夢想



少女は夢を見る。

それはあまりにも寂しくて辛いから現実逃避したくて見た過去の記憶。


『なんだよ、銀鏡』


『じんさん。母です。銀鏡では無く、小綿と』


『俺が、お前の事を何て呼ぼうと構わないだろ…放っておいてくれ』


『何処に行かれるのですか?じんさん。ごはんは』


『…要らない』


『じんさん。でしたらお風呂、一緒に入りましょう』


『嫌だよ、お前、いい加減子離れしろよ…いや、子供じゃねぇけど、母親面、もうしなくて良いから』


『じんさん…』


彼女と長峡仁衛が中学生だった頃の話だ。

中学二年生。現実を知る頃合い。

長峡仁衛の術式が開花出来ず、不貞腐れた時の頃。

霊山家とはあるまじき不良の道を進もうとしていた長峡仁衛に、銀鏡小綿は全うな道を歩む為に努力を重ねていた。


『じんさん…じんさん…』


眠る長峡仁衛に一足早く向かっては体を揺さぶる。

起きる気配も無いので、銀鏡小綿は長峡仁衛の布団に潜り込む。


『じんさん…はむっ』


眠る彼の耳朶を唇で咬んで、長峡仁衛を無理矢理起こす。


『あぁあ?!おい、おい銀鏡、お前ッ、その起こし方止めろってッ』


『しかしじんさん。母は、じんさんを起こさなければなりません』


『やり方ってもんがあるだろッ!…止めてくれよ。俺に構うのはさ』


長峡仁衛は腐っている。

どれ程努力を重ねても、認められない事実が其処にある。

長峡仁衛は段々と、自分の価値を見出す事が出来なくなる。

それでも、銀鏡小綿は傍に居る。


『お前も、もう、見放した方が良いだろ。俺と傍に居たら、霊山家のみんなから、白い目で見られるだろうし…』


『…何故、他の方の視線を気にしなければならないのですか?』


銀鏡小綿は霊山家に属する。

彼女の自由は認められているが、大人になれば、身の振り方と言うものを理解しておかなければならない。

伸びしろも無い長峡仁衛よりも、他の霊山家の血筋、派閥に属しておいた方が良い。


だが…銀鏡小綿は他人など、どうでも良い。


『母にはじんさんが居ます。それ以外など、母には必要ありません。心の奥から、じんさんが母を否定しない限りは、母はじんさんの傍に居ます。絶対に、望み続ける限りは』


長峡仁衛の手を握って、彼女はその様に宣言する。


『…じゃあ、俺が望んだら、他の場所に行ってくれるのか?』


『じんさんが母を必要としなければ…それでも、母は、何処にも行きません。じんさんが母を要らぬと言うのであれば、野垂れ死ぬだけです。姥捨て山の様に』


年老いた両親を、山に捨てる風習を持ち出して、長峡仁衛は鼻で笑う。


『…お前が年を取る姿なんて、想像出来ないな』


長峡仁衛は折れた。

彼女は何があっても長峡仁衛の傍に居てくれると言う安心感。

血の繋がらない家族でも、傍に居てくれるのならば、後は何も要らないのかも知れない。


長峡仁衛の行動原理は、『家族』を欲する事。

霊山家に認められたいと言う願いも、『家族』を欲していた為でもある。

銀鏡小綿が、長峡仁衛の母親として、家族となってくれるのならば。

長峡仁衛は、霊山家に認められると言う願いを、諦める事が出来た。


それが長峡仁衛の決意の夢。

次は、銀鏡小綿の幸せだった夢。


彼女の幸せは、長峡仁衛が居る日常だ。

朝、目が覚めれば、銀鏡小綿は一足早く布団から出ていく。

そして歯を磨き顔を洗ったりして身だしなみを整える。

髪の毛を三つ編みにすれば準備は完了。


『本日は…お魚が良いでしょうか』


長峡仁衛のために料理を作る。

彼女と長峡仁衛の住む家はアパートの六畳一間。

霊山家が経営している一般祓ヰ師の寮で、長峡仁衛と銀鏡小綿が一緒になって生活をしていた。


早朝から、彼女が料理を作る。

長峡仁衛の為に栄養バランスを考えた料理を作って長峡仁衛の元へと向かう。


『じんさん。おはようございます、朝ですよ』


寝起きの悪い長峡仁衛に、手で揺さぶる。

彼が嫌がる様な真似は、現在ではしていない。

いつもと変わらない鉄仮面をしながら、銀鏡小綿は長峡仁衛を起こす。


長峡仁衛は、寝惚けていて布団から出ようとしない。

遅くまで友達と一緒に遊んでいたので、まだ眠り足りないみたいだ。


しかしそんな事情は、彼女には通用しない。

長峡仁衛が如何に眠たいと思っていても、銀鏡小綿が長峡仁衛を立派に育てる使命がある。


『じんさん。じんさん』


『あー…わか、分かった…から、起きる、からさ』


