憤怒

こうして、逃げる外套の外化師たちは存在しなくなった。

ボロボロになった長峡仁衛は息を吐くと同時に体中の力が抜けて、地面に倒れる。

その際に、傍に居てくれた銀鏡小綿が長峡仁衛の体を強く抱き締める。


「大丈夫ですか、じんさん」


銀鏡小綿が心配する声色、鉄仮面も少しだけ悲しそうな表情をしている。

そんな彼女の顔を長峡仁衛は尻目に、彼女の背中に手を回して、少し強めに抱き締めた。


其処に彼女が居る事を確認する様に、長峡仁衛は、銀鏡小綿を強く抱く。


「…ただいま、小綿」


此処が、長峡仁衛の帰るべき場所だ。

ようやく戻って来れた、その事に対して、長峡仁衛は安堵を浮かべながらそう呟く。


「…はい、お帰りなさい、じんさん」


彼女も、長峡仁衛が生きている事に安堵して、その様に呟いた。

そして、彼女もまた、長峡仁衛の存在を確かめる様に強く抱き締めた。


「おいおい…大丈夫か?長峡」


傍に居た辰喰ロロが、長峡仁衛に顔を向けながら聞く。

長峡仁衛は、辰喰ロロの顔を見てあぁ、と頷いた。


「兄様。体は…」


長峡仁衛の方に声を掛ける。

黄金ヶ丘クインの女王が如き鋭い視線は、元に戻っていた。

長峡仁衛は、彼女の方に顔を向けた時、あっ、と驚いた。


「大変だ…クイン、お前、頭ッ」


長峡仁衛は黄金ヶ丘クインの頭を指差した。

彼女の頭部からは、〈天夜叉金剛童子〉を発動した際に生えた金属の角が、長峡仁衛からすれば頭部に刃物が突き刺さっているかの様に見えた。


「え?あ、に、兄様…これは」


恥ずかしそうに、黄金ヶ丘クインは頭部の角を強く掴むと、それを無理矢理引き抜いた。

頭から、ピュゥ、と血が噴水の様に流れ出す。


「大丈夫です。これは傷ではなく、私の術式なので」


「いや大丈夫じゃないだろ、血が噴き出てんだから」


長峡仁衛は寒気の様に、冷めた表情をしながら、黄金ヶ丘クインを見詰めていた。

辰喰ロロが近づくと、黄金ヶ丘クインの頭に、持参して来た医療道具の中から、ガーゼと包帯を取り出して、彼女の頭に巻き付ける。


「後は神胤の循環を意識して傷を癒してください」


辰喰ロロは応急処置をした所で、黄金ヶ丘クインは頷いた。


「えぇ…ありがとう。兄様も、早く怪我の治療を」


其処まで口にした時だった。

燃え盛る白純大社の中から、大勢の祓ヰ師たちが現れる。

そして、庭間に倒れる術師たちを確認して、一斉に声を荒げた。


「いたぞッ!」「奴らは術式を模倣するッ!」「あれは黄金ヶ丘家の?!」

「術式で姿を真似ている可能性がある!」「取り囲めッ!!」


その様な声が響いて、霊山家の祓ヰ師たちが、黄金ヶ丘クインたちを包囲した。

霊山家の祓ヰ師たちに向けて、黄金ヶ丘クインが声を荒げる。


「霊山家の盟約の契りを分けた黄金ヶ丘家の当主の顔を見抜けぬのですか?貴方がたはッ」


黄金ヶ丘クインは叫ぶと同時に、長峡仁衛の方に指を向ける。


「貴方たちの中には回復系統を扱う術師が存在する筈です、早々に、兄様、いえ、仁衛さんの回復を急がせなさい、曲りなりにも、血を分け与えた人間でしょう?!」


そう叫ぶと、霊山一族は声を黙らせる。

霊山一族の末端である祓ヰ師たちは、彼女が本物であるかなど分からない。

上位に位置する高貴な存在を、写真や、遠回しに眺める事はあっても、間近で喋ったり、同じ位置に立つ事など早々無い。


彼女が本物である事とは断定する事は難しい。

しかし、ボロボロの長峡仁衛の方を見て、彼らは一発で、長峡仁衛であると理解出来た。


「貴様ッ、何故此処に居る!」「無限廻廊に落とされた筈だろうがッ!」「出られる事など、出来ない筈だッ!!」


彼らの言葉に、黄金ヶ丘クインは蒼褪める。

彼に一体、何をしたのか、薄々と理解していく。


「…無限廻廊、霊山家が次期当主を決める為に使用する試練の場…あらゆる畏霊を封印して来た、魔境…そん、そ…ッ、兄様をッ!」


怒りを露わにする彼女は手を挙げる。

術式を使用しようとしているらしく辰喰ロロが彼女を止めようとした最中。

誰よりも、早く。


「やめとけよ…クイン」


長峡仁衛が、重たい体を無理に動かして、彼女の手を下ろす。

黄金ヶ丘クインは、悔しそうに歯を食い縛る。

だが、長峡仁衛の抑止の声に対して、祓ヰ師たちは長峡仁衛を睨みながら言う。


「柩様が無限廻廊に、長峡仁衛を始末しに行った筈」「霊山新も、向かったと聞いた…」「だけど、霊山新はともかく、霊山柩が戻って来ないと言うのはどういう事だ?」「にわか信じがたいが…殺したか?」「なんだと…柩様をッ」「長峡仁衛ェ!!」


