支配


早朝。

長峡仁衛を呼ぶ声が部屋の中にかすかに聞こえてきた。


「じんさん、おはようございます。朝ですよ」


優しげな口調で長峡仁衛を愛称で呼びながら体を揺さぶる。

長峡仁衛はその声に対して懐かしく感じながら眠たい瞳をゆっくりと開いた。


目を開けると、其処には、銀鏡小綿がベッドに座っている。

衣服は、素肌に、長峡仁衛が着込んでいたシャツを着ていた。

ベッドの周囲には、彼らの衣類が脱ぎ捨てられている。

長峡仁衛を起こしてくれた銀鏡小綿は。彼の眠たそうな顔を見て挨拶を交わす。


「改めて…おはようございます、じんさん」


そう言って彼女の真っ白な肌はほんのりと赤色に紅潮していた。

その表情は長峡仁衛が今まで見てきた機械的な表情をする彼女とは違っていた。

昔は、動き出した人形が人間のように振舞っていた様な感覚があった。

けれど、現在では、彼女が人形のふりを止めた様な感じだった。


「何でしょうか…じんさんを起こすのは当たり前の事なのですが、何故か、少しだけ…気恥ずかしいと思います」


彼女はそう言って目を細めた。

彼女が恥ずかしがっている表情が中々に新鮮で、長峡仁衛はふと笑ってしまう。

その笑い声に反応した銀鏡小綿はなぜ笑っているのか長峡仁衛に問いかけた。


「なぜ笑うのですか?じんさん」


長峡仁衛が布団を剥いで銀鏡小綿にゆっくりと体を伸ばす。


「俺もそうだからだよ、でも…もうそんな事を考えなくても良いんだ」


彼女を、自らの寝ているベッドの上に倒す。

寝転ぶ二人。

視線が重なっていた。

彼女は心臓を高鳴らせながら長峡仁衛に言った。


「じんさん。駄目です、寝てしまったら学校に遅れてしまいますよ?」


そのように言って長峡仁衛と添い寝することを止めようとする銀鏡小綿だったが長峡仁衛はそんな彼女の腰元に手を回して起こさないようにする。


「今日はもう二人でサボろう、今日はどうにも眠たくて仕方がないし」


「あ…駄目、駄目です…学生の本分は勉強ですよ?それを疎かにしてしまうなんて…」


そうは言う、がしかし彼女は長峡仁衛を拒むような力は出してはいなかった。

彼の力に対して、抵抗しては見せるものの、完全に彼を振り切ろうとはしていない。


長峡仁衛もそれを知っているのか。

二人は一緒になってベッドの上で眠れそうになった時。


「どんどんどーんッ!どんどんどぉーん!!」


長峡仁衛の家室の扉に猛烈にノックの嵐が訪れた。


「あわッ?!」


「きゃっ!」


その音に二人は驚いてベッドから這い上がる。

そして長峡仁衛は扉を開くと、其処には黄金ヶ丘クインが仁王立ちしていた。


「ひィ」


思わず、彼女の姿に長峡仁衛は声を漏らす。

彼女の表情は笑っていたがしかし彼女の額には青筋が浮かんでいた。

にこやかな笑みを浮かべている黄金ヶ丘クインは長峡仁衛に対して怒りを抑えた声色で話し掛ける。


「昨晩は随分とお楽しみでしたね、兄様。さて…つかぬ事をお聞きしますが。本日のご予定は一体どうなっているのでしょうか?まさか何度も遅刻をするなどないですよね?」


その表情に長峡仁衛は苦笑いで対応する。

どうやら彼女は昨晩のことを既に知っていた様子だった。


黄金ヶ丘クインが部屋から出た時。

嵐の様に、長峡仁衛と銀鏡小綿の行動は疾風迅雷だった。


「急げ急げッ」


長峡仁衛は急いで学校に行くための準備をする。

銀鏡小綿は長峡仁衛が降りてくるまでに食堂へと向かい簡単な朝食を作った。

学生服に着替えた長峡仁衛は自分の部屋から飛び出てエントランスホールと向かう。

そこには黄金ヶ丘クインと辰喰ロロが立っていた。


「兄様、申し訳ありませんが私達は先に向かいます」


「だから送迎は出来ないが…良いよな?」


