題目


「霊山禊は…お前を父親と見ていた。異性としての目を向けていた。異性として愛していた。異性として接する感性を持っていた…そして、霊山禊は長峡仁衛を愛し、愛ゆえに、暴力を貴様に与えていた」


霊山蘭は忌々しく語る。


「肉体の不変と精神の変貌。娘の顔をした生物は表面上は人間を模していた…しかし、貴様と二人になれば、必ず、貴様の泣き叫ぶ声が聞こえた」


長峡仁衛の過去を語る。

長峡仁衛は渋い顔をしてそれを聞く。


「霊山家はその助けの声を無視した…あぁ、望まれぬ子供が一人犠牲になる事で、娘が安定するのならば、誰もがそうしただろう、もしもしなければ、禊の内に眠る化け物が、どの様な悪影響を及ぼすか、考えただけでも寒気と怖気が我が身を覆うわ」


虐待を、霊山家は知ってて無視した。

そうでもしなければ、祓巫女である彼女の中に封緘された、化け物がどうなってしまうのか、分からなかったから。

最悪、長峡仁衛一人を失えばそれで済むのならば、安い供物だ。


「だが、長くは続かなかった。娘は死に、娘を殺したのは…其処に居る、銀鏡小綿であった…貴様が拾ったのだ、長峡仁衛」


霊山蘭が、銀鏡小綿を見た。


「本来、銀鏡小綿は転生者として封印される存在。霊山家へと連れて来られた銀鏡小綿は脱走した。其処で出会ったのが」


銀鏡小綿。

元々はこの世界の住人ではない。

前世を持つ異世界の人間。

否、六道輪廻の何れから訪れた転生者だ。


「じんさんでした。この世界に生まれて、前世の記憶を持つ私は、この世界全てが敵に見えました。当然です。私の前世は、機械が発展した餓鬼の道。…本来なら、私に心などありません」


幼少の頃を語る銀鏡小綿。


「じんさんが、私を匿い、優しくしてくれて、私は其処で感情を知りました。じんさんが、あの人に暴力を振るわれる様を見て、私は、気が付けば…霊山禊を殺していたのです」


どうやって殺したのか。

その部分は省いて、銀鏡小綿は結末を語る。


「貴方は泣いていました。暴力を振るわれても、それでも大事な人を失い、泣きました。私は其処で、償い切れぬ罪を得たのです…だから私は。じんさんが泣かない様に、霊山禊の代わりに…母になると決めたのです」


霊山禊の代わりに、長峡仁衛の母親になる事を、その時を以て誓ったのだ。

銀鏡小綿は長峡仁衛の前に立つ。

少し背伸びをして、手で、長峡仁衛の身長を確かめて、微笑んだ。


「…大きくなりましたね。じんさん。あの時から、ずっと成長を見届けていました…もう、母親としての役目も、終わりなのでしょう」


銀鏡小綿は、寂しそうな表情を浮かべながら言う。


「じんさんが、母を必要としなくなった時。母としての役割が終わり、私となった時…私は、この世を去ろうと思っていました」


唐突な言葉に、長峡仁衛は口を挟む。


「ちょ、なんでそうなるんだよ、話が飛躍してるぞ」


だが、決して飛躍していないと、銀鏡小綿は言った。


「先程、申したでは無いですか」


自らの胸に手を添えて。


「私には、心が無いのです。感情が無い、意志が無い…全ては、じんさんの為に作られたもの。母を模倣する機械なのです。母としての役割を失えば、私に残るのは、無なのです」


彼女は機械。

長峡仁衛の為に存在する。

その役割が終われば。

後は、消えるのみ。


「それは許さぬ、長峡仁衛などどうでもいい、だが、貴様は、貴様だけは、償え、償わなければならぬッ」


霊山蘭は銀鏡小綿を、最期まで霊山禊として生きろと言う。


「霊山禊として、儂の娘として、生きろ、生きるのだ、長峡仁衛の母でなくとも、その役目を終えたとしても…ッ、貴様だけは、許さぬ、その身を、霊山禊として生きぬ限りはッ、絶対にッ」


