爺子

 「雪継ゆつぎ様ッ」


霊山雪継。

霊山家当主、霊山蘭の妹に当たる存在であり、長峡仁衛にとっては大叔母に当たる人物だ。

齢は六十を超えるが、肉体は三十代前半に留まっている。

封緘術式を使用して、肉体の老化現象を封印しているのだろうか。

彼女の登場によって、祓ヰ師たちは頭を下げる。


「この度は、霊山家へのご加勢、誠に感謝致します。黄金ヶ丘家ご当主様」


澄んだ声で感謝の言葉を告げる。

霊山雪継は、それと同時に長峡仁衛の方に視線を向ける。


「長峡さん。ご当主様が呼んでいます」


雪継の淡々とした声色に、長峡仁衛は我が耳を疑った。


「…爺さんが、俺を?」


爺さん。

その呼び方に対して、複数の術師たちが長峡仁衛を睨むが、口を慎む。

長峡仁衛が何か答えようとするが、代わりに、黄金ヶ丘クインが口を挟んだ。


「この状況下、私の所有物である長峡仁衛を粗末にした屋敷に、また、長峡仁衛を預けろと言うのですか?」


「それに関しては謝罪を致します。ですが、こちら側の立場もご理解して頂ければ幸いです」


更に続けて、霊山雪継は言う。


「長峡さんの術式は稀。我が家に伝わる伝書ですらも、その希少性故に相続する事が無かった…故に、口頭での伝承でしか知り得ない事もあります。長峡さんの『封緘術式・戯』は、使用者に災いを及ぼし、家系にも影響を与えると伝えられて来ました。我々は術師としては上澄みの家系、此処で始末をしなければ、私たちにも、貴方方にも危害が及ぶと想定しての事です。しかし、現在の所有者にも告げず、秘匿に処分をしようとした事に対しては、謝罪を致します」


深々と頭を下げる霊山雪継。


「…尤も、あくまでも伝承。それが本当であるかは分からない。現に、彼の術式を所持していた歴代当主は、一族に繁栄を齎したとも聞きますが、それもまた口頭での伝承…確証はありません」


黄金ヶ丘クインは毒気を抱きながら言葉を吐く。


「危険であるからこそ、芽を除く、そちらの了見は理解しましたが…先程も申した通り、長峡仁衛は既に私のものなのです。その結果、どの様な不幸が起こったとしても、それは自己責任となるでしょう」