寝惚けながら長峡仁衛はそう言って布団から出てくる。

眠たい眼を擦りながら、欠伸をした。

さっぱりとした翡翠の瞳長峡仁衛を見詰めている。


『おはようございます。じんさん』


一日の始まり。

銀鏡小綿は長峡仁衛に挨拶をすると軽く頭を下げた。


『あ。…あぁ…ふぁ…おはよ、さん』


長峡仁衛もそれに従う様に銀鏡小綿の方に顔を向けて軽く会釈を返す。


『ごはんを盛ります。大盛りで良いですか?』


『調子…出ない、あれ、あの…中盛り』


『では大盛りにしますね』


話を聞かず、飯を盛る銀鏡小綿。


長峡仁衛との朝食の時間。

銀鏡小綿にとっては何よりの至福な時間と言えるだろう。

大事な相手が面と向かって一緒に料理を食べる。

会話などなくても伝わる二人の距離感が心地良い。

長峡仁衛が一口味噌汁をしてれば寝ぼけた様子で声を漏らす。


「うまい…うん、うまい…」


それが寝ぼけた末の言葉であろうとも銀鏡小綿にとっては、とても嬉しい言葉であった。

自分の料理が長峡仁衛の舌に合っているんだと思うだけで、今まで生きていてよかったと思えるのだ。


他の誰かが見ればいつも通りの日常だと思えるだろう。

だが銀鏡小綿にとってはかけがえのない大切な時間なのだ。

いつか、長峡仁衛は銀鏡小綿を母親としては扱わないだろう。

成人でもしてしまえば男は母親の元から離れるものだ。

そうなってしまえば、銀鏡小綿が母親としての役目は終わってしまう。

そう考えると長峡仁衛と共にいられる時間は限られてくる。

出来る事ならばずっと一緒にいたいと思ってしまう。

だがそれは無理だ。

別れは何時か訪れる。

だから、銀鏡小綿は長峡仁衛との時間を誰よりも大事にしている。

一度死を経験している彼女にとって、時間とは永遠ではない事を理解しているから。


『ごちそうさまでした』


『はい、お粗末様でした』


朝食を終えた時。

長峡仁衛が銀鏡小綿に声を掛ける。


『あ…なあ、小綿』


彼女は長峡仁衛の方に顔を向ける。

食器を洗っているので、台所から離れる事は出来ないがきちんと長峡仁衛の方に意識を向けていた。


『お前さ、今日誕生日だろ?これ、買って来たんだ』


ぶっきらぼうに長峡仁衛がそう呟いて銀鏡小綿に紙袋が入った小さな袋を渡した。

それを受け取った銀鏡小綿は小さな袋を開けて中身を確認する。


それはヘアゴムだった。

飾りも何もない、ただのヘアゴム。

それを受け取る銀鏡小綿は、長峡仁衛の方に顔を向ける。


『実用性のあるのが好きだろうと思ったから買っておいた…それ、何かさ、NASAが使ってる奴とかで、十年使っても切れないんだって』


長く使える代物。

それを受け取った銀鏡小綿は、胸に手を置く。


『じんさん、ありがとうございます…嬉しいです』


長峡仁衛から貰ったヘアゴム。

それは二年経った今でも、銀鏡小綿は肌身離さず身につけていた。

大切なものを、彼女は、長峡仁衛を想いながら身に着けていた。


彼女がそんな大切な夢を見ていたのは眠る前の時。


ヘアゴムを装着しようとしていた銀鏡小綿。

十年経っても切れない事で有名なヘアゴムが、唐突に千切れてしまったのだ。


長峡仁衛がくれた大切な代物。

形あるものはいつか滅びゆく事など分かっては居ても、今この状況下で大切なものが切れてしまうのはとても不吉なものだと思っていた。


記憶は巡り、別の夢が浮かび上がる。

ある日、長峡仁衛が畏霊を討伐する為に任務に帰って来た時。


『じんさん』


長峡仁衛は霊山家の医療室へと運ばれていた。

彼の肉体は、深く切り傷によって抉れている。

畏霊の攻撃によって、重傷を負っていた。


『はぁ…はッ…あッ』


息を漏らす。

長峡仁衛は今にでも死にそうだ。

銀鏡小綿は焦っていた。


何故、長峡仁衛は治療されないのか。

此処は医療室であるのに、長峡仁衛を治す者は何時までも現れない。


『じんさん、大丈夫です。今、母が、呼びに』


『…こ、わた』


長峡仁衛が、銀鏡小綿の手を握る。

今にでも光が失せそうな視線を、銀鏡小綿に向けて、長峡仁衛は呟いた。


『ま、だ…死にたく、し、にたく、な…』


銀鏡小綿の心拍数が跳ね上がる。

これは、記憶の中の話の筈だ。

本当ならば、長峡仁衛は助かる筈なのに。

段々と弱っていく、長峡仁衛が死んで逝こうとする。


『じんさん、じんさんッ!!』


声を掛けても、長峡仁衛は反応しない。


「っ…ッ!!」