渇いた顔に、一筋の涙が零れる。

その姿に、積年の恨みが募る長峡仁衛でも、同情した。


「爺さん…」


老人の願いに、しかし銀鏡小綿は首を振る。


「約束は出来ません、私は、じんさんの母であり、その役目を終えれば、この世から離れます」


それは絶対であると。

その生き方はまるで、誰かに動かされている様な。


「…まるで、呪いだな。小綿、その生き方は」


呪い。

背筋に感じる感覚と共に長峡仁衛は呟いた。


「…けど、お前が言うんなら、そうなんだろう。実現するんだろうな、小綿」


銀鏡小綿の生き方は絶対だ。

絶対に、役目を終われば、長峡仁衛の傍から離れると、長峡仁衛は理解した。

だから、そうならない様に、霊山蘭に言う。


「…爺さん。約束、してくれないか?」


息を荒げる老人。

長峡仁衛を睨みつける。


「なんだ…今更、貴様と約束する事など、何もないッ」


叫び、唾が飛ぶ。

疲れたのか、膝から崩れ落ちる老人。

半ば狂乱染みた老人に、長峡仁衛は言う。


「…じゃあ、協定をしよう」


言い方を変える。


「…俺も、小綿に消えて欲しくない。だから…俺は小綿を母として欲する、その間は、ずっと…小綿は、俺の元に居てくれるんだろ?」


契約の内容を確認する様に、銀鏡小綿に伺う。


「…はい、約束します。じんさんが母を母として必要としている以上、母は、じんさんの母親となります」


首を縦に振って銀鏡小綿は頷いた。


「じゃあ…大切な家族を、母親として、小綿を大事にする。…そうすれば、霊山禊も、その幻影を保てる」


その内容に、霊山蘭は察する。


「ッ…貴様、つまりはこういう事か?長峡仁衛及びその周囲に手を出さぬ代わりに、銀鏡小綿を残し続ける、と」


長峡仁衛は正解だと言いたげに頷く。


「そうだよ…じいさん。悪い話じゃないだろ?なんなら、娘に会いに来ても良い…結局の所、子供想いが捻くれただけ、なんだよな?」


分かった様な言い方をする長峡仁衛に、霊山蘭は苛立つ。


「なんだ、貴様は、同調しているのか、この儂にッ、反吐が出るッ、貴様と共感する事など、何もないッ」


長峡仁衛を睨む、乾いた殺意。

それを長峡仁衛は反発せず、受け止める。


「共感じゃない…落とし所を見つけるだけだ。利害の一致はある。何よりも、俺は家族を危険な目に置く事は出来ない」


霊山蘭は立ち上がり、長峡仁衛の胸倉を掴んだ。

全てを理解した様な言い方、まだ自分には守れるものがあると言う驕り、それが霊山蘭の悉くの琴線に触れた。


「貴様ッ、貴様がッ!!貴様さえ、居なければッ、禊はッ、禊はァ!!」


彼女はもっと、良い夢を見れた。

娘はもっと、美しい景色を見れた。

母親はもっと、優しい人間になれた。

それらの想い、全ては、結果論に過ぎない。

現状こそが、全て、結果、物語の中間地点なのだから。


「生まれて来なければ良かった、誰もがそう言うだろうな、俺の、昔はそうだったけど…生きて良いって、胸を張って言える人が傍に居る。だったらさ、生きなきゃ駄目なんだよ」