黄金ヶ丘クインは怒っている風にそう言った。

辰喰ロロも仕方なしと言った具合だ。


「あぁ、分かった」


長峡仁衛も今回の事に関しては彼女の決めた事に対してただ頷く他無かった。


「戸締りはしなくても良いので、安全に登校して下さいね」


「わ、分かった」


黄金ヶ丘クインと辰喰ロロが、先に外へと繰り出した。


「じんさん、ごはんです」


食堂には銀鏡小綿が長峡仁衛の為に本日のおかずを挟んだサンドイッチを提供してくれた。

長峡仁衛はそれを口に咥えながらご飯を食べる。

そして五分も掛からない内に食事を食べ終えると長峡仁衛は合唱してご馳走様と言った


「待ってくれて悪いな…早く行こうか」


玄関へと向かう。

長峡仁衛がそう言って靴を履き出した。


「あ、じんさん」


銀鏡小綿が長峡仁衛の後ろに立っていてその手には小さな荷物が握られていた。

靴を履くと長峡仁衛は後ろを振り向く。

彼女が持っているものを長峡仁衛は受け取った。


「これって…弁当か?」


銀鏡小綿は小さく頷いた。


「ハイ、お弁当です。じんさんが学校に行かないとなったらどうしようかと困ってましたが…大丈夫だったようです」


銀鏡小綿は安堵するように言う。

長峡仁衛はせっかく作ってくれたお弁当を無限にする所だったと別の意味で安堵した。


「それじゃあ行こうか」


長峡仁衛は銀鏡小綿の手を掴んだ。

彼女も長峡仁衛の手を握り返す。

長峡仁衛と銀鏡小綿は二人一緒になって走り出した。

長峡仁衛は考える。

走っても電車を利用すれば早く学校につけると想定する。

なので銀鏡小綿の手を引っ張って長峡仁衛は駅前へと向かう事にした。


「…懐かしいですね」


銀鏡小綿は長峡仁衛に手を引っ張られてそのように呟いた。


「…そうだな、そういえば」


長峡仁衛と銀鏡小綿が昔の事を思い出す。

幼い頃、外に繰り出して行動をする時は、長峡仁衛と銀鏡小綿は離れ離れにならないように気を付けて、手を握っていた。


行動する時はいつも一緒。

その時を思い出したから、銀鏡小綿は笑って長峡仁衛も照れ臭そうに笑うのだった。





…。




霊山家、白純大社修復作業途中。

平行して進められた、次期当主候補による座の抗争。

霊山蘭は当主の座を降りる前に、次期当主候補を選定する為に、無限廻廊を再度展開した。


『無限廻廊の最奥に眠る秘宝を手にした物こそ、次期当主としての権威と地位を授ける』


これによって、七名の当主候補が無限廻廊へと侵入。

本来ならば、白純大社が崩壊し、陣地が崩落している最中、最重要戦力を領土に滞在させず戦力を半減させる事など、敵対している人間からすれば格好の的である。


しかし、霊山蘭は感じ取っている。

何れ自分の命は、一年を待たずして死ぬ事に。

無難に、選定状の中から一人を選びそれを当主として立てると言う選択もあるだろう。だがそれをした所で反感を買う派閥の人間も存在する。


必要なのは、不満も憤慨も持ちながらも、心の何処かで最適であると納得出来る程の人間だ。

だから、霊山蘭は、古来より伝わる無限廻廊での試練を採用した。


尤も、前回、長峡仁衛とは違い、霊山家の当主候補がすぐに出れる様に、出口を複数設置している。

なので、最期の一人になるまで死ぬと言う事も無い。


現に、早々に次期当主としての道に至る事を諦めた当主候補が出口から出て来た。

壮絶な試練の間。此処に入り、出れる事すらも僥倖と言えるだろう。


「残るは五名…誰が当主となるか…」


霊山蘭は五名の名前を確認する。

次期当主として意欲的な霊山勅久か、改革を臨む霊山朽の何れかだろう。

しかし、あの霊山朝比古が早々に当主の道を諦めて無限廻廊から脱出したのは早々予想外であった。


予想外と言えば、抜け殻同然である霊山坊太郎の存在。