絶叫を響かせようとした時。

其処で、銀鏡小綿は目を覚ます。

不吉な事が起こり、不幸な夢を見た。

それはなんだか、長峡仁衛が何か起こったのか暗示している様で仕方が無い。

その様な夢を見てからと言うもの、銀鏡小綿の体調は衰えていた。




長峡仁衛が実家に戻って三日目。

既に黄金ヶ丘クインは、長峡仁衛からの連絡がなければおかしいと思っていた。


「乗り込むべきでしょう」


「いいえ…まだ待つべきです」


黄金ヶ丘クインと辰喰ロロが二人話し合っていた。

どうやら長峡仁衛の様子を見に伺うかどうか話し合っているらしい。

当然ながら黄金ヶ丘クインは長峡仁衛の元へと向かう事に手をあげている。

対して辰喰ロロは長峡仁衛のもとに行くべきではないと強調していた。


「まだ様子を見るべきです、相手は、お嬢様をハメようとしている可能性があります」


辰喰ロロは理知的ながらその様に想像していた。

いかに黄金ヶ丘家と霊山家が利害関係で手を結んでいたとしていても、その縁が切れる可能性は多いにあった。



霊山家が黄金ヶ丘家の実権を握るために出し抜こうと考えているかもしれないと辰喰ロロは思った。


「兄様は私の所有物です、私が霊山家に大量の寄付金を与えたのですよ?既に所有権は私が握っている。であれば長峡仁衛を傷つける事は所有物の侵害として霊山家に攻撃を仕掛ける事自体に不正はありません。むしろ、その事実を利用して咒界連盟ですらも味方に出来ましょう」


彼女の言葉は、黄金ヶ丘家の当主としての一面を醸しているから埒が明かない。

現代まで続く生存戦争。

それにより、強大な権利者を討伐し、政府との交渉をする権利を得ようとするものは少なくない。


そうしている内に食堂へと銀鏡小綿が入って来る。

即座に黄金ヶ丘クインが口を開いた。

「銀鏡さん、貴方も、すぐにでも長峡仁衛の安否を確認したいと思っていますよね。直ぐにでも、実家に乗り込むべきだと、そうは思いませんか?」


辰喰ロロはしまったと思った。

長峡仁衛に長年仕えてきた銀鏡小綿という存在。

彼女は自分の命よりも長峡仁衛を優先するタイプだ。

だから長峡仁衛に何かあったと思えばすぐにでも行動してしまうだろう。

もしも銀鏡小綿が感情論でモノを喋るのだとすれば、自らの感情に従って長峡仁衛を助けたいという気持ちが強くなる筈だ。

そうなれば辰喰ロロ一人では天秤を傾ける事は出来なくなる。


「銀鏡小綿…お前が長峡仁衛を想う気持ちはよくわかる、私だって立場が違えば助けたいとは思う。だけどだめだ。霊山家に手を挙げる様な真似は…せめてもう少し時間をくれ」


辰喰ロロは黄金ヶ丘家の事を考えて発言をする。

辰喰ロロの役割は黄金ヶ丘クインの傍にいる事以外にもこの黄金ヶ丘家を守る事である。

今回ばかりは銀鏡小綿は黄金ヶ丘クインの味方をするだろうと彼女は強く、唇を噛んだ。

しかし銀鏡小綿はどうにも、ひどく弱っている様子だった。

長峡仁衛から貰ったヘアゴムは、もはや使い物にならなくなった今でも、ずっと強く握り締めている。


そして銀鏡小綿は唇を震わせて涙を流すのを堪えながらようやく口を開いた。

彼女は黄金ヶ丘クインに言う。


「私は…この家で、じんさんの帰りを待ちます」

それが銀鏡小綿で出した答えだった。

その回答は辰喰ロロに天秤が傾く事となった。

予想外の展開ではあったが辰喰ロロは重苦しい息を吐いて安堵を覚えた。

逆に黄金ヶ丘クインはどうにも納得がいかない様子だった。


「もしかすれば…兄様が殺されているかも知れないのに…どうしてあなたは、兄様を見捨てる様な選択をッ」


感情が高ぶって今にでも泣き出しそうな黄金ヶ丘クイン。

それでも銀鏡小綿は黄金ヶ丘クインの言葉に首を縦に振る事はしなかった。


「確かに…とても不吉な事が起こっています、もしかすればじんさんに何かしらに不幸が訪れているかもしれません…それ、それでも…私を待たなければなりません」


母親としては失格であるかもしれない。

長峡仁衛がこの黄金ヶ丘家で待っていて欲しいと言ったのだ。

ならば彼女は待たなければならない。

その決断が銀鏡小綿にとっての、母親としての役割の終わりを示していたのかもしれない。


母親としての役割の終わり。

それは彼女と長峡仁衛に終わりを示している。

そして終わりが来れば…長峡仁衛に真実を告げねばならない事になるという事だった。

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