情事
食事を終えた長峡仁衛は自室へと戻る。
本来ならば、傍には銀鏡小綿が居るのだが、長峡仁衛は常に一人の時間帯に居る。
もしもこれが日常と化して当たり前になってしまったら、長峡仁衛は発狂する自信があった。
「(昔はなぁ…)」
暇さえあれば、長峡仁衛に構って来る銀鏡小綿。
長峡仁衛はそんな彼女を受け入れて、頭を撫でたりしていたものだ。
長峡仁衛は目を瞑りながら、幼少の頃の銀鏡小綿を想像する。
あの頃の彼女は、鋼の様に硬く、冷たい人間の様に見えて、誰よりも長峡仁衛に優しい少女だった。
他人は銀鏡小綿を誤解する人間が多かったけれど、仲間内では、優しい子であるとして皆が好きだった。
長峡仁衛は、彼女の姿を瞼の裏に想像しながら、空想の彼女に向けて手を伸ばし、頭を撫でる素振りをする。
当然ながら、手には何も掴める事は無く、空を空しく撫ぜるだけだ。
「…じんさん?」
空想のあまり、長峡仁衛は銀鏡小綿の声が聞こえて来た。
あまりにもリアル過ぎて、長峡仁衛はビビったが、これも愛の成せる技であると思ったが、流石に、彼の心の内からではなく、外側から聞こえて来るのは可笑しいと思い目を開いた時。
其処には、自らの指先を絡めて、俯ている銀鏡小綿が居た。
長峡仁衛は、本物を確認して即座に体を起こす。
「(うわ、小綿何時の間に…)」
「じんさん。あの」
銀鏡小綿は、長峡仁衛にどう話し掛けるか迷っていた。
長峡仁衛は、銀鏡小綿の姿を確認して、ゆっくりと体を起こすと、彼女が此処に来た理由を考える。
「(多分…小綿は、俺の所に来て、何か言おうとしている…けど、その内容が俺を傷つけてしまうから、口ごもってしまっていると言った所か?)」
長峡仁衛は目を細める。
彼女に窮屈な思いをさせている事に己を恥じた。
自分が傷つくのならばそれでいいが、彼女が傷つくのは違う。
だから、長峡仁衛は、自分の方から彼女に話題を切り出した。
「あのさ。俺の事、避けてるよな?」
長峡仁衛の言葉に、銀鏡小綿は、肯定した。
「…あの、はい。じんさん、母は、おかしいのです」
「おかしい?」
疑問符を浮かべる長峡仁衛。
銀鏡小綿は会話を続ける。
「これまで通り、じんさんと接触している、なのに、あの日から、じんさんとは目が合わせられなくなっています。近くにするだけで、胸の鼓動が早くなってしまいます」
自らの胸に手を添える銀鏡小綿。
「これはきっと、私が壊れている証拠です…母、は。この胸の高鳴りを、どうにかしなければならない…じんさんのお世話をしなければならないのに…」
漏れる声色が、上擦る。
自分が、どんな感情を抱いているのか分からなくなっている。
「傍に居るだけでエラーを起こしてしまう。こんな事、前世ですらも知り得ない情報です…じんさん。母は、壊れてしまったのです」
自らの状態を、欠陥であると言う銀鏡小綿。
「そ、そうか…小綿…お前」
一応の納得をする長峡仁衛。
「で、ですから。…決して、避けているワケでは無いのです」
言い訳をする様に彼女は告げる。
「じんさんのお傍に居る事こそが、私の役目なのですから」
そう言うが、現状ではそれは難しい事だ。
彼女の中には、彼女にすら分からない感情が渦巻いているのだから。
だから、それがなんであるのかを教えなければならない。
「小綿。多分、それは。俺も感じている事だ」
「…じんさん、そうなのですか?」
上目遣いで聞いて来る銀鏡小綿に長峡仁衛は頷いて見せる。
「そうだ。恐らく、それが多分。愛と言う感情なんだ」
「これが、愛、ですか?…でしたら、おかしいです。じんさんの傍に居たいのに、居ろうと思えば、苦しくなる…それは、可笑しい事です」