辛うじて霊山家の血が流れているこの男が、未だに脱退も離脱もしていない事に気概を感じる。


霊山家が長らく封緘していた封遺物を所持しているので、当たり前と言えば当たり前だが…自己当主として選定したが、彼が当主になっても、問題は無いだろう。


そう考えながら、霊山蘭は無限廻廊の前に立つ。

此処で、新たな王となる者を待ち続けている。


「(残る者がいるとすれば…紫衣くらいか…しかし、奴は)」


そこで思考を止める霊山蘭。

出口付近で待つ霊山蘭は、其処から迫る何者かの感覚に、顰め面をする。


「(戻る、戻って来ている…この神胤の放出と、その手に持つ力…間違いなく秘宝、であれば、誰だ?誰が、此処に来る)」


霊山蘭は身構える。

秘宝を持つ者、その所持者から放たれる神胤が、無限廻廊の出口先から感じ入る。

そして、銀幕から訪れる、女性の姿。


顔を見上げて、霊山蘭は、まずその神胤の正体に驚愕した。

顔を挙げる、誰が迫ったか、誰が秘宝を所持しているのか。


その女性は、ゆっくりと歩いて、霊山蘭の前に立つ。

霊山蘭は、我が目を疑った。


「ま、さか…そんな事、が、ある筈が無い…魂が、その、神胤が、本物、だと」


白髪に、綿毛の様な睫毛。

伏せられていた目は開き、白濁とした瞳孔が霊山蘭を見詰める。

真っ白な巫女服を着込み、雪の様な羽織りを羽織る女性が、うっすらと紅を引いた口を薄く引いて笑みを作る。


「霊山…みそぎ、まさか、お前か?生き返ったのか、禊」


霊山禊。

霊山蘭の前に立つ女性は、見間違えようがない、本物だった。


「(生きておる、死んではおらん、生き返った?いや。魂が戻ったのか?)」


霊山蘭は心臓を掴み、声を漏らす。

あまりにも驚愕な出来事に、肉体が付いて行かない。

高鳴る心臓を抑えながら、霊山蘭は、霊山禊の方へ向かう。


「(死した屍は、無限廻廊に埋葬した、死を否定出来なかったあの頃の儂が行った愚行…それが功を奏して蘇ったとでも?)」


思考する。

今は、その思考を止めて、喜びを得ていたい。

しかし、死んだ筈の娘が蘇った。

もう二度と、描く事の出来なかった幸せを思い描く。

やり直せると、霊山蘭は思った。


「(甘い、話、乗ってみたい、酔い痴れたい、それでも、これは、違う、違うと、己が、魂が申す、この様な、話が、ある筈が無い、と)」


霊山蘭は体を止める。

それは紛れもない霊山禊だろうが、霊山蘭は、死者が蘇る筈が無いと思っていた。

術式と言えども、制限は存在するのだ。古来から続く死者蘇生の術式は、格式の高い古来からの歴史を持つ霊山家でも成し遂げなかった代物。


昔には、死者を蘇らせる術式はあった、しかしそれは禁忌とされて全て抹消された。

少なくとも、霊山家には、死者を蘇らせる術式は、霊山柩の術式を除いて存在しない。


「…ぁ」


そこで思いいたる。

彼女の存在を、霊山柩の存在を。


「(奴の術式は知っておる、その詳細、奴がどの様な屍を封じ込めた事は知らぬが…まさか)」


霊山禊が、足を止める霊山蘭の体を抱き締めた。

その温もり、匂い、感触は、紛れもない、霊山禊のもの。

だが、分かる、微かに、霊山柩の神胤が、祓ヰ師として長年生き続けた霊山蘭には、微かに分かる。


「お父様」


霊山禊が声を漏らす。

抱き締められた霊山蘭は、彼女を見詰めて言う。


「貴様は…」


何者であるか、それを答える前に。

霊山柩が口を開いて、恍惚な表情を浮かべて告げる。


「やかい、さま。やかいさま、八峡様。八峡様八峡様、お願いお父様、八峡様を探して、八峡様を見つけて、八峡様を呼んで?お願い、お願い」


八峡義弥と。

昔、彼女を愛した男の名前を呼ぶ。

何度も何度も、その男しか目が見えていないかの様に。


