御飯
「俺は、戻る…」
問題を先送りにするように、彼は後退りをした。
「おう、戻るが良い…黄金ヶ丘家で、数日程考えるが良い…邪魔はせん」
長峡仁衛は、熱に魘されたかの様に歩き出す。
長峡仁衛は霊山蘭の言葉通り、外へ出る。
庭間では、死体処理を行う霊山家の関係者が掃除を行っていた。
「…」
霊山家の一族、及びその関係者は長峡仁衛を一瞥するが、何も言わずに仕事に戻る。
長峡仁衛は庭間を歩いていると、黄金ヶ丘達が、長峡仁衛を待っていた。
「兄様」「じんさん」
家族の声が聞こえて、重苦しい雰囲気を纏う長峡仁衛は笑みを浮かべた。
「悪い、待たせたな」
「いえ、それよりも、どうだったのですか?」
どうだった。
そう聞かれた長峡仁衛は、少し視線を逸らす。
「…また数日後、此処に戻るからさ、その時に、答える事になった。…今は、此処よりも、家に帰りたいよ」
長峡仁衛の言葉に、黄金ヶ丘クインは少し沈黙をした。
それでも、長峡仁衛の言葉に頷いて、彼の手に取る。
「はい、帰りましょう、兄様」
そうして、長峡仁衛たちは、襲撃に遭ってボロボロとなった白純大社から離れた。
「(…本当にあっさりと出てこれたな)」
歩きながら、長峡仁衛は驚いていた。
霊山一族がやって来る様子は無い。
本当に、長峡仁衛は次期当主として扱われている様子らしい。
「(もう黄金ヶ丘邸に戻ってこれた…)」
長峡仁衛は久しぶりの黄金ヶ丘邸に入ると、脱力をしてしまう。
無限廻廊から蓄積し続けた疲労が今、一気に流れ込んだ様子だった。
「ははッ…あぁ、疲れた」
長峡仁衛がそう呟くと共に、意識を落とす。
傍に居た銀鏡小綿が、長峡仁衛の体を支えて、強く抱く。
「…お疲れ様でした、じんさん。今はゆっくり、御眠りになって下さい」
彼女の言葉が、長峡仁衛の耳元で囁かれた。
その言葉が、長峡仁衛にとってはとても、懐かしい感覚で、嬉しくて、このまま、死んでしまっても良いと思える程に心地よかった。
長峡仁衛は眠り、そして目を覚ます。
其処は、長峡仁衛の為に用意された部屋だ。
すぐ近くには、銀鏡小綿が椅子に座りながら、本を読んでいた。
それは、絵本だったらしい。むかしむかしあるところに、から始まり、広大な冒険劇を繰り広げる物語を口にしていた。
長峡仁衛は、ゆっくりと目を開く。
すると、銀鏡小綿は長峡仁衛に気が付いて、絵本を閉ざす。
「お目覚めになりましたか、じんさん」
「…あー。うん。なんか、凄い。怠いな」
長峡仁衛は、体に圧し掛かる倦怠感を覚えながらそう言った。
「沢山、血を流されましたからね、何か欲しいモノはありますか?」
銀鏡小綿の言葉に、長峡仁衛は考える。
「(欲しいモノ?…なんだ?欲しいもの、考えつかないな)」
疲弊した脳では、思考能力が低下していた。
長峡仁衛は、呆然と夢を見ている様に、単純に自分が欲しいものを口にする。
「小綿…かな」
「…母ですか?」
長峡仁衛は眠たそうにしている。
恐らくは寝惚けているのだろうと分かる事だ。
しかし、銀鏡小綿は絵本を閉ざして、長峡仁衛の布団を剥ぐ。
「失礼します」
銀鏡小綿は、長峡仁衛のベッドにもぐりこんだ。
そして、彼女は長峡仁衛を見ながら彼の胸元に手を置いて、優しく叩く。
リズムを刻み、眠りを誘う様に。
「~、~~。」
子守唄を歌う。
銀鏡小綿にとっては久しぶりの事。
長峡仁衛が求めたのならば、彼女は嬉々として添い寝をする。
多分、そう言う意味じゃないと、長峡仁衛は思いながらも。
胸にその想いをしまい込みながら、長峡仁衛は再び眠りについた。
次に目を覚ました時、すっきりとした表情を浮かべながら、長峡仁衛は欠伸をする。
「…今、何時だ?」
長峡仁衛が時計を確認すると、既に時間は昼頃となっていた。
「じんさん」
ベッドの上で添い寝をしてくれた銀鏡小綿の姿は其処にはない。
代わりに、長峡仁衛が起床したかどうかを確認しに、彼の部屋の扉を開けて、長峡仁衛を確認していた。
「丁度良い時間ですね、ごはんですよ」
「ごはん…あぁ、そうか」
長峡仁衛は、腹に手を当てる。
空腹で、胃がゴロゴロと鳴っていた。
布団を剥いで、長峡仁衛は体を起こすと、部屋から出る。
食堂に集う、長峡仁衛たち。
