喰らい自らの領土にする事が出来る存在が居るとすれば。


「『不従万神まつろわぬかみ』」


長峡仁衛は、霊山禊を見て…そして、その中に眠る正体を突き止めた。

不従万神まつろわぬかみ』。

神々から追放された神が、天から地へ堕ち、人の穢れを受けた邪なる神。

それが、霊山禊の正体だった。


『不従万神』。

世界を侵蝕させる『外法』を扱う世界と同等の存在。

霊山禊の肉体に宿るその神が使う『外法』。


「〈天障あまつつみ邦障くにつつみ許許太久ここだく罪出天武つみいでむ禁厭まじない不穢堺けがれずのさかい〉」


遍く外界の全てを遮る神の領域。

その内に入ったものは決して出る事が出来ない境界。

其処に、長峡仁衛と銀鏡小綿は閉じ込められた。


「〈針身道・械律の理ッ―――『殲機戰戦せんきせんせん』ッ!〉」


だが、世界を侵蝕し、自らの世界を生み出す『外法』ならば。

その威力を半減させる為の力を、銀鏡小綿は宿している。

『世界』を侵蝕させる『外法』ならば、その『世界』の上に『道理』を敷く。


言わば上塗り、黒色に塗られた絵具に、その上から銀色の絵具で塗り潰す。

だが、それは人であれば容易である行為…神の世界に、転生者が叶う事は難しい。

銀鏡小綿の道理では、相手の『外法』の性能を半減させ、『外法』の穴を作る事しか出来ない。


彼女の力は、霊山禊の力を押し留めるだけで精一杯だった。


「じん、さんッ、早く、脱出、をッ」


銀鏡小綿は、どうにかして、長峡仁衛を逃そうとする。

長峡仁衛は、彼女の苦しむ姿を見て、歯軋りをした。

霊山禊の方を見る、長峡仁衛のトラウマが刺激される。

恐怖によって長峡仁衛の体は震えるが、それを怒りと憎しみを以て無理矢理打ち消す。


「〈封緘術式、戯〉ッ!」


長峡仁衛は術式を発動する。

現状では、長峡仁衛が『外法』から逃れる術は一つのみ。

外法を作り出す、霊山禊を倒す事だけだ。


「(『不従万神』なら、『斬神斬人』ッ!)」


嘗て、神を斬り殺した事があるとされる逸話を持つ『斬神斬人』。

長峡仁衛の実力では、この式神を使いこなす事は出来ない。


それでも、現状、霊山禊を殺す事が出来る式神は、『斬神斬人』しか居なかった。


「いけッ!!」


長峡仁衛が、着物を着込んだ剣豪に命令する。

制限を掛ける事で、長峡仁衛は『斬神斬人』に数秒だけの命令権を行使出来る。


「〈封緘術式〉」


霊山禊も、術式を使用する。

自らの術式、〈封緘術式・禊〉…ではない。


「〈ひとま〉」


「ッ!?」


その言葉と共に、霊山柩の手に、黒い百科事典の様な書物が出現する。

それを開くと共に、霊山禊は声を漏らす。


「懲役千五百四十年、咎在とがつき…『切々丸きりぎりまる』」


その言葉と共に、霊山禊の前に、式神が召喚された。

両手に刃を握り締める剣士が出現すると共に、『斬神斬人』と鍔迫り合いを行う。


「…、霊山、勅久の、術式、だと?」


長峡仁衛は蒼褪めた。

その術式は、あの霊山蘭が次期当主候補として認めた霊山勅久の術式を使役したのだ。


「ッ」


『斬神斬人』の制限が超過する。

それに伴い、長峡仁衛の式神が消えると同時、霊山禊が召喚した式神が長峡仁衛に向かい、剣を振った、それによって、長峡仁衛の四肢が切断される。


「あ…ぁッ!じ、じィッじんさッ!!」


銀鏡小綿が表情を崩す。

長峡仁衛の惨状を見て、精神が崩壊しそうになっていた。


「あッがああッ!」


地面に転がる長峡仁衛は、痛みに悶えながら、噴き出る血をどうにかして止めなければならない。

自らの肉体から漏れる神胤を操作して、切断した手足の部分に、何とか血脈を覆い込む様にして、血を止める。


「はぁッ、はッ」


息を漏らす、長峡仁衛、意識が歪んでいる。

どれ程、治療をしても、彼の肉体からは、血が足りなくなっていた。


「(もど、れ、戻らな、いと、もッ、こ、小綿ッ)」


意識が朦朧としていて、長峡仁衛の記憶は混濁とする。


「(お、れは、俺、は、戻って、こわ、たに、と、一緒、に、出掛け、たの、楽しみ、に、して、もろ、戻、ら、もどらな、いと、あ。あ?)」


長峡仁衛は、歩きたくても、歩けない。

足が切断されて、動く事が出来ない。


長峡仁衛は、手を伸ばしても、伸ばす事が出来ない。

両腕が千切れて、銀鏡小綿に、触れる事が出来ない。


「なん、で…なんで、こんな…腕が、無いと…無い、と」


泣き崩れる銀鏡小綿の顔を見る。

長峡仁衛の惨状を、苦痛を覚えながら、銀鏡小綿は泣いていた。

自分が傷ついた事よりも…長峡仁衛は、銀鏡小綿が泣く方が苦しく思ってしまう。


早く、傍に行って、慰めなければ、そう思っているのに、体が言う事を聞かない。

長峡仁衛は感情がぐちゃぐちゃになりながら、苦悶を声にして漏らした。


「なんで、俺の腕が無いんだよぉぉ…小綿ぁぁ…」


彼女の涙を拭う事が出来ない。

そんな絶望を覚える長峡仁衛に、霊山禊が近づく。

四肢を無くした長峡仁衛を、彼女は抱き締めて、声を漏らす。


「やっと、やっと、私、私だけの、もの、八峡さま、八峡、八峡さまっ、あぁ、幸せ、これが幸せ、そうでしょう?そうでしょう、八峡さま、私も、貴方も、幸せでしょう?ね?ねぇ?」


美麗な顔を狂喜に歪ませる。

その表情を見て、長峡仁衛の忘れていた記憶が呼び起こされる。

…このまま、彼女を刺激させてはならない。

長峡仁衛は、苦痛を浮かばせて、恐怖に怯えて、それでも、彼女を…銀鏡小綿を守る為に。


「あぁ…あぁ、そう、だな、そうだよ、幸せ、だ…幸せ、なんだ、これが、だから、二人で、一緒に、いよう、な?なぁ?」


その言葉に、霊山禊は満足して、長峡仁衛を強く抱き締める。

外法が解かれる、地面に倒れて、息を荒げる銀鏡小綿。


「じん、さん…」


長峡仁衛を見詰める銀鏡小綿。

霊山禊に抱かれる長峡仁衛は、銀鏡小綿に、涙を流しながら笑みを浮かべた。


「ごめんな、小綿…また、」


霊山禊は、銀鏡小綿を捨て置き、長峡仁衛を連れて、その場から立ち去った。



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