誤算

「しかし…懸念する所がありますな」


従士の一人が地下通路を歩きながら呟いた。

懸念。その言葉を聞いた老獪が従士の方に顔を向ける。


「あ…いえ、出過ぎた発言を、…しかし、思う所があり…お伝えするべきかどうか悩んだ末に…言葉として漏らしてしまいました」


当主の前で、発言を撤回してしまうのは簡単だ。

しかし、従士にも胸の騒めきと言うものがある。

それはあくまでも、霊山家を想う心である事は確か。

従士の言葉に、当てて見せるかの様に霊山蘭は渇いた声を通路に響かせる。


「膨大な畏霊が、逆にあの無能に取り込まれぬかどうか、と言う点であろうな?」


見事、言い当てた事に従士はバツが悪そうな表情を浮かべる。

自分が考えていた事を、既に現当主は理解していたのだから、如何に自分が浅はかな言葉を口にしたのか、思慮不足だと己を恥じた。


「ふん、確かに思考は其処に行きつく。仁衛の術式は我々よりも未知数にして強力。しかし、これはどの術式でも言える事だが…術式の弱点を貴様は知っているか?」


術式の弱点。

従士はそう言われて考える。

己が術師として術式を開花させた時に、まず、弱点と言うものよりも、術式の鍛錬、強化を優先させていた。

故に、弱点を解明したのは中期の頃合い、そう考えて、根本を思い出し、術師は答える。


「…術式詳細を知らぬ事、ですか?」


術式が開花すれば、基本的に能力と言うものは手探りで探す事となる。

霊山家にはある程度の術式マニュアルが存在し、それを熟読すればある程度の術式は理解出来るだろう。


「フン…三十点だ」


霊山蘭は鼻で笑い、指を三本立てた。


「最初に、貴様が言った事は正しい。奴は穢れた血であろうとも一応は霊山家、術式解読書は読み漁っている…だが幸運にも、奴の術式は極めて異端。歴代当主でもその術式を所持していた者も居たが、解読書自体は作られなかった。儂も奴の術式は又聞き程度でしか知らぬ。故に、あの無能が自らの術式を理解する事など、一日二日では到底無理な事だ」


これが、一つ目の理由。

もう残る二つを、霊山蘭は話し出す。


「封緘術式はその性質上、畏霊を封印すると言う能力を持つ。そして封印したものであれば、式神として使役が可能となる。だが…自らの実力よりも強い畏霊を封じるのならば、それ相応の準備が必要、例えば、仲間を集い、畏霊を弱らせた末に封印する、などな。通常の祓ヰ師ならば、単独で捕まえられる畏霊など、人魂程度のものよ」


人魂。

負の感情から生まれる畏霊。

弱く、術式なしでも無傷で祓う事が出来る。


「そして、儂らが式神を強化する場合、必要となるのは畏霊。我々には畏霊を保管する霊庫がある。それがあればある程度の式神の強化は可能…しかし、奴は畏霊と遭遇し、土壇場で術式を開花、その際に野良の式神を所持した。ならば、その畏霊も粗末なもの。例え強化が出来ても雑魚は雑魚…それに、霊庫が無い以上、短期間で強化など不可能だ」


霊山家は、簡単に長峡仁衛が畏霊によって喰われ絶命すると読み踏んでいた。

封緘術式の弱点を挙げるとすれば、それは確実に能力を発現させた初期状態が一番弱いと言う事だ。


「それこそ、懸念があるとすれば、黄金ヶ丘家。違法にも霊庫を所持し、長峡仁衛に強化として使わせた可能性も無くは無い…だが、余所者を毛嫌う黄金ヶ丘家が、よもや実験材料として買った長峡仁衛を強化するなど、無いだろうよ」


霊山蘭は確信する。

長峡仁衛は売られた。

そしてその売却用途は、長峡仁衛を黄金ヶ丘家の術式強化材料として使用する、と言うもの。

更に、黄金ヶ丘家は余所者を極端に嫌う祓ヰ師として有名だ。

自身が管理する領土を、他の祓ヰ師を雇わずに、黄金ヶ丘家当主だけで管理していると聞く。


「故に、長峡仁衛はろくに術式も知らず、大した式神も持たず、満足に戦えぬ状況で喰らい殺されるのみ。…まあ、霊山家を騙ろうとする犯罪者には、その末路がお似合いだろうて」


霊山蘭は嗤う。

その声に釣られて、従士たちも笑った。

しかし、従士たちは、違和感を覚える。

霊山蘭の台詞が、まるで自分を言い聞かせている様で他ならない。

何か、霊山蘭も、疑惑に思う部分もあるのではないのかと思っていた。


………。


窓の外から黄金ヶ丘クインは雨が降り注ぐ空を眺めていた。

ワインの様な色合いをする雨は、この世界では日常と化した赤色の雨だ。

世間一般的にはこの雨は酸性が強く、人間の皮膚に触れると爛れたりすると教えられている。

当時は外出禁止令が出る程に危険な現象とされて世界の終わりなどを囁かれたが、しかし現在に至る時には、外出禁止令も緩和されていた。

それでも、赤い雨が降ると、人は外に出る事を極力控える様になっていた。

黄金ヶ丘クインは、血を薄めた様な雨を見ながら、長峡仁衛を夢想する。


「(今頃、兄様は何をされているのでしょうか…、早く、帰って来て下されば、それだけで十分です)」


黄金ヶ丘クインは、長峡仁衛の無事をただ祈った。

どうにか、長峡仁衛が生きて戻る事が出来る様に、その為に、黄金ヶ丘クインは自らの財産を惜しみなく使う。


「(畏霊を所持すればする程に強くなる…念の為に、黄金ヶ丘家が極秘裏に所持している霊庫から畏霊を兄様に与えましたが…これでどうにか、兄様の役に立って下さるのなら、幸いなのですが…)」


霊山家は一つ思い違いをしている。

黄金ヶ丘家の現当主である黄金ヶ丘クインは長峡仁衛を愛している。

彼の身柄を買い取ったのは、その肉体を術式強化による実験材料として使う、と言う用途は名目でしかない。

長峡仁衛を傍に置きたいが為に作った方便であり、だからこそ、黄金ヶ丘クインは長峡仁衛の生存の為ならば黄金ヶ丘家が積み上げて来た財産を惜しみなく使う。


「(あぁ…早く、兄様にお会いしたい…)」


幼少期の頃に長峡仁衛が彼女の元に訪れたあの時から、黄金ヶ丘クインは長峡仁衛が傍に居て欲しいと思っている。

あの時から、長峡仁衛は傷ついていた。

霊山家による厳しい躾か、虐待でも受けていたのか、長峡仁衛の肉体は沢山傷ついていた。

彼の死んだような瞳が、あの頃からどうにも忘れる事が出来ない。


出来る事ならば、彼の心に深く傷ついた心を、自分の手で癒してあげたいと思う程に。


黄金ヶ丘クインはあの頃から変わらない。

全てが、自分が愛した男性の為に死力を尽くして来た。


その覚悟、本気の一端こそが、若干十四歳でありながら、黄金ヶ丘家現当主として認められた事だろう。


幼い身でありながらその身に余りある称号と地位と名誉を手に入れた黄金ヶ丘クイン。

それらは、長峡仁衛を迎え入れる為だけに、努力を重ねたに過ぎない。


「(兄様…どうか、ご無事で…)」


全身全霊を長峡仁衛に捧げる黄金ヶ丘クイン。

そんな彼女が、今、長峡仁衛がどのような始末を受けているのか聞けば、彼女の矛先は、霊山家を刺すだろう。

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