伝説
長峡仁衛は入り乱れる迷宮を歩き続ける。
白いタイルを敷き詰めたかの様な床を歩いていると、広い場所へと出た。
「うわ、町か?」
長峡仁衛は周囲を見回して、まず出て来た感想がそれだった。
夜であるのか周囲は薄暗い、それでも、見慣れた人工物の一部から長峡仁衛は連想する事が出来る。
アスファルトで舗装された道路、ブロック塀で境界線を作る一軒家。
少し歩けば、小さな公園があり、其処にはブランコや滑り台などが設置されている。
「…」
長峡仁衛は何か異変の様なものを感じ取ったのだろう。
背中に生える臨核器官を稼働し、神胤を生成すると共に手で叩く。
「『斬人』」
デジタルドットが増幅されると、右腕部が二つある大太刀の剣士が出現する。
警戒している長峡仁衛、この公園近くに、何かが居ると悟る。
「ぽ、ぽぽ、ぽ」
ゆらりと。
白い布の様な、カーテンが風に舞っている様に見える。
耳障りな音は、そのカーテンから聞こえて来る。
「(カーテン、なワケ無いよなぁ)」
長峡仁衛は溜息を吐くと共に『斬人』に脳裏で伝達、命令を送る。
『不弓射刀』を使えと命令を送る…大太刀を構える『斬人』は大きく腕を振り上げると共に、刀身から放たれる斬撃を白いカーテンへと向けて放つ。
飛ぶ斬撃、カーテンに当たった。かと思われたが、目の錯覚が訪れる。
瞬きの一瞬。
カーテンは消え去り、代わりに、長峡仁衛の後ろに気配を感じる。
「ぽ、ぽぽぽ、ぽぽ」
耳元で囁かれているかの様な感覚。
長峡仁衛はゆっくりと拳を握り締める。
何かが肩に手を置いた。長峡仁衛の横顔から、黒い髪の様なものが垂れて、真横から覗く。
視線が合う。まるで子供が描いた落書きの様に、黒色の目に白色の肌、赤い口が開かれて、声を漏らした。
「じーんーえーくーんー、あーそーびーまーしょーお」
即座。
『斬人』が白い帽子を被る背丈の高い女性に向けて大太刀を振るう。
一瞬で長峡仁衛から遠ざかるその畏霊は、滑り台の上に立つと、四つん這いとなって滑り台を降りていく。
「(肉体が硬直した、異能変遷による効果か…それに加えて瞬間移動も所持しているな…あれが噂に聞く、八尺様か)」
長峡仁衛はその畏霊の特徴からその様に看破した。
八尺様、そう呼ばれる畏霊は、現代ではあまり恐怖の対象として見られていない。
ネットミーム。
その身体的特徴と怪異現象の内容から、周囲の脳裏からその存在は「子供を性的に搾取する巨体女」として認識され、恐怖の対象から外された。
しかし、当時では、その存在は怪談の語り草として相応しい怪異。
何時憑り殺されても可笑しくない状況下だった。
一度公園から離れる長峡仁衛。道路を走りながら八尺様と距離を取る。
「(面倒だな…)」
そう思いながら、道路を疾走する。
主である長峡仁衛の後ろを着いて来ては、護衛を勤めている。
「(なんでこんな所に町があるんだって思ったけど…都市伝説系なら納得だな)」
周囲の建物に視線を向けながら、後ろを見る。
四つん這いの状態であった八尺様は二足歩行で立ち、歩きもせずに長峡仁衛に近寄っている。
瞬間移動でもしているのだろう。このまま走り続けていても、振り切れる可能性は無いらしい。
「(畏霊と言っても複数存在する…、生物を形作る妖怪や、特定の条件を満たすことで起こる現象、怪異…都市伝説型は怪異に属する畏霊だ)」
祓ヰ師として一般的な知識は彼の頭の中に入っている。
当然ながら、その対処法も熟知しつつあった。
「(文字通り都市に執着する畏霊。封印をしても街自体が存在する限りは怪異は生まれ直される…だったら街ごと隔離して閉ざせば良い…尤も、かなり費用とか掛かるし、記憶と記録の改竄もしないとならないから、実用する祓ヰ師は居ない。居たとしても、霊山家の様な政府に対して上手に出れる様な家系じゃないと先ず無理だけど…)」
怪異が出現する町を再現して、複製する。
そして逆に本物の方を一部変える。