「兄様。お体の方は大丈夫ですか?」
「あぁ…大丈夫だよ。致命傷は免れてるって言ってたから」
回復系統を扱う霊山家の祓ヰ師がそう言っていた事を思い出す。
テーブル席に座る長峡仁衛たち、厨房から銀鏡小綿が出て来る。
「どうぞ、じんさん」
長峡仁衛の前に銀鏡小綿は料理を出す。
「ありがとう、…あ、ハンバーグか、ははッ」
長峡仁衛は嬉しそうに笑った。
銀鏡小綿は、長峡仁衛の隣に座る。
「はい、じんさんは母の作ったお料理が大好物ですので、その中でも、より好物な料理をご用意しました」
敢えて、銀鏡小綿は手料理を強調した。
それだけで、この場に居る女性たちよりも、一線を画す所を示している。
「ありがとう、小綿…じゃあ、いただきます」
長峡仁衛は、そんな銀鏡小綿の言葉も知らず、合掌して料理を食べ始める。
「はい、どうぞ…」
銀鏡小綿は目を細めて、自分の料理を食べる長峡仁衛を嬉しそうに見つめていた。
「…それで、兄様」
食事の最中、長峡仁衛に話しかける、黄金ヶ丘クイン。
「ん?どうした?」
長峡仁衛はたべながら、彼女の言葉を耳にする。
「はい、この後の予定ですが…どうされるおつもりですか?」
どうされる。
とは、霊山家の事だろう。
長峡仁衛はハンバーグを切り分けて食べる。
口元にソースが付着すると、すかさず銀鏡小綿がナプキンで拭く。
何時もならば野暮ったく思う事だが、今は、銀鏡小綿のお節介に厄介になりたかった。
「どうされるおつもりって…それはどういう事だ?」
長峡仁衛はそう聞く。
「どういう事って…兄様は、次期当主候補となりました。そうなると、こうして此処に来れる事もありません」
黄金ヶ丘クインはそう言った。
長峡仁衛の境遇を考えるのならば、黄金ヶ丘家よりも霊山家に居た方が良いだろう。
無論、黄金ヶ丘クインの内心では、長峡仁衛には此処に居て欲しい、と言う思いがある。
「選ばれた以上は、それなりの道を歩まねばなりません…口惜しい事です。兄様がずっと、此処に居て下さると思っていましたが…こうなると、仕方がありません」
と、黄金ヶ丘クインが残念そうな表情をする。
だが、長峡仁衛は首を左右に振って黄金ヶ丘クインの話を遮る。
「待て待て…まだ、俺が当主にでもなったワケじゃない。それに…俺は断る気でいるからな…」
「な、何故ですか?」
断るなど、出来る筈が無い。
それなりのデメリット、罰がある筈だと彼女は思った。
「何故って…断ったら、俺は完全に、霊山家との縁が切れるんだ。俺の理想が叶う。そうだろ?」
だから、断った後は、此処で暮らすと長峡仁衛は言う。
「そう、そうですか…それならば…私も、安心しますが…」
黄金ヶ丘クインは、安心した、と言う。
長峡仁衛が居てくれるのならば、彼女の嬉しい事だから。
「(うん、そうだ、そうだよ…これで良い…これで良いんだ)」
少しだけ、残念だと思う長峡仁衛。
だが、これが最良の選択であると信じて疑わない。
「…じんさん、本当に、それで良いのですか?」
しかし、その選択は、長峡仁衛だけであり。
銀鏡小綿は、疑いつつあった。
銀鏡小綿の口調に、長峡仁衛は小さく笑う。
「小綿…何がだよ、これでいいのかって」
銀鏡小綿は、敢えて、長峡仁衛に言う。
「じんさん。母は、じんさんの幸せを願っています」
それが銀鏡小綿の行動理念だ。
長峡仁衛の幸せこそが、銀鏡小綿の幸せ。
「願っているからこそ、母は、じんさんに言います」
だからこそ。
例え長峡仁衛が不幸である事だとしても。
銀鏡小綿から見れば幸福である事を語る。
「…次期当主として、立候補されたのならば…母は、じんさんには、霊山家に戻る選択をして欲しい」
そして、何よりも。
銀鏡小綿は長峡仁衛の身を案じている。
それは、長峡仁衛が危険な目に遭わない様に。
長峡仁衛が長生き出来る様にする為に。
「…急に、馬鹿な事を言うなよ、なんで俺が、霊山家に戻らなくちゃいけないんだ?」
長峡仁衛の疑問。
銀鏡小綿は言う。
「それは、そうなれば、じんさんが、幸せになれると思っているからです」
平行線の様な会話だった。
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