霊山一族が怒り、長峡仁衛を睨みつける。

長峡仁衛は、無限廻廊の中であった事を思い出す。


「…彼女を置いていった事は確かだよ」


長峡仁衛は、殺したとは言わない。

彼女があの程度で死ぬとは思えないし、長峡仁衛も、殺したかどうかは疑問である。

しかし、彼らは長峡仁衛を悪として見立てて侮辱する。


「貴様が代わりに死ねば良かったのだッ」「疫病神が、貴様はともかく、柩様は未来あるお方だったッ!」「穢れた血めがッ」「無限廻廊に堕ちた末に、畏霊に無惨に喰われていれば良かったのだッ!!」


その様に叫び、批難が長峡仁衛に向ける。

長峡仁衛は、無表情だった。

その様な侮蔑的な言葉が、何度も長峡仁衛に投げかかって来る。

何度も、幼少の頃から受けた言葉の数々を、長峡仁衛は何も思う事無く、隔絶する。


「じんさん…」


銀鏡小綿も、我慢してきた言葉だ。

それを受けた長峡仁衛は、何時も悲しそうな表情を浮かべていた。

だから、そんな時は、銀鏡小綿は長峡仁衛を抱き締めて慰めたものだ。


何時もの様に、長峡仁衛の傷つきを銀鏡小綿が慰めようとして、彼の体に手を伸ばした時。


「小綿、来るな」


長峡仁衛は、彼女の行動を制止する。

銀鏡小綿は、伸ばした手を止める。

長峡仁衛は、顔を後ろに向けて、銀鏡小綿を見た。

その表情は、少し困った様な顔をして、笑っていた。

そして、小さく、祓ヰ師たちに聞こえない様に言う。


「多分、これくらいじゃ、傷つかないから…それよりも、小綿の方が危ないからさ、悪いけど、我慢しててくれ」


と。

長峡仁衛は、心の底からその様に思いながら言う。

本当にそう思っているんだろう。

無限廻廊を通して、長峡仁衛は精神的にも、成長したかも知れない。

銀鏡小綿は、その長峡仁衛の表情を見て、安堵をした。

長峡仁衛は、自分が居なくても大丈夫なのだと、杞憂であるのだと思った。

それと同時に、寂しさが彼女の中を過る。


「(あぁ…じんさん。貴方は、母を、必要としなくなるまでに、成長したのですね)」


その様に、銀鏡小綿は思った。

母親役として生き続けて来た彼女は、今、長峡仁衛が独り立ちをする時かも知れないと思い、心苦しく、胸を締め付ける。


「それよりも…」


長峡仁衛は怒りに震える黄金ヶ丘クインを強く抱き締める。

彼がそうしたのは、そうしなければ、彼女が暴走してしまうと思ったからだ。

現に、怒りを溜めた彼女は、その憤怒を放出していた。


「な、にがッ、何が、死ねば良かった、だとッ。兄様を、兄様を悪く言うな、貴様ら凡俗がッ、兄様の何を知っている、どの口で喋っているッ!誰も彼も兄様より下の分際でェ!偉そうに語るな、語るなッ!!」


黄金ヶ丘クインを、長峡仁衛は後ろから羽交い絞めにする様に止める。


「お前が怒った所で仕方が無いだろ、落ち着け…おいッ」


長峡仁衛が彼女の体を抱き締める様に、無理に行動を制止させる。

それでも、彼女は我慢出来ないのか、怒りを露わにしながら、この部下の処遇を決めるべく、当主を呼ぶ。


「霊山家当主、当主を呼びなさいッ、全て、無礼を、此処で皆、撫切りにしてくれるッ!!」


そう叫ぶと、祓ヰ師たちは声を荒げた。


「ご当主様は危篤状態だッ!先の事件で怪我を負ったッ!」「どうする、殺すか?」

「万が一を考えて、黄金ヶ丘家当主らしき人物は生かせ、呪符を構えろ」「長峡仁衛は?」「殺せッ!あの様な男など、居た所で邪魔に過ぎないッ!!」


今回の事件で、霊山蘭が危篤状態になったらしい。

その様な情報を耳に入れた上で、長峡仁衛は、前を見詰める。

霊山家の祓ヰ師たちを見ているワケではない…その奥。

白純大社から、白い着物に雪の結晶を模した刺繍を施した衣装を着込んだ女性がやって来る。


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