例えば名前を本物の方から変えて、複製した町に付ける。
住宅街の一部を取り壊し更地に変えたり、新しく建物を作ったりする。
そうして偽物が本物に近づき、本物が偽物に近づく事で、怪異の出現する場所は複製した場所であると誤認識する様になるのだ。
あくまでも、複製された街がある事で成立する。
怪異にも僅かだが意識と言うものがある。
街並みが変われば、認識を再更新するので、その隙を狙い複製を作り、本物を壊す。
そうすると街の座標を誤認し、本物に近い複製の方へと住み付くのだ。
都市伝説系の厄介な所は、特定の条件下が揃う事で怪異が生まれる事。
逆を言えば、条件が揃ってしまうと、どのようであれ、無限に怪異が湧いて出てしまうと言う事だ。
恐らくはこの八尺様と言う畏霊は、「人間」「男性」「子供」である事を条件に発生しているらしい。
「(倒すのは簡単だけど…無限湧きとかして来そうで骨が折れる…先に街から出る出口を見つけてから封印するか…無限湧きも、危険だけど、使い道がある事だし)」
長峡仁衛は走る。
肉体を神胤で強化している為に、常人よりも早く、持久性のある走りを発揮する事が出来た。
「じんさん」
長峡仁衛の足が止まる。
聞き覚えのある声に、長峡仁衛は後ろを振り向いた。
「小綿か?!」
長峡仁衛は在り得ないと思っていた。
まさか、この『無限廻廊』に彼の幼馴染兼母親役である銀鏡小綿が来ている事など。
しかし、彼女の性格上、長峡仁衛に付いて来る可能性も捨て切れる事は出来なかった。
だから振り向いてしまう。
その声の主は、当然ながら、八尺様によるものだった。
近しい人間の声を模倣して人間を騙す事に長けた声帯模写の技術。
長峡仁衛はまんまと騙されて振り返ってしまう。
「ッ…いや、そう、だよなぁ。居ないよなぁ…小綿が居たら、駄目だもんなぁ…あぁ、良かった。良かったさ。小綿がこんな危険なダンジョンに来なくて本当に良かった。良かったけど、なぁッ!」
長峡仁衛は八尺様の方へと踵を返す。
理知的だった長峡仁衛の行動に対して、初めて見せる本能的行動。
「俺の、俺のよォ、大切な家族を騙る事は、絶対に許せねぇ!!」
拳を固めて八尺様に真正面から喧嘩を売り出すが、八尺様は即座にその場から消え失せると同時。
「ぽぽ、ぽ、ぽぽぽ」
嘲笑の様な声色と共に、長峡仁衛の隣へと移動していた。
耳元で囁かれる言葉。それがどの様な意味を宿しているのかなど長峡仁衛は知る由も無い。
「(硬直、体が、動かないッ…意識がッ)」
八尺様の手が長峡仁衛の両目を覆う。
意識が削がれて、暗転。視界の先が暗闇と化す。
数秒程で長峡仁衛の肉体は感覚を失い、次に目を覚ました時、長峡仁衛の前には、幼い顔をした幼女の姿があった。
「じんさん」
幼く若い声が長峡仁衛に聞こえて来る。
白銀の髪をハーフアップにした髪型をした、白いワンピースを着込んだ少女の姿が、長峡仁衛には懐かしく思えた。
「あれ…?こわた?」
長峡仁衛は彼女の名前を告げると共に体を起こす。
彼女の姿は若かった。五歳くらいだろうか。
幼女の姿となっている銀鏡小綿に、長峡仁衛は不思議そうな顔をする。
「(俺は確か…八尺様に捕まって…その後、これ、どうなってるんだ?)」
若くなっている自分の体。
長峡仁衛は一体どうなっているのか不思議な顔をしている。
「じんさん。だいじょうぶですか?」
銀鏡小綿は、長峡仁衛に近づき、その体を強く抱き締める。
自らの頬と長峡仁衛の頬を張り付けて頬ずりをしたり、額と額を当てて体温を測ったりしている。
「ねつですか?きぶんがわるいですか?ははが、なにかできますか?」
「(うわ、懐かしいな、この、べたべたするの。中学生くらいまでこんな感じで、流石に高校前だとやらなくなったけど…)」
長峡仁衛は、懐かしさに鼻孔の奥がつんとしていた。
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