恩人

「(過去に戻った?そんなの龍を運用しない限りは不可能だ…だとしたら、異能変遷。あの八尺様の能力か)」


即座に長峡仁衛は看破すると、周囲を見回す。

これが八尺様の能力であるのならば、何処かに八尺様が居るのではないのかと思った。

ベランダの方に視線を向ける。其処には、白いワンピースを着た巨躯の女性が立っていた。


「ぽぽぽ、ぽ、ぽぽ」


「やっぱりな…じゃあこれは、八尺様の異能変遷と言うワケか」


長峡仁衛は八尺様の能力を考察する。

幼い体の自分、過去に戻ったかの様に錯覚する。

八尺様の伝承は、大きな体であり、子供を連れ去る、女性の怪異である。


「…術式、は」


手を叩く。

すると、近くに居た小さな銀鏡小綿がビクリと体を震わせた。


「どうしたのです、じんさん?」


体から流れる神胤を放出する事が出来ない。

肉体には、そもそも、臨核が発育している感覚は無かった。


「(術式が使えない…子供時代、俺が力が使えない時代に合わせたのか?)」


ベランダの窓が開かれると、其処から、八尺様が家の中へと侵入する。


「(時間逆行が不可能だとすれば…これは記憶を追体験させる能力か、子供を狙うと言う話…裏を返せば子供は無力な存在。力を得る前の子供ならば、反撃される事も無いと言う事か?)」


段々と近づいて来る八尺様に対して、これが夢の様なものであると確信した長峡仁衛は目を瞑り念じる。


「(夢なら醒める筈だ、早く、早く醒めろッ)」


強く願うが、無情にも。

長峡仁衛の首に、細い指先が、絡み付く。

八尺様が、長峡仁衛の首を絞めだした。


「(はや、く…はやく…ぐッ)」


意識が薄れそうになる長峡仁衛。

このまま、意識が途絶えてしまえば、今度こそ、本当に死んでしまうかも知れない。

景色が白黒になる。白黒になった景色が歪んでいく。

頭が呆然としてきた時。


「じんさんっ」


近くに居た銀鏡小綿が、長峡仁衛の体に抱き着いた。

そして、八尺様の手から長峡仁衛が剥がれていく。

首筋に赤い筋を刻みながら、長峡仁衛は大きく息を吐いて咳き込んだ。


「ごほッごッ、がッ…はッ、はっ!」


「じんさん、だいじょうぶですか?」


幼少の頃の記憶。

それは、八尺様が見せた幻影でしかないのに。

銀鏡小綿は、長峡仁衛の心配をしている。

必死な形相を浮かべて、長峡仁衛を助けた。


「なにがおきているのですか、じんさん」


「はッ…ぐ、うッ…いや、いい、は、やく、にげッ」


長峡仁衛が銀鏡小綿を逃がそうとするが。

そんな、長峡仁衛の思いも空しく。


「っうッ!」


八尺様の手が、銀鏡小綿の頭部を叩いた。

強く殴られた事で、銀鏡小綿が壁に叩きつけられて、血を流す。


「あッ…こわ、小綿ッ!」


長峡仁衛は銀鏡小綿に近づく。

気絶しているのか、彼女は目を半開きにして、項垂れていた。

大切な家族が暴力を振るわれた。その事実を長峡仁衛は歯を食い縛りながら受け入れる。


「俺の…おれ、のッ、大事な家族に、手を…手、ェ、出しやがったな…このアバズレ、が、ぁッ」


怒り、拳を握り締める。

相手に向けて、怒りを込めた拳を当てようとするが。

しかし、八尺様はその攻撃を受け止める事すらしない。

子供の本気と言えども、防御する必要すらなかった。

無力、まったくの無意味。

長峡仁衛は弱者として扱われている。

それでも、長峡仁衛は絶望など抱かない。

家族を傷つけられた怒りを、相手に向けた。

その時だった。


鈴の音が鳴る。

家の中から響き渡る音は、八尺様の後ろから聞こえて来た。

小袖と緋袴、一般的な巫女服を着込み、その上から白色の着物を羽織る白髪の女性が現れた。

手元には、鈴の音の原因となる若葉に多くの鈴が括り付けられた祓いの道具を握っている。

ちりん、ちりりん。音が鳴ると、八尺様が長峡仁衛から離れて苦しみ出す。

体をくねらせて、音の無い方へと歩き、其処から逃げ出した。

家の中には、長峡仁衛と、気絶した銀鏡小綿、そして、白髪の女性だけ残った。


「危ない所でしたね」


女性の声が響き出す。

長峡仁衛は、女性の方に顔を向ける。


「…あんた、は」


長峡仁衛の記憶の奥底に、頭痛と似た痛みを感じながら、長峡仁衛は女性の顔を思い出そうとした。


「…無理に思い出さない方が良いでしょう。まだ心の準備は出来て無い筈」


長峡仁衛の方に近づくと、彼女の手が長峡仁衛の頭を撫でる。


「此処は記憶の片隅。八尺様は幼少期の記憶に入り込み、記憶の改竄を行う、呪う相手を死に与える事で、被呪者を呪い殺す怪異現象を引き起こす…早く戻りなさい、現実へ」


その女性の言葉に、長峡仁衛の意識が薄れていく。

恐らく、記憶の中から、元の世界に戻っていくのだろう。

それでも、長峡仁衛は、意識を取り持つ。

まだこの女性に用があった。


「あの時、そうだ…あの時、俺の術式の使い方、教えてくれて…ありがとう」


長峡仁衛の術式は希少ゆえにマニュアルは無い。

本来ならば自分の術式を手探りで解明していかなければならない。

だが、彼が自身の術式の使い方を知っていたのは、彼女のお蔭だった。


あの夜の事を思い出す。

自分が畏霊に対して憤りを見せた時、長峡仁衛は術式を開花させた。

その時、力の流転と共に流れ込んで来た女性の声。

それが、長峡仁衛の術式を教授してくれた。


その声の主が、長峡仁衛の前に立つ女性だった。

感謝の言葉を口にして、それを聞いた女性は口を半開きにしている。

衝撃でも受けたのか、体が固まっている様子だった。


「…感謝など」


長峡仁衛は、最後まで言葉を聞く事なく、意識が段々と薄れていく。

そして、完全に内界と遮断された時、女性の言葉が空しく響いた。


「される様な、人間ではありません」


その言葉は、長峡仁衛に届く事は無かった。

再び、長峡仁衛の意識は戻る。

目を覚まして顔を挙げると、目の前には八尺様が立っている。


生ぬるい空気が場を包み込む。

長峡仁衛は、戻って来たのだと確信して、拳を握り締める。


「懐かしい夢だったけど、水を差された感じだ…よくも、俺の家族を、小綿を、記憶の中でも傷つけやがって…」


怒りを胸に秘めて、長峡仁衛は睨みつける。


「祓ってやる」


憤怒の込めた声色で、八尺様に指先を向ける。

その直後。

長峡仁衛に従う『斬人』が八尺様を一刀両断にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る