その言葉には対象が無い。

黄金ヶ丘家が不幸に見舞われるとも取れるし、霊山家が不幸に見舞われるとも取れた。


「了解しました。では、長峡さん。…お願いします」


長峡仁衛に向けて、霊山雪継が顔を向けると、血と泥に濡れた地面に膝を突き、頭を下げる。


「兄は、もう長くないと聞いています。どうか、最期の言葉を、拝聴しては頂けませんか?」


綺麗な髪を汚しながら、地面に頭を擦り付ける霊山雪継。


「…長峡さん、行きましょう。もう、彼らに頼む真似はしません」


少し遠いが、黄金ヶ丘家の家で治療を、と言い、長峡仁衛を引き連れようとするが、長峡仁衛は足を止めたままだ。


「分かった」


長峡仁衛は、そう頷いた。

黄金ヶ丘クインは長峡仁衛が錯乱したと思った。


「兄様、駄目です。彼らの傍に居たら、どうなるか、分かったものではありません」


「良いんだ。…別に、雪継さんが土下座したからってワケじゃない。…多分、爺さんも狸寝入りだよ…それでも」


長峡仁衛は、黄金ヶ丘クインの手を振り切って向かう。


「因果ってのは何処までも続く、俺の血が霊山である限り、繋がりは途絶えない。いつかまた、出会う機会が作られる…だから、その根元から断ち切らないといけないんだ」


霊山家との関係を断ち切る為に、長峡仁衛は、霊山家の当主と出会う事にした。

怪我をした状態で、長峡仁衛は霊山蘭の元へ向かう。

霊山家当主・霊山蘭は重篤の状態。

その状態で、態々長峡仁衛に逢いたいと言う以上は、何か伝えたい事であるのだろう。


「(もしかしたら、俺を呼び出して、自分の手で殺したい、とかかな?)」


危篤とは嘘であり、弱り切った状態を醸して長峡仁衛を呼び、奇襲を仕掛ける、という作戦か。

だとしても、万が一長峡仁衛がその状態から返り討ちにすれば、霊山蘭の命が危なくなる。


であれば、狙う意味が無い。


「(まあ…逢えば、全て分かる事だ)」


白純大社の医療室。

多くの回復系統を所持する術師たちが、霊山蘭の治療に専念していた。

何とか、治療を行い一命を取り止めた霊山蘭は、乾いた目線を天井に向けている。

そんな時に、長峡仁衛が医療室へと入って来る。

周囲に居た術師たちは構えた。


「長峡仁衛、何故貴様が此処に居る」


何故、と言われても、長峡仁衛にも分からない事だ。

当主が長峡仁衛を呼び寄せたのだから長峡仁衛は首を傾げて、「さぁ?」と言う他無い。


「何を腑抜けた台詞をッ」「貴様、一体誰を目の前に、そんな舐め腐った態度をッ」


怒り、長峡仁衛に殺意を向ける。

だが、その怒りに満ちた術師を収める声が聞こえて来る。


「止めよ、貴様ら」


霊山蘭だった。

その声によって、術師たちは途惑う。

何よりも、長峡仁衛を憎んでいる霊山蘭が、争いを留める様に言ったのだ。


「彼奴を呼んだのは他でもない、この儂よ。分かったのならば、貴様ら、邪魔だ、外に出ておれ」


「し、しかし…」「我らは長の治療の為に…」「護衛も含まれています」「早々とこの場から離れる事は…」


何やら、口ごもる様に言う術師たちに、霊山蘭は術師たちを睨む。


「儂の言う事が聞けないのか?貴様ら。偉くなったものだな」


そう言われて、怖気が増す術師たち。

明らかに苛立っているのが目に見える。


「で、では…」「何かあれば、すぐ外に居ますので…」「失礼します」


術師たちが退散する。

残されたのは、長峡仁衛と霊山蘭の二人だけだった。

霊山蘭は寝込んだまま、天井を見上げている。


「…仁衛」


苛立ちを抑える様な声色で、長峡仁衛の名前を呼ぶ。


「はい、どうしました?」


敬語を使い、霊山蘭の声に反応する長峡仁衛。

すると老獪は、鼻で笑った。


「この儂に、その様な見え透いた敬語を使うとは、儂に媚びて生きるつもりか?」


その言葉は、敬語は不要、と言う事だろうか。

ならば、そちらの方が良いだろうと、長峡仁衛は思った。

霊山蘭は、長峡仁衛を見ながら、口を開いて渇いた声を漏らす。


「…貴様、無限廻廊を出たと言う事は…」


先ずは、それを聞きたかったのだろう。

長峡仁衛は、霊山家当主の前で、真実を告げる。


「霊山新は、霊山柩に殺された…そして、霊山柩は、無限廻廊に置いたまま、出口から脱出した…手負いにはしたけど。後はどうなっているかは知らない」


長峡仁衛の言葉に、霊山蘭は目を瞑る。


「…そうか」


そう呟いて、霊山蘭は押し黙った。

報復、というものは、考えてはいない様子なのだろうか。


「…で、爺さん。なんで俺を呼んだんだ?」


一応は、霊山蘭の話を聞く事にする。

話が終われば、その後は長峡仁衛も話をしようと思っていた。

霊山蘭は、本題に迫ると思えば、再び天井を見詰めて押し黙る。


「(何を話すんだ…と思ったのに、なんで爺さん、ずっと黙ってるんだよ…)」


数分程、沈黙が続く。

それでも長峡仁衛は待つが、痺れを切らす。


「(時間稼ぎか?…まあ、いいや、俺から話をしよう)」


長峡仁衛はならば、と先に話をしようとした。


「なあ、俺の話だけど」


霊山家との縁を切る話、それをしようとして。


「黙れ、貴様の話など聞く耳は無い」


と、一蹴されてしまう。

相手が自らの話を聞く気が無いのであれば、最早、長峡仁衛が此処に来た理由が無い。


「…だったら良い。俺は戻る」


話の無駄であったらしい。

話し合いが出来ない以上は、後はこの場から立ち去ると言う選択しか無かった。

黄金ヶ丘クインたちと共に、家に帰ろうとした時。


「待て…」


霊山蘭は長峡仁衛を引き留める。

長峡仁衛は踵を返して、大して期待もせずに、霊山蘭の方に顔を向ける。

しかし、彼の口から出たのは、目を丸くし、耳を疑い、開いた口が塞がらない様な、驚愕の一言だった。


「…霊山の名が欲しくは無いか?」


と、その様に聞いて来たのだ。

その言葉に、何とか意味を咀嚼しようとして、長峡仁衛は思考を巡らせる。

長峡仁衛は嶮しい表情を浮かべて、言葉をゆっくりと飲み込んで、握り拳を作ると、霊山蘭に対して、何とも、会話を続ける様な言葉を言った。


「あんた、何を言ってるんだ?」


「フン、言った意味も分からんのか、愚図め」


霊山家の長・霊山蘭の傲岸不遜な表情と傲慢な声色に対して、怒っている、ワケでは無い。


「一応は術式を開花させた。本来ならば穢れた血を迎える真似はせん」


長峡仁衛にはその資格があると言う。

如何に、長峡仁衛と言う男が、霊山とそれ以外の血を引いた存在であろうとも。

その実力、術式は本物だ。長峡仁衛を霊山家として迎え入れる事は可能であると言う。


「だが、状況が状況だ。襲撃を受けた霊山家は弱体化しておる。これならば、穢れた血を受け入れて戦力を増強した方がいくらかマシだ」


そして。

長峡仁衛が選ばれたのは、単に彼の術式が有用である事。

長峡仁衛を謀殺し、臨核を摘出すれば術式を手に入れる事は可能。

しかし、長峡仁衛を殺した事で、封印していた畏霊が解放されてしまえば、大惨事に至る。

既に、長峡仁衛はその領域にまで到達している祓ヰ師なのだ。

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