苦しそうな表情を浮かべる銀鏡小綿。
「料理も上手く作れない、じんさんと会話も出来ない、これが、これが母の姿だとは、思えません…ッ」
自分で、自分が欠陥であるような言い方に、長峡仁衛は首を左右に振って否定する。
「それが恋なんだよ。大好きな人の傍に居ると、舞い上がってしまうし、良い所を見せたいって思うのは、当たり前の事だ」
自らの胸を叩く。
長峡仁衛も彼女を愛している、故に心臓の音は彼女と同じものだと伝える様な仕草だった。
「その感情は、決して悪い事じゃないんだよ、小綿」
長峡仁衛は諭す様に彼女に告げる。
胸の内で騒めく銀鏡小綿は、長峡仁衛の顔を見詰める事が出来ずに、目を逸らしていた。
「小綿、俺と付き合ってみないか?」
長峡仁衛は銀鏡小綿に近づきそう言った。
銀鏡小綿は長峡仁衛の提案に首を左右に振っている。
「そ、れは…出来ません、じんさん」
やはり、彼女にも抵抗があるのだろう。
「付き合う事が、小綿にとって母親ではない行動だからか?」
「そ、そうです。母は。息子と、淫らな関係になる事は許されません」
彼女の答えに、ならば、と長峡仁衛は言う。
「なら清い関係なら良いんじゃないのか?」
長峡仁衛は諦めない。
なんとか、彼女と恋仲になりたいらしい。
「そ、そんな事、言われましても」
行けない事ではないのだろうか、と銀鏡小綿は心配していたが。
「淫らな関係じゃなくても、ちゃんと築ける関係になれる筈だ…それに、ある程度のスキンシップは、他の家系でも良く行われている事だよ」
と、長峡仁衛は食い下がる様に言う。
「そう、なのですか?」
「ほら、考えるより前に、実践してみよう。小綿、ほら、母親がやりそうなスキンシップを、俺に教えてくれ」
長峡仁衛は、敢えて銀鏡小綿にどのような行動をするべきか聞いた。
「親子の関係で、スキンシップ、ですか?…では、例えば、抱擁、などは、どうでしょうか?」
銀鏡小綿が考えた結果。
その様な結論に至った。
「抱擁…抱き締めるって事だな、分かった。まずはそれを実践してみよう」
長峡仁衛はベッドから出ると、銀鏡小綿に向ける。
「来い、小綿」
長峡仁衛は手を広げる。
「あ、わ、私が、じんさんの、む、胸の中へと、向かうのです、か?」
恥ずかしそうに言う銀鏡小綿。
「お前が嫌じゃなかったら、俺の方から抱き締めるけど」
両手を銀鏡小綿の方に向ける。
究極の選択であるらしい。
銀鏡小綿は多少考えた結果。
「…では、じんさん。じんさんの方から、母を、抱き締めて下さい」
そう銀鏡小綿が言う。
「良し来た…行くぞ、小綿」
長峡仁衛は、銀鏡小綿の体を優しく抱き締めた。
手を回して、彼女の腰元当たりに両手が当たる。
「ん…」
少し、強めに抱き締める。
彼女の、柔らかな匂いが鼻孔を突いた。
「どうだ?これ位なら、付き合っても大丈夫じゃないか?」
長峡仁衛は、銀鏡小綿に伺う。
抱き締める二人、長峡仁衛が、彼女の体を離す。
「そう、ですね…じんさんが、其処まで仰るのならば」
長峡仁衛の方をまっすぐに見つめる銀鏡小綿。
銀鏡小綿と長峡仁衛は近く、目と鼻の先に、お互いの顔がある。
「あ」
長峡仁衛は、彼女の目をじっと見つめていた。
銀鏡小綿は、長峡仁衛の視線から逃げる事なく、一心に見詰めている。
必死な表情だ。唇ときゅっとしていて、翡翠の様な瞳は潤っている。
何か、長峡仁衛に期待しているかの様な、興奮が見えた。
それは長峡仁衛も同じ事だ。
母親に対してその様な真似をすると思うだけで、背徳感が背筋を通る。