長峡仁衛の人生は、望まれなかったもの。

生きる事よりも、死を望まれる事が多かった。

それでも、長峡仁衛は生きなければならない。

沢山の想いの中にある、自分を想ってくれる光の為に。


「感情を殺して殺意を留めて、俺が霊山家に焦れた思いも恨む記憶も、此処に置いていく。後は、爺さん。あんたの選択で、運命は決まる。物語は分岐する」


だから、長峡仁衛は。

全てを断つ様に、霊山家に対する思い全てを此処に置く。

長峡仁衛の選択に、霊山蘭は指先が緩む。

胸倉を掴む手が宙を揺れ、乾いた声が漏れる。


「…失せろ、最早、興味すらない」


霊山蘭も。

其処に、全てを置く決意をした。


「勝手に、しろ…霊山の名を使いたければ使うが良い、落とし所だ、これで、貴様とは、金輪際だ」


此処で、全てを別れる気で居る。


「だが…必ず、その協定を、契約を、約束を、決して違えるな。…銀鏡小綿を、生かし続けろ、霊山禊を、覚え続けていろ」


最後に、長峡仁衛との契約の履き違いが無い事を確認して。


「…うん、分かったよ、じゃあな、爺さん」


長峡仁衛は霊山蘭の傍から立つ。

そして、向かう先は。


「じゃあ、帰るか。小綿」


「はい、じんさん」


銀鏡小綿の、横だった。




電車を待つ。

外は雨だ。だが珍しく、赫雨ではない。

普通の雨、その雨の音を、駅のベンチに座る長峡仁衛は聞く。

雨粒の音。隣には、銀鏡小綿が座っている。

辰喰ロロは、一服をする為に立ち上がり、喫煙室へと向かった。


「お疲れ様でした、じんさん」


銀鏡小綿の労いの言葉に、長峡仁衛は頷く。

しかし、長峡仁衛は一人、頭の中で思考を巡らせていた。

長峡仁衛の胸の内に渦巻く感情を、銀鏡小綿とは恋仲になれないと言う事実を。


「(小綿が母親である限り、俺達が結ばれることはない、小綿が母親であることを止めてしまえば、彼女の存在する意味がなくなってしまうから)」


銀鏡小綿は、長峡仁衛を愛している。

求めれば、母親と言う枷を除き、長峡仁衛と向き合ってくれるだろう。

だが、その後は…母親としての役目を終えた銀鏡小綿は、長峡仁衛の傍から離れる。

この世では無い何処かへと、旅立つだろう。

だから、長峡仁衛は、銀鏡小綿とは恋慕を重ねる事は出来ない。

融通の効かず、頑固一徹で、意志が硬い。


「(ただ、その役割だけを果たし続ける人生だった、小綿にとって、それ以外の道などないんだろう)」


そんな彼女を、長峡仁衛は想いを募らせる。

どれ程、胸を強く痛めても、その恋が実る事は無いと知りながら。

ふと、脳裏に過らせる、もしもの話。


「(もしも、小綿が母親を選ばなかったら…この想いは、成就されてたのか)」


普通の女子として、銀鏡小綿が存在すれば。

長峡仁衛は、家族として銀鏡小綿を迎えたとして。

銀鏡小綿も、長峡仁衛を大切な人として受け入れたとすれば。

…そんなもしもの事を考えて、それは違うと、長峡仁衛は思った。


「(もしも彼女が母親でなかったら…俺は、……ん?)」


感情が漏れる。

それは、嫌な感覚だ。

普通の彼女では、何か足りない。

その困り果てた感情に、長峡仁衛は自覚した。


「(困る…、?、なぜそう思うんだ?俺が困るから、なんだって言うんだ)」


自問自答をする。

長峡仁衛にとって、何が困る事であるのか。


「(彼女が母親である事が、俺にとって一番困ることなのか?)」


違う。

長峡仁衛は、彼女が母親である事を好んでいる。

それ以外など、考えた所で、首を左右に振る他無い。


「(困るのは、俺が彼女と結ばれる事が出来ないからじゃない、綿んだ)」


其処で、長峡仁衛は気が付く。

俯いた顔を上げて、空は雨模様なのに、長峡仁衛は晴れていた。


「ははッ、そうか…一番、大事な事を忘れてた」


長峡仁衛の発言に、銀鏡小綿は反応する。


「どうかされましたか?じんさん?」


銀鏡小綿はそう聞くが、長峡仁衛は未だに自分の世界に閉じ籠る。


「(小綿は俺の母親なんだ。幼い頃からずっと、俺はそんな彼女と一緒に居て過ごして来たんだ。彼女の全てが愛しいと思えるのは、銀鏡小綿に長峡仁衛が惹かれたのは)」


銀鏡小綿は、母親としての役割を受け入れた。

長峡仁衛も、彼女の母親としての側面を受け入れた。

これだけで良かったのだ。他の事など、全て蛇足に過ぎない。


「そうか、こんなの一番簡単な話だったんだ…悩む事なんて無かった」


長峡仁衛は一人、笑う。

銀鏡小綿は長峡仁衛が可笑しいと思いながらも、駅から流れる音に耳を傾ける。


「じんさん。次、電車が来ますよ、…辰喰さんにも、お伝えしなければ」


立ち上がる銀鏡小綿。

長峡仁衛は、苦しみから解放されて、楽な表情を浮かべている。


「変わらなくて良かったんだ、早く、それに気が付いて良かった」


直に電車が来る。

長峡仁衛も、重い腰を上げる。


「(呪いだから、それが枷だから、だから、小綿の大切を奪ってまで、通す意地じゃない…愛しているのなら、そのままで、良かったんだよ)」


喫煙室へと向かう銀鏡小綿に、長峡仁衛は声を掛けた。


「小綿」


銀鏡小綿は振り向く。

長峡仁衛の顔を伺う。

何か用であるのか、銀鏡小綿は長峡仁衛の名前を口にしようとして。





















「俺、長峡仁衛は、母親である銀鏡小綿を異性として愛している」



















…生涯で忘れられぬ言葉が銀鏡小綿のこころに響いた。

長峡仁衛は立ち上がる。電車が迫り、ゆっくりと停車する。

そして、
























「『母親そのまま』のお前が好きだ」


























……。

その言葉と共に、電車の扉が開かれる。

どれ程煩い音を鳴らす電車でも、銀鏡小綿が、長峡仁衛の言葉など聞き逃す筈がない。


「…あ、そう言えば、この電車だっけか?小綿、辰喰呼ばないとな」


長峡仁衛は急ぎ、呆然と立ち尽くす銀鏡小綿を抜いて、喫煙室へと向かう。

辰喰ロロを呼ぶ長峡仁衛、銀鏡小綿は、まず、自分の頬に手を当てる。


何故か、体が壊れてしまったようだ。

血液が激しく体中を巡り、心臓は高鳴り耳元で煩く聞こえ、真っ白な肌は赤く灯り、熱を帯びる。

口元に銀鏡小綿は手を抑える、長峡仁衛に向けてか、誰に向けてかは、分からない。

ただ、
















「っ、え、…あッ。っ、こ、こまッ…困ります、じ、じん、さんっ」



















彼女の鉄仮面は、彼の一撃ことばによって破壊された。

冷たい体に、心が燃え出す。


それを人は、恋慕と呼ぶのだ。




































禍憑姫マガツキ/つう銀姫収斂ぎんきしゅうれんへん




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