「禊…オぉ、みそ、ぎ…ィ」


霊山蘭は、彼女から離れる。

老いた体では、遠くへ逃げる事は不可能だった。

だから、神胤を流し込んで、内臓を圧迫させながら、霊山蘭は奮起する。


「…違う、き、貴様は、違う…禊じゃない、貴様はっ…何者だ」


霊山蘭の言葉に、霊山禊は首を傾げる。

何者か、その質問に、彼女は疑問を浮かべていた。


「お父様、私、わたし、腸死?腸死話輪環わ和倭ワ羽」


バグってしまったかの様に。

霊山禊は、口を開いて、何度も何度も首を傾げながら考える様な素振りをした。


「やはり…貴様は、柩の術式、で」


埋葬された屍を掘り起こし、術式を使役して操作させたのではないのか。

霊山蘭は、其処には居ない霊山柩を恨む。

いくら姉妹であるとは言え、実の姉の肉体を使役して、無理矢理酷使するなど、惨いにも程がある。


彼女を止めなければならない。

これは死者蘇生ではない、ただ、動く屍でしかないと思い、彼女を止めるべく、霊山蘭は拳を構える。


戦闘の意志があると断定した霊山禊は、首を曲げながら笑みを浮かべた。


「じゃあ私が探す」


パン、と。

手を叩く音と共に、霊山蘭の腹部から血が滲み出す。

彼の体は、皮膚と肉を抉られていた。


「うぐ、ぉッおおおおおおおおっ!!」


地面に膝を突く霊山蘭。

口から血を流しながら、霊山禊の方に顔を向ける。


「(紛れも無い…この術式は、禊の〈封緘術式〉ッ)」


確信して思う。

霊山禊の術式は、類似品を除いて彼女しか持ち合わせない唯一の術式だ。


「(その術式が発現させる為に、生んだ子には同じ名を授け…そして、その術式を会得した)」


名は体を現す様に、子に発現させる術式の名を授ける祓ヰ師も多い。

霊山禊は、その名を授けられ、その術式を発現させた。


「(〈封緘術式・禊〉)」


恐らく。

霊山一族が所持している術式の中で、上位に君臨する力だろう。


「(禊とは身を削ぐ事から転じた言葉とされる、〈封緘術式・禊〉は…対象の一部を削ぎ取り封緘する術式ッ、儂、儂の一部を、削ぎ取りおったッ!)」


腹部から流れる血を抑えながら、霊山蘭は牙を剥く。

同時に、霊山蘭の声に反応した祓ヰ師たちが、通路を走り、駆け付ける。


「御当主様ッ」「何事ですかッ」「ッ、霊山禊ッ」「『祓巫女』が復活したッ」


その様に叫ぶ、霊山家の一員。

それに対して目を向ける霊山禊は、神胤を放出させると共に、彼ら祓ヰ師に向けて、黒色の煙を噴き出す鎖を射出させて肉体に突き刺した。


「(ッ、霊山朽の、〈鎖〉ッ、まさか、禊よッ…同族に、手を掛けたのかッ!)」


鎖に繋がれた祓ヰ師たちは、その場に畏まり、膝を突いて霊山禊を敬服する。


「秘宝、持ってきました。私が…新しい、王…霊山家の当主です」


「くッ」


『霊山禊』ならば、その権利は無い。

だが、彼女が『霊山朽』であれば、選定状に名は消されていない。

十分に、当主としての権利を持つ。

そして選定状に記された当主の条件を、秘宝を所持している為に満たされている。


「まだ…儂が、居る」


霊山蘭は、腹部を抑えながら、よろめき、霊山禊に突っ込んだ。

走り出し、霊山禊が霊山蘭に手を向けたと同時…霊山蘭は彼女を素通りして、無限廻廊へと続く銀幕へと向かった。


「殺したければ、殺してみせろ…ッ、追って来れればの話だがな」


霊山蘭はそう告げて、銀幕の奥へと逃げて行った。

霊山禊は、霊山蘭の姿を認識後、即座に通路の外へと出ようとする。


「皆さま、八峡様を、私の可愛い子…『八峡義弥ながおじんえ』を、連れて来て下さい」


鎖に繋がれた祓ヰ師に向けて、霊山禊はそう言った。


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