互いの視線が吸い込まれていく。
「や…やっぱり、だめです、じんさ…っん」
口元が近づいた。
限界寸前で理性を取り戻した彼女を塞ぐ様に、長峡仁衛は彼女の口に触れる。
長峡仁衛の腕の中で、彼女の手が強く握り締められる。
そして、口元から伝わる異性の感触に、銀鏡小綿の硬直した体は次第に弛緩していった。
「…ん、じんさん…」
口元を離す。
銀鏡小綿は、赤面をしながら、長峡仁衛を見ていた。
感情が溢れ出して、それが涙となって出て来る。
「ごめんなさい、じんさん、何故か、涙が…なぜ、でしょうか」
長峡仁衛を抱き締める銀鏡小綿は、自分の感情の整理が付かないまま、長峡仁衛を支えにしていた。
長峡仁衛はそれを返す様に、長峡仁衛も、銀鏡小綿を強く抱き締めた。
それが幸福なのだろう、二人はそれを噛み締めながら過ごした。
屋敷の見回りを終えた辰喰ロロ。
最期に、モニタールームへと向かう。
このモニタールームには、黄金ヶ丘家が管理する奈波市が監視出来る様に、監視カメラが設置されていた。
辰喰ロロがモニタールームに入ったと同時、其処には、黄金ヶ丘クインが椅子に座っていた。
ある一室の映像を、齧り付く様に見つめているので、辰喰ロロが一体何を見ているのか覗き込んで、絶句した。
「(ウソだろ、私があんなにも脈は無いって言ったのに、何時の間にかそんな関係にっ)」
情事である。
夜中の蜜月、夜伽の最中に二人は愛し合っている。
それが、この屋敷の当主である黄金ヶ丘クインが監察していた。
「…ふふ」
辰喰ロロが入って来た事に気が付いているのか。
彼女は、含み笑みを浮かべて、そして、その直後。
彼女は机を握り拳を固めて叩いた。
ダン、と机が揺れる、辰喰ロロは気まずそうな表情をしていた。
「兄様がッ、寝取られたッ!!」
怒りを露わにして、黄金ヶ丘クインがそう宣言する。
辰喰ロロは、彼女の言葉を訂正する。
「いや、そういうのは一緒に寝てから言って下さいよ」
「寝たから言ってるの!!」
かなり昔の話。
長峡仁衛が黄金ヶ丘家に引き取られた時。
彼女と共に一緒にお昼寝をしたり、同じベッドで眠った事もあった。
恐らくはその事を思い出して言っているらしいが、流石に幼少の物心がつかない頃合いは、一緒に寝た判断にはならない。
「…で、どうするんですか?」
辰喰ロロは黄金ヶ丘クインにどうするか聞いた。
「黙ってるままなんです?それとも…部屋に入って、邪魔でもしましょうか?」
自室に入る理由など色々ある。
彼と彼女の愛を確かめ合う時間帯に、無理矢理顔を出してしまえば、簡単に終わってしまうだろうと、辰喰ロロは思っていた。
「…いえ、それは、駄目」
黄金ヶ丘クインは、辰喰ロロを呼び止める。
「他の誰かが、兄様の幸せを奪うのは、仕方が無い事かも知れないけど…私が、自ら兄様の幸せを奪う事は、出来ない…貴方を使っても、それは同様」
「じゃあ、このまま、黙って見てるって事ですか?」
それは、余りにも酷だと、辰喰ロロは思っていた。
それもそうだろう。愛する人の為に尽力してきた黄金ヶ丘クイン。
それを台無しにする様な行動をしているのだから。
しかし、彼女は、唇を噛み締めながら首を縦に振る。
「悔しいけど、かなり、血涙が出る程、悔しいけれど…今回は、兄様の慰め役を差し上げます…彼女に発破をかけたのは、私ですし…それを、無遠慮だと罵るのは、違う事ですし」
そう思い、黄金ヶ丘クインは、必死になって、長峡仁衛と銀鏡小綿の情事を見詰めていた。
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